最上層の自室から地下牢手前の控室まで。
王城の上から下、端から端までを歩き通す。

ゆっくりと歩き、途中よろよろとしながらも、人とすれ違う間だけはしゃっきりと背筋を伸ばすだけの気概はあった。

リンフォードが騎士たちのいる控室を訪れると、奥の机にはスタンリー、その手前にはジェイミーがペンを握っていた。

ふたりは珍しい来訪者になんとも言えない顔を向けている。

「何ですか?」
「いやこっちが聞きたい。何してんの?」
「本日の分をお持ちしたんですよ」
「あ、いや。そういうことじゃなく」
「アートは魔力切れで今日は一日……」
「いやいやそういうことでもなく」
「なんなんですか」
「ほんと何なのお前」

一気に疲れたような顔をされたので、リンフォードもさらに疲れた顔をし返してやる。

革の包みをスタンリーに差し出すと、受け取って中身を確認し、リンフォードに頷いてみせた。

「……お前さぁ」
「はい?」
「…………まぁ、いいわ」
「何かおっしゃりたいことがあるなら、はっきりとどうぞ」
「……べっつにー」
「あ、俺ある。ひげ剃れよ」
「それは俺も思った。全然似合ってねぇ」
「余計なお世話ですよ」
「ひげってのはー。グレアム閣下みたいに、貫禄があって豪胆で漢気のある……」
「うるさいですね。そういうのじゃ無いですから」
「ああそうですかー」
「この後は陛下のとこでしょ? ついでにこれおねがーい」
「使い走りじゃないですよ」
「行かねーの?」
「行きますけど」
「これ以上言うことねーわ」
「俺もー」
「はい?」
「さっさと行けば?」

大概を包み隠さずはっきりと言う人たちがいる部屋を後にする。
何に腹を立てて何が言いたいかは予想がつくので、そしてそれは決して楽しい話ではないので、リンフォードは身体よりも重たい気持ちの方を引き摺るようにして歩く。

今度は下から上、対角の位置にある王執務室を訪れた。


入室した時にはすでにウェントワース陛下は唇の先を尖らせた不服そうな顔で、執務机の前に座り片腕で頬杖を突いていた。

大きくため息を吐いて呆れたような目を向けている。
陛下の横で真っ直ぐに立っているグレアム閣下とは目も合わない。我関せずと言った表情だった。

やはりここでも何が言いたいかは分かるので、素知らぬ顔で陛下の前に書類を置いた。

「行かなかったの?」
「ご覧の通りですよ」
「リンフォードなら何が何でも付いて行くものだと思っていたんだけど?」
「嫌がられるのは避けたいので」
「……言ってる場合? ……もしかして分かって無いの?」
「な……にが、でしょうか」
「あぁ。ちっとも頭が働いてないね。一度ゆっくり休んだらどうかな」
「休んでいる時ではありません」
「そうだなぁ……もし私があちらの人間ならどうするかなぁ?……高待遇は先ず確約するね。それなりの役職を用意して、それから……」
「何をおっしゃっているんですか?」
「ふふ。やっぱり忘れているね」
「一体誰の話を……」
「ローレルに決まってるでしょう? その辺が有耶無耶のままだから忘れたのかもしれないけど」
「その辺?」
「ローレルはどこの国の民だったかな?」

腕の中に抱えていたものを落としそうになって、慌ててわたわたと持ち直す。
血の気が一気に下がって、指先が痺れる感覚がした。

ローレルは隣国の民だと言っていた。
曖昧にするのは好まない人だ。ただ国を渡っただけではなく、きっちりと書類上も隣国に所属する民になっているだろう。

奪還戦での重要人物だということは各国の上層では周知のこと。ローレルが我が国の内情や王城内部を細かく把握していると誰でも容易に思い付く。

「待遇如何で意のままになるような女性でないことは、すぐにあちらも気が付くだろうけど。そうなったら大変だなぁ……痛かったり苦しかったりするのは可哀想だなぁ。ねぇ? リンフォード」
「…………失礼します」
「駄目だよ」
「何故ですか」
「こんな易いことにも気が付かなかったぼんやりさんに任せられないもの」

ごもっとも過ぎて、言葉が喉に詰まる。
誤魔化しの言葉すら出てこない己の愚昧ぶりに、吐きそうな気さえしてきた。

「あちらに一緒に行くものだと思っていたんだけど?」
「……申し訳ありません」
「私はこのままでも気にならないけど、ローレルははっきりさせないと気持ち悪いらしくてね。お前がいれば安心だと思って隣国に行くのを許可したんだよ」
「…………失礼します」
「だから駄目だってば」
「陛下」
「そんな不安そうで青白い顔の使者なんて遣れないよ。舐められちゃうじゃない」
「ですが……」
「はい、これは誰が悪いのかな?」
「……私です」
「きちんとローレルを取り返して来てくれるよね?」
「もちろんです」
「じゃあ先ずその小悪党みたいな見た目をなんとかしてよ? 然るべくな態度でね?」
「御意に」
「なら行っておいで」
「御前失礼いたします」

訪れた時とは反対に、しゃっきりと背筋を伸ばして顎を引き、険しい表情でリンフォードは執務室を辞した。

扉を閉じた後には走り去る足音が聞こえる。


その様子にウェントワース陛下はふふと笑い声をこぼす。

口を挟まず横に立っているだけだったグレアムがこれ見よがしにため息を吐いた。

「煽りすぎだろう」
「そうでもないでしょう?」
「あぁ……まぁ……そうだな」
「このまま腑抜けられてもねぇ?」
「ごもっとも」






自分なら扱いの難しい他国の要人をどう引き留めるか考えて、思い付くどれもこれもが最低最悪過ぎて目の前が真っ暗に思える。

そしてローレルなら高待遇に喜ぶことなく、間違いなく最低最悪のどれかを選びそうで眩暈が止まらない。

王城にいることが当たり前で、道理にかない過ぎて、ローレルが隣国の民であるとすっかり忘れていた。

不甲斐なさに泣けてきそうだ。

自室に戻って浴室に入る。
鏡をみると陛下に評された通りの男がそこに映っていた。

これまで周りが身形に関して口うるさく言っていたのは本当だった。これからはちゃんと聞き入れようと、気を入れ替える為に両手で頬を叩く。

風呂に入り髭を剃って、着古したくたくたで柔らかいシャツではなく、襟と袖が立つようなシャツを着た。
ぴしりと髪も整えて、堂々とした風体を整える。

長椅子でぐだぐだしていたアートに、ローレルが先ず向かった先を聞く。その後のことは知らないと言うので、とにかく足取りを辿るしかない。
どこも経由せずに、リンフォードは隣国の拠点へと転移した。

ローレルが働いていた酒場へ向かう。



訪れた酒場は真っ二つに分かれていた。
建物が、と言う意味ではなく、外観は相変わらずで店内が以前と違い、隔てられていた。

卓と椅子は脇へ避けられ、カウンターの前で中央には大きな通路ができている。
店の真ん中に見えない壁でもあるようだ。

出入り口の手前側には常連らしい男連中、リンフォードも見覚えのある人物たちがいた。

奥側にはひとつの卓を囲んで、楽しそうに高い声で笑っている女性たちがいる。
その中にローレルも混ざっていた。

無事な様子で楽しそうに笑っている姿を見て、リンフォードはその場で崩れそうになる。膝ががくがくするのを根性で立て直した。

よろよろと中央の見えない壁まで歩く。

「ローレルさん……」
「ちょっとローレル、誰か呼んでるよ」
「あ! 待って?! あれがあれか!!」
「え?! 思ったのと違う!」
「ホント! もっとヒョロいのかと思ってた!」
「いや待って? ヒョロいっちゃヒョロくない?」
「ここの奴らと比べちゃダメだって!」
「そうだよ! ありゃ脱いだらまぁまぁ」
「アラヤダおげひーん!」
「賢そうな顔! 思ったより男前じゃん! 全然好みじゃ無いけど」
「あんたの男、アホっぽい顔でアホだもんねぇ!」
「そうなんだよねー。っておい! 表出るか?」
「飲みで勝負じゃ!」
「受けて立つ!!」
「あはははは!! いいぞ飲め飲めー!!」

割って入る隙もなく、楽しそうにおしゃべりしている様子に、リンフォードは声をかける機を失う。

卓の上には転がった酒瓶やグラス、空になった皿が散らばっている。
女性たちは昼間にも関わらず随分と聞こし召しているらしい。

ぽつりと取り残された気分でいると、背後から肩を叩かれた。
振り返ると店主が暖かい陽だまりにいるような顔をしている。

「今日はあっち側は女子限定な」
「は……はい?」
「良いよねぇ。酔ってる女の子」
「はい?」
「俺たちこっちで目の保養」
「あ……の?」
「まぁ、いいからいいから。金出せよ。 あの子らに奢ってやってみ? かわいく手なんか振ってお礼を言ってくれるから」

卓上に散乱しているほとんどは、ここにいる男どもが金を出したのだと付け加えた。
彼女たちが金を出したのは、最初の一、二杯くらいだ。

格好付けたかったり、あわよくばと下心があったり、それぞれの雑多な理由で卓上の空瓶が増えている。

手に触った高額の貨幣をいくつか抜いて、店の客全員に奢りますと、金が入った袋ごと店主に渡した。

皮袋の中身を確かめて、店主がにやりと口の端を持ち上げる。

「彼女たちは?」
「……仕事仲間だ。ここにいる奴らと似たような経歴だな。色々やるよ、女じゃないと駄目な依頼もあるし……おい、みんな!! このお大尽さまがみんなに奢ってくれるとよ!!」

店の中が一気に賑やかになって、近くに居た者がばんばんとリンフォードの背や肩を叩いた。
離れた卓の女性たちも、店主の言った通り、可愛らしく手を振って愛想を振りまいている。

ローレルも同じように手を振っていた。

ローレルだけに手を振りかえして、リンフォードは大きく安堵の息を吐き出す。

この店にいるのは荒ごとで稼いでいるような者ばかりに見える。
役人や軍人らしい目付きの人間は居ないようだ。



日が暮れて店の外の方が暗くなる頃。

ぽろぽろと客の面子が入れ替わり、見えない壁の向こうにいる女子たちも、ふたりほどが潰れて卓に伏せていた。
そうなりそうな手前のローレルに近付いて手を差し出す。

「さぁローレルさん。今日はもう終わりにしましょう」
「……楽しいのに?」
「楽しいうちに終わるのがいいんです」
「……んんん。やだ」
「…………っぐ。破壊力……」

久しぶりに見たローレルが楽しそうでぐんにゃりしている。
頬を染めて目が潤み、にこにこと笑っている。
これまでとの差異に天地が逆さになった気がする。
可愛さが有り余って、有り余り過ぎて、内臓が口から出そうだ。

「……飲み過ぎですよ。これ以上は身体に障りますから、また明日。ね?」
「まだいる……」
「ダメです。ほら、みなさんにさようならは?」

朦朧としながらも、意識のある数人が機嫌良くローレルにじゃあねと手を振っている。

ローレルも仕方なさそうにまたねと言った。

可愛らしさにぐらぐらしながらも、リンフォードが手を取って軽く引くと、ローレルは素直に椅子から立ち上がる。

歩けそうな様子と、卓上の散らかりぶりを見て苦く笑う。強いのは酒にもらしい。

「ではみなさん、良い夜を。行きましょう、ローレルさん」

店を出たところで後ろを付いてこないことに気が付いて振り返った。

戻ってローレルの前に立つ。

「どうしましたか?」
「そっちじゃない」
「はい? どこへ行くんですか?」
「スゥのところで寝る」
「なるほど、そうなんですね。スゥさんのお店ですか?」
「うん」

拠点にしている貸部屋に戻ろうとしていたから確かに反対方向だ。
飲みだす前に約束したか予定をしっかり立てていたのだろうと、リンフォードはスゥの店の方向に再び歩きだす。

も、ローレルはまだ立ち止まったままだった。

「あれ? ローレルさん?」
「…………ひっぱって」
「ぐぅ…………容赦なしですね……」

荒れる呼吸を整えてから、リンフォードはローレルと手を繋いで歩いた。
ゆっくりとした足取りだが、ふらつかず真っ直ぐに進んでいる。
目はとろんと半分ほどしか開いていない。

「ローレルさんかわいいですね」
「……うるさい」
「酔っ払っても憎まれ口が出るんですね」
「よってない」
「……久しぶりに会って話せて嬉しいです」
「……うん」

返る言葉が全く反対の言葉だと思っていたので、リンフォードは驚いて立ち止まり、隣にいるローレルの顔を覗き込んだ。

ローレルは数歩分先の地面を見ている。

「会えない間はすごく寂しかったです」
「……うん」
「ずっと会いたかった」
「……うん」
「…………ぅ……抱きしめて良いですか?」
「……いやだ」

爆発しそうな心臓を宥めようと、胸に手を置いてその辺りをぐりぐりと強く撫でて呼吸を整えた。
ローレルの手を引いて、また歩きだす。

否定されて良かった。
吹き飛ばなかった自制心を褒め称えたい。
肯定されればきっと抱きしめるだけでは済まなくなる。通りのど真ん中だろうが、人が居ようがお構いなしになるところだった。
握った方は手汗がすごいことになっている。
後でしっかり拭いてあげよう。




「貴女が好きです」
「…………しってる」




町をふたつに分けるように流れている川は夜を映して真っ黒。

それでも水は町の灯りをはね返してちらちらと白く光っていた。