「いらっしゃいませ…」

 と、言った若い男性店員の笑顔が、不思議そうな顔に変わった。

「入り口の所で拾ったんです。こちらのお客さんの物かと思いまして」

 穏やかそうな店員は私の手にする財布へ目を向けた。

「きっと、先ほどの男性の方の物ですね。ありがとうございます」


 私は、なんとなく店の中へ目を向けた。

 川辺に建つこのカフェは、大きな窓とオープンテラスが開放的であり、ゆっくりとした時間が流れているように思わせる。

 自分の座っていたオープンテラスを見ると、先ほどまで明子と大笑いしていた姿が浮かんできた。月に数回、ランチをする親友明子とは、困った事も不安も笑いに変わってしまうほど、笑いが絶えない。もう少し、静かにするべきだったと、今更ながら小さくため息をついた。


 男性客?
 確か店内の窓際の席で、スーツ姿の男性が一人居た。私の座っていた場所から、視線に入る位置だったので覚えている。


「申し訳ありませんが、差し支えなければ、ご連絡先を教えていただけますでしょうか?」

 店員が、メモ用紙とペンを私に向けた。


 一瞬ためらい、首を傾げる。このご時世、安易に連絡先を教える事へつい躊躇してしまう。


「もし、取りに来られなかった場合には、警察に届けさせて頂くかもしれませんので、出来ましたら、お名前を教えて頂いた方がよろしいかと……」


「ああ、そうですね」


 私は、カバンから名刺入れを取り出した.


 医療の法人 ハートケア(いろ)クリニック カウンセラー鈴橋星那(すずはしせな)


 名刺を一枚カウンターに置いた。