おとぎ話を信じる年齢なんてとっくに過ぎました!~OLシンデレラと大人王子~

 「それで、紅茶については一発合格だったんです。章介さんのお陰!王子様の魔法です!」
 そう言って彼女はいつものように章介に甘えるように抱き着いた。イギリス育ちの彼は勿論紅茶に詳しく、独自にブレンドティーを作っていたりするぐらいの愛好家だ。ティーパックを使うこともあるが、殆どは茶葉が活躍する。千秋はその様子を逐一見ていたので、本当に魔法のように感じたのだ。
 「もしかすると、千秋さんは見て学ぶことについて才能があるかもしれませんね。そういえば家具選びのときもそうでした、最終的に僕の好みを把握して自分の好みとすり合わせていたでしょう。そういうことって普通の人は出来ないんです。――つまり、顧客の好みを把握して行動出来る。きっと貴女はカフェ経営に向いていますよ。」
 冗談で言ったはずの自分の言葉が彼女を本気にさせ、且つ新たな才能を見つけるきっかけになるとは思ってもいなかったと正直な感想を口にする。カフェ経営をしたいと彼女が言わなければ、自分の会社に連れて行って一緒に働いてもらったかもしれないとさえ彼は思っていた。
 二度目のレッスンの日は雨だった。冬の日の雨は寒いが、お菓子の香りはそれを凌駕して人を幸せにする気がすると改めて千秋は思う。
 「さて、今日は簡単にドロップクッキーを作りましょう。その名の通り、スプーンで掬って生地を落として焼き上げるクッキーよ。作り方はとっても簡単、レシピの通り。もしお店で出すなら、今回みたいにチョコチップじゃなくてもいいかもしれないわね。例えば、茶葉にしてみるとか。」
 先生の言う言葉を渡された手作りのレシピノートに書いていく。実際の作業は本当に簡単だった。
 「練ったバターに砂糖を加えてすり混ぜるっていうのは大抵のクッキーのレシピではありがちね。覚えておいて損はないわよ。」
 作業中の様子を眺めながら、先生は座ってお茶を飲んでいる。快活な人だが、そうしているとやはり優雅な奥様といった雰囲気だ。
 「卵とふるいにかけた薄力粉、……。」
 「そこはさっくり混ぜるのがポイントよ。慌ててかき混ぜすぎると固くなってしまうの。」
 言われたとおりに、へらで切るように混ぜていくと先生は頷いた。
 「そこにチョコチップを加えましょう。混ぜ方はさっきと同じ、気を付けてね。」
 柔らかい生地は想像する型抜きクッキーの生地と違って柔らかく混ぜやすい。チョコチップが均等に混ざったところで、天板に敷かれたペーパーの上にスプーンを二本使って生地を落としていく。最初は不格好だったが、先生のお手本を見てからは上手に丸くなるようになり、褒められた。あとは焼き上がりを待つのみである。
 その間に、紅茶について教わることになったのでメモを取る準備はばっちりだ。
 「まず今回のクッキーにはチョコレートを使ったわね。これに合う茶葉は何かわかる?」
 尋ねられると確か貰った本に書いてあったような、と記憶をたどり始める千秋に先生は微笑みかけた。
 「正解はアールグレイよ。あれには柑橘系の香りがついているでしょう、チョコレートに合うフルーツも柑橘系。つまり、紅茶も同じ原理なの。」
 「香りに合わせて出す感覚なんですね。」
 「当然よ、相互作用があるもの。そういえばひとつ聞いても良い?千秋さんの旦那さんって、海外の人だったりする?ほら、旦那さんの真似をしたら紅茶を淹れられたって聞いたから。」
 「うーん、そうですね。彼はイギリス育ちって聞いてます、帰国子女だったそうです。」
 「なるほどね、それは納得したわ。真似を出来ちゃう千秋さんも凄いけどね。」
 そうやって話している間にオーブンレンジが焼き上がりを告げた。天板ごと取り出して、チョコレートの香りのするそれを大理石のキッチンへと載せる。
 「あとは冷めるのを待ちましょう。折角だから旦那さんにお土産として持って帰ると良いわね。」
 悪戯っぽく先生は笑って手をぽんと叩いた。
 「さて、要領の話だけれど、もし店をやるならそれがとっても重要になってくる。準備にも時間がかかるし、いくつものお菓子を作っておかなければならない。でもそのときにキッチンが汚れていたら作業効率が落ちる。つまり言いたいことはわかる?」
 「作りながら、片付け?」
 「その通り。やっぱり千秋さんは覚えも良いし、筋が良いみたい。私も教え甲斐があるわ。店がオープンしたら是非通わせてね。」
 言いながら冷めたクッキーを袋に詰めて渡してくれた先生は微笑んだ。本当に心強い味方である。

 家に帰ると、ちょうどリビングで仕事の電話をしていたらしい章介と鉢合わせになった。彼は眉を寄せ少し苛ついた口調で話しながら、室内を行ったり来たりしている。
 「――僕は2案と指示したはずだが何故3案が上がって来てるんだ?伝達ミスだ、初歩的過ぎる。やり直しを指示して今日中に2案で進めたものを提出させろ。切るぞ。」
 やはり仕事している姿は普段と違った格好良さがある、と千秋は思った。危うく両手で大事に抱えていたクッキーの入った袋を落とすところだった。
 「お仕事お疲れさまです、章介さん。」
 「見苦しいところを見せたね、申し訳ない。おかえりなさい、千秋さん。んー、甘い匂いがする。」
 目敏い彼はいち早くドロップクッキーの存在に気づいたらしく、千秋を抱きしめかけてそれを止めた。
 「約束のお菓子です。教室で初めて習ったお菓子なんですよ!一緒に食べませんか?」
 「聞いていたかもしれないけれど、ちょっと伝達ミスがあったようで直しが上がるのを待っているんです。是非食べたいな。紅茶は?」
 「欲しいです!先生がアールグレイが合うよって言ってました。」
 「定石だな、じゃあ敢えて他のもので試してみよう。ウバなんてどうです?本当はアッサムでも良いんですが、そっちはミルクティーにする方が僕は好みでね。」
 流石はイギリス育ちといったところか、どの茶葉がどれに合うのか熟知しているのが流石である。早速準備し始めた彼は電気ポットではなく敢えて水道水を使う。彼曰く、水道水には空気が含まれていて、紅茶の香りが出やすいのだそうだ。これは以前から聞いていた話なので、彼女はよく覚えていた。
 出された紅茶と、皿へ盛り付けたクッキー。良い香りが漂って、千秋はとても幸せな気分になった。それは章介も同じなようで、クッキーに早速手をつけ幸せそうな顔をしている。彼女は同じようにクッキーを一口食べてから紅茶を飲んでみる。
 「ん、メントール系ですっきりしますね。チョコレートのもったり感を洗うような感じ。」
 「そうです。アールグレイも柑橘系でどちらかと言えばすっきりするお茶ですから、同じようにメントール系のウバも合うんです。」
 詳しくアドバイスしてくれる章介の言葉をメモしながら、千秋は胸がいっぱいになる感覚を覚えていた。こうして、教室に通って菓子を作り、持ち帰ったそれらを章介が味見して合う紅茶を覚える。そんな日々が続いた。こうして頑張ることが日常となりつつあるのは、彼のお陰でここまでの充足感を得られたのも今回が初めてである。人生初の試みに、千秋はウキウキとしていた。