年も越した2月、一番寒い時期だが相変わらずの日々は続いている。夫婦の日常は甘いお菓子に彩られ、良い香りのする紅茶と共に幸せを演出する。より一層、千秋はそれをカフェにしたいと思うようになっていたのだ。
「それで、どういう感じで始めたいの?」
彼女が訪れたのは連のカフェだ。引っ越してから数度行くだけで暫く行くことが出来ていなかったが、事情を話すと彼は納得してくれた。そしてこの質問である。
「まず、お菓子や紅茶の香りって幸せな匂いがするの、少なくとも私にとってはね。だからそれを少しでも分けるって感覚で始めたいんだよね、カフェ。大分お菓子も覚えたし、それに合う紅茶と淹れ方も覚えられたから。そして何より、「おとぎ話」の中みたいって思って欲しいんだ、来てくれる人に。そうしたら非日常を味わえて楽しそうでしょう?私はそういう夢みたいなものはずっと忘れていたけど、やっと思い出したら灰色の視界に色がついたみたいに綺麗になったの。それこそシンデレラって言われたらそれまでなんだけど。お客さんが、そういった夢を思い出せる場所を私は作りたい。」
「そうだね、これが旦那さんのためとかだったら反対するつもりだったけど、俺は賛成。お客様第一に、どういう感覚を抱いてもらいたいかっていうのは一番大事な要素のうちのひとつだ。俺も手伝うよ。場所は決まってるの?」
「章介さんが、家にある離れを使っていいって。」
じゃあ行こう、ということになり、倉庫代わりに使われていたらしいその場所に足を踏み入れた。中はそこそこに広く、何となくどういった店になるか想像もつく。家と同じようなレンガ造りの建物は、海外風で上手く内装をすればイギリス風にもなるだろう。窓などが壊れているが、そこは直せばいいだけなので問題はない。
「へえ、良いところだね。隠れ家的カフェみたいな感じで人気が出そう。窓を大きくして、いくつか作る。そこに大きなカーテン、それで明るく、入口も少し工夫するというのはどうかな?」
連はすぐにいくつかの案を出してくれるので、本当にありがたい話である。千秋は此処にカウンターと、などと何処に何を置くのか表して楽しげだ。既に章介に内装を請け負ってくれるところを紹介されていたので早速相談することになった。
「温かみのあるイギリス風ですか――。」
「そうなんです。天井も高いですし、窓は大きく二つほど。扉はガラスだけれど、イギリス風の形で中を覗けるようになっていて。あと小さな暖炉も作りたいです、そうしたら暖かいから。マントルピースの上から天井を覆うまでが深緑、そして他の壁は黄色い壁紙にしたいんですよね。」
「ふむ、じゃあこんなタイプはどうですか?」
壁紙の見本を見せられて何度も頷く千秋は、もうひとつの夢が現実化してきたことでとても楽しげだ。連も時々様子を見に来てくれるので、イメージがつきやすい。
「敢えて紅茶の箱を、本棚みたいにして置きたいんだけど、連くんどう思う?」
「別世界に入ったって空間づくりには良い考えだと思う。この店は一人でやっていくけど広いから、ある程度インテリア類を置いてスペースを使うのも良いと思う。今度見に行く?」
「うん、是非そう出来たら嬉しいかも。」
「分かった、予定は後で相談しよう。夜ならいつでも良いんだけど、千秋ちゃん結婚してるからなあ。」
本当は夜そのまま、なんて黒く考えてしまう連だが真っすぐな夢を応援すると決めたのは自分だと諦めて純粋に協力をすることにする。彼女のヴィジョンは確りとしていて、自分が居なくても平気なのではないかと思うほどなのである。真っすぐ、そして真剣に向き合う千秋の姿は色眼鏡無しにより美しく見える、と連は思ったが敢えて口にすることは避けた。相手はやはり人妻であるし、彼女が幸せでないのは本意ではない。どうせならば幸せに夢をかなえて欲しいと彼は思っていた。
そして翌日から始まった改装工事は、冬だと言うのにすんなりと進んでいるようだ。千秋は家の大きな窓からそれを覗いては紅茶を一口飲む。今日はメニューを考えなければならない。
「仕込みのことを考えると一日に置けるお菓子は三つぐらいが限度かなあ。となると日替わりか。」
そう考えながらパソコンを前にして、メモとして残していく。組み合わせや、どのお菓子に合う紅茶などの情報を纏めていく。お菓子教室で見た手作り感満載のパンフレットは良かったな、などと考えてお菓子のメニューは毎日ブラックボードに書くことに決める。集中していると音が聞こえなくなる千秋は、部屋の扉が何度もノックされていることに気づかなかった。完全に意識はカフェ作りの方へ向いている。
「千秋さん。」
結局扉が開いて声を掛けられたところで、はっと気づいたように彼女は顔を上げた。
「何度もノックしたんですが、返事がなかったので開けてしまいました。」
章介はそう言って肩を竦めて見せたが、「良いですか?」と尋ねながら部屋へと入ってくる。そして軽くパソコンの中身を覗き込んで、後ろから彼女を抱きしめた。
「ずっと話が出来ないのは、その――寂しいものですよ。折角一緒に住んでいるのに。」
「ああ、すみません。カフェの方に夢中で。」
そう答えた途端に着信が鳴ったがそれを取ることは許されなかった。というより連からの電話だったため、「今、取り込み中です。」と言って彼が電話を一方的に切ってしまったのだ。
「夢中になるのは良いけど、たまには僕とも話してください。あの呉山って男が最近よく来ているでしょう。きっと僕よりも貴女と話している。貴女は僕のお姫様で奥さんなんですよ?」
寝起きや酔っているときでもないのに、こうして章介が嫉妬心を露わにするのは初めてかもしれない。
「そしてカフェは週に何日やるつもりですか?」
「うーん、今は水曜日を定休日にして毎日営業のつもりです。」
「……いやです、千秋さんそうなったら絶対に僕のことを忘れる。不定期にしてください。」
こういった我儘を言う人だったろうか、と千秋は思ってしまうが大人の余裕なるものに隠されて見えなかった本来の彼の一面なのだろうと答えるために頷いた。
「わかりました、不定期にします。でも、手伝ってくれませんか?私の「おとぎ話」を作ってくれた王子様は章介さん、だからそういうカフェを作るなら、魔法を使える貴方の協力が欲しいんです。」
彼女はそう言って、メモを上の方へスクロールしてどういった趣旨で始めるのかということについて書かれた部分を指した。彼は千秋に引っ付いたままそれを読んでいる。
「なるほど、顧客を異世界へ連れていくというのがコンセプトなんですね。とても良いと思います。そういうことなら非日常を作りだすために、家具なんかを工夫しなければなりませんね。」
すっかり嫉妬を仕舞い込んで、若干仕事モードに切り替わっているのは流石というべきか。
「でも、今日はカフェの話はここまでにしてください。寒いですが休憩がてら出かけましょう。車の中でも楽しめます。」
そう言って半ば強引に連れ出された先は車で少しいった先の湖畔である。外に出るのは寒いからという理由でなくなったが、相変わらず章介が運転する姿はとても恰好いい。写真を一枚勝手に撮って壁紙に設定した。結婚式からずっと変えていなかったが、たまには良いだろう。
「撮ったんですか?」
「ええ、ばっちり。」
ふふ、と千秋は微笑んですっかり壁紙になった写真を見せた。「あとで僕にも撮らせてくださいね。」という章介は久しぶりのデートが楽しいようで、先程の様子は何処へやら、機嫌が良くなっている。湖畔へ着くと、景色をぼんやりと眺める。
「少し煙いかもしれませんが、煙草を一本。」
どうぞ、という意味合いで彼女は頷いた。窓を少し開けられたからか、冷気が入り込んで寒いがまた閉めれば暖まるだろうと考えて、彼女はもう一度頷いてみたりする。咥えた煙草に火をつける彼の姿は映画スターのようで本当に素敵だ。千秋自身が、彼に頓着しないようになっていたのが悪いのだが、ある意味離れていた状況からこれを見れば惚れ直すに決まっている。彼の吐き出す白い煙がするりと窓から抜けた。それが段々薄くなって湖畔へと向かう光景は、魔法の世界のように見える。春になって緑が生い茂ったら此処はもっと綺麗だろう。ピクニックに来るのもいいかもしれない。
「僕ね、今回思ったことがあるんです。――僕の感覚では家庭内別居みたいになってしまって、関わり合いが殆どなくなるっていうのは本当に悲しいことだな、と。ありがちなんですが、僕は僕が思うより貴女を好きになってしまったようです。愛しています、千秋さん。貴女は僕のお姫様、シンデレラ。僕は魔法の使える王子じゃない、魔法を与えてくれたのは紛れもなく貴女なんです。」
改めて確りと伝えられる言葉や気持ちに感動を覚える、それもまた久しぶりのように感じてしまい千秋は余計に愛しいという気持ちが高まった。そして同時に、自分のやりたいことばかりに夢中になって折角の日常を壊しかけたことに申し訳なさも覚えてしまう。この夢を見つける助けをしてくれたのは間違いなく彼であるからこそ、より一層そう感じるのかもしれない。
「ごめんなさい、――折角私のやりたいことを見つけるきっかけをくれたのに。こういう思い出、増やしていきたいです。」
彼女は謝罪の気持ちと愛しさを込めて、煙草の味がする彼の唇に自分のそれを重ねた。キスを受ける間、短くなった煙草を片手間に消した彼は彼女を抱き寄せ口づけを深めていく。そろりと腰へ手が回りかけたところで、彼はそれを止めてしまった。
「――失礼、年甲斐もなく……車だということを忘れていました。」
そうやって恥ずかしげに言う彼はどこか可愛らしく見えてしまい、千秋は小さく笑った。そういえばカフェの関連について現実的に動き始めてから、こういうキスすらなかったことを思い出した。
「章介さん、帰りませんか?」
それはちょっとしたお誘い、千秋の悪戯だ。それにくすと笑みを返した章介は、車を家へ向けて再発進させた。
――連くん、ごめんなさい。家具は章介さんと選ぶことになったの。また連絡します。
朝からそう一報入れて、眠る章介の胸元に千秋はすり寄った。規則正しい心音が心地よくて、また眠りに落ちそうになるが今日は一緒に家具を見に行く約束をしていたことを思い出す。ゆっくり起き上がろうとすると、抱き寄せようとする腕がそれを妨害した。
「ちあきさん、」
「大丈夫ですよ、もう没頭して忘れたりなんかしません。」
「んー、おはよ。」
彼は少し体を起こしてクッションに背を預け、煙草を咥えた。寝起きの一本は彼の習慣である。その間に千秋は着替えを済ませ、化粧を施していく。随分上手くなったものだと自分でも思う。
「目は覚めました?」
「ええ、この通り。千秋さんと過ごす朝は冬でも暖かいです。」
「今日は家具選び、お願いしても良いですか?」
「そういう約束でしたから勿論お引き受けします。この前の家具店で良いでしょう、でもカフェなら美術品も必要か……僕の趣味で良ければ絵画を二点ほど用意しますがどうですか?あと、家具類についても僕が援助しましょう。気になるなら売上から返してください。」
「良いんですか?」
千秋が尋ね返すと章介は勿論、とすぐに頷きを返してくれたので彼女は嬉しそうに微笑んだ。寝室中が魔法で満たされたように心を温かくしていく、幸福感とはこういうものかと実感できるのはとても素敵なことだ。
そして引っ越し以来、来ることの無かった家具店に足を踏み入れた。照明はやはりシャンデリアだろう、と初めから決めているので以前足を運んだブースを見に来る。色々なデザインがある中、章介がひとつを指し示した。
「これ、僕がイギリスで子供の頃、家族で招かれた貴族のマナーハウスのものに似ています。」
見たところ小ぶりではあるが、十分見栄えが良い。そして実際に見たからこそわかる情報もそこに加わって、千秋はそれ以外のものが目に入らなくなってしまったので結局それにすることにした。他にはテーブルや椅子も必要だ。
「これどうですか?」
円卓になっていて、ロンドンの邸宅の一室にありそうなものである。章介はそれを見たあと、ゆっくりと頷いた。
「それに合わせるならばあのチェアが二つあると良いでしょう。招かれた屋敷にあったような気がします。あとは人数が来たときに寛げるソファとそれに合うテーブルがあると良いかもしれませんね。暖炉の側に置いて囲めるように。」
章介はすぐに千秋の手を引いてソファの置いてあるコーナーへと連れていった。家にあるベルベッドのソファに似たデザインだが、革張りの2シーターだ。千秋は先程彼が言ってくれたイメージのお陰でそれを置いた店内の様子を容易に想像することが出来た。
「革張りだと高級感があるしお掃除が楽そう。」
「ベルベットだと万が一顧客が何かをこぼしたときにシミになってしまいますから。」
後ろをついてくる店員にこれを二つ、と深緑色をしたそれを買うと話した章介はテーブルも簡単に決めてしまった。
大体のものが揃い、今度はメニューボードになるものを探しに行くことになった。連に教わっていた洋品の多いアンティークのお店だ。二人は手を繋いだまま、店内を歩く。そこで目に入ったのが古いレジスター、表示がデジタルではなく店の雰囲気を壊さずに使えそうだ。一目で気に入り、千秋はそれに決めた。肝心のメニューボードは生憎その店になく、手作りすることになって古い額縁のみ買うことに決まる。
「それで、どういう感じで始めたいの?」
彼女が訪れたのは連のカフェだ。引っ越してから数度行くだけで暫く行くことが出来ていなかったが、事情を話すと彼は納得してくれた。そしてこの質問である。
「まず、お菓子や紅茶の香りって幸せな匂いがするの、少なくとも私にとってはね。だからそれを少しでも分けるって感覚で始めたいんだよね、カフェ。大分お菓子も覚えたし、それに合う紅茶と淹れ方も覚えられたから。そして何より、「おとぎ話」の中みたいって思って欲しいんだ、来てくれる人に。そうしたら非日常を味わえて楽しそうでしょう?私はそういう夢みたいなものはずっと忘れていたけど、やっと思い出したら灰色の視界に色がついたみたいに綺麗になったの。それこそシンデレラって言われたらそれまでなんだけど。お客さんが、そういった夢を思い出せる場所を私は作りたい。」
「そうだね、これが旦那さんのためとかだったら反対するつもりだったけど、俺は賛成。お客様第一に、どういう感覚を抱いてもらいたいかっていうのは一番大事な要素のうちのひとつだ。俺も手伝うよ。場所は決まってるの?」
「章介さんが、家にある離れを使っていいって。」
じゃあ行こう、ということになり、倉庫代わりに使われていたらしいその場所に足を踏み入れた。中はそこそこに広く、何となくどういった店になるか想像もつく。家と同じようなレンガ造りの建物は、海外風で上手く内装をすればイギリス風にもなるだろう。窓などが壊れているが、そこは直せばいいだけなので問題はない。
「へえ、良いところだね。隠れ家的カフェみたいな感じで人気が出そう。窓を大きくして、いくつか作る。そこに大きなカーテン、それで明るく、入口も少し工夫するというのはどうかな?」
連はすぐにいくつかの案を出してくれるので、本当にありがたい話である。千秋は此処にカウンターと、などと何処に何を置くのか表して楽しげだ。既に章介に内装を請け負ってくれるところを紹介されていたので早速相談することになった。
「温かみのあるイギリス風ですか――。」
「そうなんです。天井も高いですし、窓は大きく二つほど。扉はガラスだけれど、イギリス風の形で中を覗けるようになっていて。あと小さな暖炉も作りたいです、そうしたら暖かいから。マントルピースの上から天井を覆うまでが深緑、そして他の壁は黄色い壁紙にしたいんですよね。」
「ふむ、じゃあこんなタイプはどうですか?」
壁紙の見本を見せられて何度も頷く千秋は、もうひとつの夢が現実化してきたことでとても楽しげだ。連も時々様子を見に来てくれるので、イメージがつきやすい。
「敢えて紅茶の箱を、本棚みたいにして置きたいんだけど、連くんどう思う?」
「別世界に入ったって空間づくりには良い考えだと思う。この店は一人でやっていくけど広いから、ある程度インテリア類を置いてスペースを使うのも良いと思う。今度見に行く?」
「うん、是非そう出来たら嬉しいかも。」
「分かった、予定は後で相談しよう。夜ならいつでも良いんだけど、千秋ちゃん結婚してるからなあ。」
本当は夜そのまま、なんて黒く考えてしまう連だが真っすぐな夢を応援すると決めたのは自分だと諦めて純粋に協力をすることにする。彼女のヴィジョンは確りとしていて、自分が居なくても平気なのではないかと思うほどなのである。真っすぐ、そして真剣に向き合う千秋の姿は色眼鏡無しにより美しく見える、と連は思ったが敢えて口にすることは避けた。相手はやはり人妻であるし、彼女が幸せでないのは本意ではない。どうせならば幸せに夢をかなえて欲しいと彼は思っていた。
そして翌日から始まった改装工事は、冬だと言うのにすんなりと進んでいるようだ。千秋は家の大きな窓からそれを覗いては紅茶を一口飲む。今日はメニューを考えなければならない。
「仕込みのことを考えると一日に置けるお菓子は三つぐらいが限度かなあ。となると日替わりか。」
そう考えながらパソコンを前にして、メモとして残していく。組み合わせや、どのお菓子に合う紅茶などの情報を纏めていく。お菓子教室で見た手作り感満載のパンフレットは良かったな、などと考えてお菓子のメニューは毎日ブラックボードに書くことに決める。集中していると音が聞こえなくなる千秋は、部屋の扉が何度もノックされていることに気づかなかった。完全に意識はカフェ作りの方へ向いている。
「千秋さん。」
結局扉が開いて声を掛けられたところで、はっと気づいたように彼女は顔を上げた。
「何度もノックしたんですが、返事がなかったので開けてしまいました。」
章介はそう言って肩を竦めて見せたが、「良いですか?」と尋ねながら部屋へと入ってくる。そして軽くパソコンの中身を覗き込んで、後ろから彼女を抱きしめた。
「ずっと話が出来ないのは、その――寂しいものですよ。折角一緒に住んでいるのに。」
「ああ、すみません。カフェの方に夢中で。」
そう答えた途端に着信が鳴ったがそれを取ることは許されなかった。というより連からの電話だったため、「今、取り込み中です。」と言って彼が電話を一方的に切ってしまったのだ。
「夢中になるのは良いけど、たまには僕とも話してください。あの呉山って男が最近よく来ているでしょう。きっと僕よりも貴女と話している。貴女は僕のお姫様で奥さんなんですよ?」
寝起きや酔っているときでもないのに、こうして章介が嫉妬心を露わにするのは初めてかもしれない。
「そしてカフェは週に何日やるつもりですか?」
「うーん、今は水曜日を定休日にして毎日営業のつもりです。」
「……いやです、千秋さんそうなったら絶対に僕のことを忘れる。不定期にしてください。」
こういった我儘を言う人だったろうか、と千秋は思ってしまうが大人の余裕なるものに隠されて見えなかった本来の彼の一面なのだろうと答えるために頷いた。
「わかりました、不定期にします。でも、手伝ってくれませんか?私の「おとぎ話」を作ってくれた王子様は章介さん、だからそういうカフェを作るなら、魔法を使える貴方の協力が欲しいんです。」
彼女はそう言って、メモを上の方へスクロールしてどういった趣旨で始めるのかということについて書かれた部分を指した。彼は千秋に引っ付いたままそれを読んでいる。
「なるほど、顧客を異世界へ連れていくというのがコンセプトなんですね。とても良いと思います。そういうことなら非日常を作りだすために、家具なんかを工夫しなければなりませんね。」
すっかり嫉妬を仕舞い込んで、若干仕事モードに切り替わっているのは流石というべきか。
「でも、今日はカフェの話はここまでにしてください。寒いですが休憩がてら出かけましょう。車の中でも楽しめます。」
そう言って半ば強引に連れ出された先は車で少しいった先の湖畔である。外に出るのは寒いからという理由でなくなったが、相変わらず章介が運転する姿はとても恰好いい。写真を一枚勝手に撮って壁紙に設定した。結婚式からずっと変えていなかったが、たまには良いだろう。
「撮ったんですか?」
「ええ、ばっちり。」
ふふ、と千秋は微笑んですっかり壁紙になった写真を見せた。「あとで僕にも撮らせてくださいね。」という章介は久しぶりのデートが楽しいようで、先程の様子は何処へやら、機嫌が良くなっている。湖畔へ着くと、景色をぼんやりと眺める。
「少し煙いかもしれませんが、煙草を一本。」
どうぞ、という意味合いで彼女は頷いた。窓を少し開けられたからか、冷気が入り込んで寒いがまた閉めれば暖まるだろうと考えて、彼女はもう一度頷いてみたりする。咥えた煙草に火をつける彼の姿は映画スターのようで本当に素敵だ。千秋自身が、彼に頓着しないようになっていたのが悪いのだが、ある意味離れていた状況からこれを見れば惚れ直すに決まっている。彼の吐き出す白い煙がするりと窓から抜けた。それが段々薄くなって湖畔へと向かう光景は、魔法の世界のように見える。春になって緑が生い茂ったら此処はもっと綺麗だろう。ピクニックに来るのもいいかもしれない。
「僕ね、今回思ったことがあるんです。――僕の感覚では家庭内別居みたいになってしまって、関わり合いが殆どなくなるっていうのは本当に悲しいことだな、と。ありがちなんですが、僕は僕が思うより貴女を好きになってしまったようです。愛しています、千秋さん。貴女は僕のお姫様、シンデレラ。僕は魔法の使える王子じゃない、魔法を与えてくれたのは紛れもなく貴女なんです。」
改めて確りと伝えられる言葉や気持ちに感動を覚える、それもまた久しぶりのように感じてしまい千秋は余計に愛しいという気持ちが高まった。そして同時に、自分のやりたいことばかりに夢中になって折角の日常を壊しかけたことに申し訳なさも覚えてしまう。この夢を見つける助けをしてくれたのは間違いなく彼であるからこそ、より一層そう感じるのかもしれない。
「ごめんなさい、――折角私のやりたいことを見つけるきっかけをくれたのに。こういう思い出、増やしていきたいです。」
彼女は謝罪の気持ちと愛しさを込めて、煙草の味がする彼の唇に自分のそれを重ねた。キスを受ける間、短くなった煙草を片手間に消した彼は彼女を抱き寄せ口づけを深めていく。そろりと腰へ手が回りかけたところで、彼はそれを止めてしまった。
「――失礼、年甲斐もなく……車だということを忘れていました。」
そうやって恥ずかしげに言う彼はどこか可愛らしく見えてしまい、千秋は小さく笑った。そういえばカフェの関連について現実的に動き始めてから、こういうキスすらなかったことを思い出した。
「章介さん、帰りませんか?」
それはちょっとしたお誘い、千秋の悪戯だ。それにくすと笑みを返した章介は、車を家へ向けて再発進させた。
――連くん、ごめんなさい。家具は章介さんと選ぶことになったの。また連絡します。
朝からそう一報入れて、眠る章介の胸元に千秋はすり寄った。規則正しい心音が心地よくて、また眠りに落ちそうになるが今日は一緒に家具を見に行く約束をしていたことを思い出す。ゆっくり起き上がろうとすると、抱き寄せようとする腕がそれを妨害した。
「ちあきさん、」
「大丈夫ですよ、もう没頭して忘れたりなんかしません。」
「んー、おはよ。」
彼は少し体を起こしてクッションに背を預け、煙草を咥えた。寝起きの一本は彼の習慣である。その間に千秋は着替えを済ませ、化粧を施していく。随分上手くなったものだと自分でも思う。
「目は覚めました?」
「ええ、この通り。千秋さんと過ごす朝は冬でも暖かいです。」
「今日は家具選び、お願いしても良いですか?」
「そういう約束でしたから勿論お引き受けします。この前の家具店で良いでしょう、でもカフェなら美術品も必要か……僕の趣味で良ければ絵画を二点ほど用意しますがどうですか?あと、家具類についても僕が援助しましょう。気になるなら売上から返してください。」
「良いんですか?」
千秋が尋ね返すと章介は勿論、とすぐに頷きを返してくれたので彼女は嬉しそうに微笑んだ。寝室中が魔法で満たされたように心を温かくしていく、幸福感とはこういうものかと実感できるのはとても素敵なことだ。
そして引っ越し以来、来ることの無かった家具店に足を踏み入れた。照明はやはりシャンデリアだろう、と初めから決めているので以前足を運んだブースを見に来る。色々なデザインがある中、章介がひとつを指し示した。
「これ、僕がイギリスで子供の頃、家族で招かれた貴族のマナーハウスのものに似ています。」
見たところ小ぶりではあるが、十分見栄えが良い。そして実際に見たからこそわかる情報もそこに加わって、千秋はそれ以外のものが目に入らなくなってしまったので結局それにすることにした。他にはテーブルや椅子も必要だ。
「これどうですか?」
円卓になっていて、ロンドンの邸宅の一室にありそうなものである。章介はそれを見たあと、ゆっくりと頷いた。
「それに合わせるならばあのチェアが二つあると良いでしょう。招かれた屋敷にあったような気がします。あとは人数が来たときに寛げるソファとそれに合うテーブルがあると良いかもしれませんね。暖炉の側に置いて囲めるように。」
章介はすぐに千秋の手を引いてソファの置いてあるコーナーへと連れていった。家にあるベルベッドのソファに似たデザインだが、革張りの2シーターだ。千秋は先程彼が言ってくれたイメージのお陰でそれを置いた店内の様子を容易に想像することが出来た。
「革張りだと高級感があるしお掃除が楽そう。」
「ベルベットだと万が一顧客が何かをこぼしたときにシミになってしまいますから。」
後ろをついてくる店員にこれを二つ、と深緑色をしたそれを買うと話した章介はテーブルも簡単に決めてしまった。
大体のものが揃い、今度はメニューボードになるものを探しに行くことになった。連に教わっていた洋品の多いアンティークのお店だ。二人は手を繋いだまま、店内を歩く。そこで目に入ったのが古いレジスター、表示がデジタルではなく店の雰囲気を壊さずに使えそうだ。一目で気に入り、千秋はそれに決めた。肝心のメニューボードは生憎その店になく、手作りすることになって古い額縁のみ買うことに決まる。
