「ここはどこだ、ハーティエか?」
「いいえ、テイリーンです。国は出ていません」
「この屋敷は貴方のものでは?」
「いいえ。私は居候ですね」
「なら……」
「主人の名を聞きますか?」
「……いや……質問を変える」
「ふふ……どうぞ?」
「私に協力しろと言ったな? そんな必要は無さそうに見える」
「そんなことはありません」
「立派な屋敷だ。主人は相当な権力の持ち主なのでは?」
「そうですね」
「これだけの後ろ盾があれば、他国の騎士ごときどうとでもなるだろう」
「ああ……そちらはね、どうとでもなります。協力してもらいたいのは別のことです」
「別のこと?」
「これまで通り、私に案内と護衛を」
「植物の採集のか?」
「それも聞きたいですか?」
「そうじゃないのか?」
「採集はしてますよ……ついでに、ですけど」

しれっと答えたリンフォードに、ローレルは固く目を閉じて苛立たしさを紛らわせようとする。
成果は無かろうがあっさりと引き上げていたのは、植物の採集が本来では無かったからだ。
自分が何か良からぬことの片棒を担がされていたのかと思うと、腑が煮える思いがする。

「本来の目的はなんだ」
「言って良いんですか?」
「いや、いい…………次はどこへ行く気だ?」
「ふふ!……いいですよ、ローレルさん。危ういものを上手く避けてます」
「答えろ」
「最初に行った森のもっと西寄りを考えています」
「西?」
「はい、プロヴァル付近まで」

昨日までいたのは、イーリィズとこのテイリーン、ハーティエの三国が隣り合っている場所付近だったが、リンフォードが言っているのはその反対側。

この国とハーティエとプロヴァルも三国が隣り合う。

何か大掛かりで、それも良く無いことを図っている気しかしない。
これまで行ったのは、ハーティエと隣接した国境付近ばかりだ。
ばかりだが、考えたところでどうしようもない。

「そこへ行けば、それで終わりか?」
「うーん、それはローレルさん次第ですかね」
「どういう意味だ」
「いく場所はまだありますという意味です」
「他にどこに?」
「ハーティエです」
「は?」
「ローレルさんは王城内をよくご存知ですよね」
「………………待て。待て待て……今のは聞かなかったことに」
「あは。もう言っちゃったので、元には戻りませんね」
「なんだ戦でも始める気か」
「わぁ! 言い当てちゃうんだもんなぁ。さすがローレルさん」
「知らない、聞かなかった。私は何も答えてない。協力はしない」
「うーん…………ローレルさんは脅しには屈しませんよね」
「このまま放り出されてしばらく騎士に追われる方がマシだ」
「そうですか? あの……誰でしたっけ、レアなんとかとか言いましたっけ、クズ中のクズ。あいつと寄りを戻す気ですか?」
「手の届かない場所まで逃げる覚悟が、今できた」
「ああ、でもローレルさんは私の性格をよくご存知でしょう」
「なにも知らないぞ」
「これだと思ったら諦められないんですよね」
「どうかしてる」
「どうかしてるのは私ではありませんよ、それもよくご存知でしょう?」
「なに、を……」
「どうしてハーティエを出たんですか?」
「それは」
「あの国の方こそ、どうかしている」
「私を巻き込まないでくれ」
「もう遅いですよ? すごぉく遅い。最初の依頼を受けなければ良かったのに」

個人の争いにも、国同士の戦に巻き込まれるのも、もう本当に面倒でしかない。
あの中では自分がどんどん消えていく。
人を殺す度に、自分も死んでゆく。
ただ言われるままに動くだけ。
そんな場所には、もう戻りたくない。

「プロヴァルとの国境までは案内する」
「ありがとうございます」
「それで今回の借りは返せるはずだ」
「貸しだなんて思っていませんよ? 私はローレルさんに協力して欲しいんです」
「そこで最後だ」
「……………話は聞きました。でも諦めませんよ?」
「いつ出かけるんだ?」
「疲れてるし、準備もそれなりにしたいので……しばらくはローレルさんもゆっくり過ごして下さい」
「この屋敷でか?」
「そうですね。不自由な思いはさせません」
「日どりが決まったらすぐに教えてくれ」
「もちろんです」

さあ、とリンフォードは軽く手を打ち合わせる。

「どうしましょう、屋敷の中をご案内しましょうか?」
「何も知りたくはない。部屋からも出ない」
「うーん。気が早過ぎましたかね。上手くいかないなぁ……でも部屋にこもりきりだと息が詰まりませんか。庭でも散歩します? それなら大丈夫でしょう?」

リンフォードは立ち上がり、カーテンを引いて、両手で大きな窓を押し開ける。

同時に反対側の扉が勢い良く開いて、先程の青年が飛び込んでくる。

「何ですかアート。伺いもなく」
「い、いや。窓が開いたから……!」
「私がやられてローレルさんが逃亡したとでも思いましたか?」
「全くその通りで返す言葉が見つからねぇわ!!」
「ローレルさん、彼はアート。私の弟子的な……何でしょう? 嫌味係のひとりです」
「純粋な弟子だわ! 嫌味は師匠(せんせい)が言わせてんだろ!」
「アート。ローレルさんにあいさつをしなさい」
「…………アート……どうも」
「何ですかね。私の挙動にはみんな厳しいのに、アートは無法なんですよ、腹立たしい! ちゃんとあいさつをしなさい。私の善導が疑われます」
「アート ワトモアです。先程から大変失礼を致しました。以後お見知り置き下さい」

アートの美しい一礼に、リンフォードは大きく息を吐き出した。

「どうですか、この猫被り……脱がずにずっと被ってれば良いのに」
師匠(せんせい)見て育ったんでぇー。仕上がりもこんな感じですぅー」
「ほんとにもう。ああ言えばこう言う」
師匠(せんせい)見てぇー……」
「ああ、はいはい。もういいですから、ソニアを呼んできて下さい」
「かーしこーまぁーりぃー」
「いいから行きなさい!……まったくもう。すみません、ローレルさん……ローレルさん?」

ローレルはぐってりと椅子の背もたれに体重を預けて、天井を睨んでいた。

「すみませんねぇ……彼を甘やかしたつもりはないんですけど」
「静かにしろ、考えてるんだ」
「難しく考えずに私に身も心も委ねてください?」
「………………………は?」
「わぁ。ものすごい殺気ですね」



今度は穏やかに扉を叩く音がして、入室を伺う女性の声がする。

きちんと許可を受けて扉を開けたのは、ソニアだった。

「お呼びでしょうか」
「うん。ローレルさんにソニアをちゃんと紹介してなかったと思ってね」
「私もきちんとご紹介を受けておりませんが?」
「はい、これが私の筆頭嫌味係のソニア。何か困ったことがあったら、さっきのアートか、このソニアに言ってくださいね」
「坊っちゃま?」
「こちらローレルさん。詳細は知っての通り……概ね間違いありません。あ、すみません、ローレルさんのことは前もって色々調べさせてもらいましたし、これまでの大体のことはアートとソニアも知っています」
「坊っちゃま」
「道理が通ってないことは弁えています。でもこれは戦ですから。きれいごとで済ませられません」
「おふたりで話し合われたのでは?」
「おふたりだけでは難しいので、間に誰かいた方がとね」
「坊っちゃまが悪い」
「え?! 酷い!!」
「一方的に巻き込んでいる自覚はおありですか」
「ありますよ! ……ありますよ? ローレルさん」
「なぜこちらにお連れになられたのです」
「……まぁ、端的に言うと『色々めんどくさくなった』?」
「こんなご予定は無かったはずです」
「ソニアは想定外にも柔軟に対応しなさいね」
「……坊っちゃまの度を越した厚かましさをお詫びいたします」
「おやおや。もうこれは嫌味の範疇じゃないね」
「想定外でも予定通りにお運びなさいませ」
「というと?」
「ローレル様に関してはは当初の予定の通りで宜しいかと」
「……それは、どういった予定だろうか」
「あ、やっと食い付きましたね」
「坊っちゃま!」

リンフォードは窓辺から円卓に戻り、ゆっくりと腰を下ろして席に着いた。
柔らかく笑ってローレルを見つめる。

「プロヴァルまでの案内と護衛です。それを最後に貴女には一切関わらない予定でした」
「……なら!」
「うーん……でも色々知られちゃったしなー。このまま無かったことにはならないでしょう?」
「なら、この国から出る。なんならもうひとつ向こうの国に行っても良い」
「えー? それもどうですかねぇ」
「何が問題なんだ」
「思ったよりローレルさんが使えるのが悪いんですよ?」
「使える?」
「王師団長の女だったんでしょう?」

ぎりと奥歯を噛んで真前を睨みつけるが、リンフォードは爽やかなそよ風を受けたように微笑んでいる。

「『元』部下よりうんと価値が上がります」
「この方を怒らせて協力が仰げるとお思いですか、良い加減になさいませ!」
「…………そうですね。このままだと斬り殺されそうです。どうしてローレルさんに意地悪を言ってしまうんでしょうか……不思議です」
「坊っちゃま……」
「ローレルさんの機嫌を取るのはソニアに任せますよ」
「時間までアートに指南なさいませ」
「はいはい……出て行きますよ。散歩はまた後にしましょうね、ローレルさん」

にっこり笑って、リンフォードはふわりと軽い足取りで部屋を出て行った。

扉が開くと、ほのかに暖かい外の空気が入りこんでカーテンを軽く揺らす。

ソニアはローレルの側に立ち、深々と頭を下げていた。

「私が申し上げる立場でないことは重々と承知しておりますが、本当に申し訳ありません」
「…………おっしゃる通りだ。貴女に謝っていただかなくて結構」
「ローレル様」
「坊っちゃまとやらにも謝ってもらわなくて構わない。事実だ。言い方はどうあれ」
「お恥ずかしい限りです」
「貴女がそんなに畏まらなくてもいい」
「寛大さに感謝いたします」
「……一人にしてもらえるか?」
「お飲み物を」
「いや、結構だ」
「失礼いたします」






昼時を過ぎたころ、リンフォードは何事もなかったように部屋に戻ってきた。

用意された食事を無言で食べる。

ローレルもその時には怒りは収まっていた。
ほんの、ほんの少しだけ。

「庭を歩きませんか?」

リンフォードに腕を差し出されたが、ローレルはそれを見なかったことにして、庭に面した大きな窓から外に出た。

午前とは変わって薄曇りの空だったが、柔らかな陽射しはあった。
ほのかな風には湿気が含まれて、雨の気配に空を見上げる。

「夜には降りますかねぇ」

隣ではリンフォードも同じように空を見上げていた。

「少し歩いたら、着替えましょうか?」
「なぜだ」
「その格好は少し地味なので」
「どういう意味だ?」
「一応、私もどうかと思うとご進言したんですよ? でも、どうしてもって」
「主人に会えと?」
「私と一緒で、言い出したら聞かないので」
「会って何になるんだ」
「どうでしょう、私の受けた印象だと、ただ会って話してみたいって感じですかね」

ローレルはその場に立ち竦んで、顔を両手で押さえる。
ぎゅうとめいいっぱい縮こまったあと、顔をごしごしと擦って、威勢よく吠えた。

息を整えて何事もなかったように姿勢を整える。

「……分かった。伺おう」
「ふふふ……その思い切りの良さ。本当にローレルさんは素敵ですね」
「着替える」
「衣装は私が選んでも?」
「好きにしろ、どうでもいい」
「なんて男らしいんでしょうか。惚れ惚れします」

早速、と部屋に戻ってソニアを呼びつけると、リンフォードはローレルの衣装を用意させる。

別の部屋で着替えてきたリンフォードは、これぞ魔術師といった、立派なローブ姿だった。

ローレルはこれまで通りの男装だが、こちらも上等な騎士服に倣ったもの。



上衣はリンフォードのローブと色が同じ、黒に近い赤紫。



屋敷を出て光沢のある豪勢な四頭立ての馬車に乗り込んだ。


どういうことだと分かりやすく顔に書いてリンフォードを見ると、向かい合ったローレルを見て笑顔を深める。

リンフォードの顔にはそういうことだと書いてあるのが読めるようだった。






黒を溶かした赤紫はそれを許された者しか纏うことができない。

忠誠を誓う臣の証。




ハーティエの正統な王の色だ。