朝になり、高槻は「18時に駅で」という言葉を残して、彩のマンションを出て行った。



持ちものは、必要最低限だけあればいい。

キャリーバッグに数日分の服を詰め、彩は身支度を整える。



スマホの充電を終え、電源を入れると、瞬間、けたたましい音で着信が鳴った。

画面には、店長の名前が表示されていた。


少し迷ったけれど、でも最後に無視することはできなかった。



「彩!」


通話ボタンを押すと、店長の怒声にも似た声に呼ばれた。



「何やってんだよ! お前の客、毎日何組きてると思ってんだよ! もうこれ以上は誤魔化せねぇぞ!」


店長の怒りは当然だと思う。

けれど、彩の気持ちはもう揺るがない。


過去はここへ置いてゆくと決めたのだ。



「ねぇ、マサ兄。施設に入った時からずっと、マサ兄が家族の代わりでいてくれて、嬉しかったよ。『生きる理由がないなら俺の夢に乗れよ』って言ってくれて、本当に嬉しかった」

「は? 何を急に……」

「でもね、もう無理だよ。私にはできない。私はマサ兄のための道具じゃない。私は幸せになりたいの」


涙が溢れて、でも彩ははっきりと言う。



「ごめんね」

「おい、あみ!」

「ばいばい、マサ兄」


店長との記憶を振り払い、電話を切って涙を拭う。


時刻は17時半を迎えていた。

彩はキャリーバッグを手に立ち上がり、振り向くことなく部屋を出た。