「行くぞ。
ここら辺の山で俺がどれだけ遊んだと思ってるんだ。
紅葉ならきっとあの場所だな」
さりげないスキンシップに私の心臓は破裂した。
慈恩の手が私の腕を握りしめる。もう即死だ。
慈恩に引きずられ、私は軽自動車の助手席にペタンと座った。
「それでこの鍵なのか。
唱馬のやつ、ちゃんと仕事やってるじゃないか。
それで? 準備はOK? 何か忘れ物はない?」
慈恩は真っ黒なスーツの上着を脱ぎ、(真っ黒なスーツといってもこの旅館のユニフォームで、でも、慈恩が着たら全く別物みたいに素晴らしい)それを後部座席に投げると、軽自動車の狭い運転席に乗り込んできた。
「は、はい! ないです!」
緊張と恥ずかしさのあまり、今度は叫ぶように返事をした。
慈恩はそんな私をジッと見つめる。
メガネの奥に見える慈恩の瞳に、私の姿が映っているのが分かる。
三十センチも離れていないこの空間で、私は息ができずに逃げ出したくなる。
「ねえ、ヘルメット、取ったら?」
「ヘルメット?」
「そう、ヘルメット」
私は今の自分の格好をすっかり忘れていた。もう、これで二度目だ。



