朝、いつものように友達と一緒に登校し、教室に入ると、友達の机に落書きがされていたのを発見した。私の友達、イブニ・プリムはピンク色の髪に黄色いリボンのバレッタをしている可憐な女の子で、仲のいい人とはよく話すが、基本的には人見知りで、周りからは暗い印象を持たれている。そんな大人しいプリムが何かをしたとは思えない。おそらく、いじめた犯人の好きな男子がプリムのことを好きになったとか、くだらない理由で落書きをしたのだろう。
 こういうことをやるような人間は容易に想像できる。クラスで目立つことを何よりも大事にしている、あいつらだ。ちらっと目をやると、プリムの顔を見て嬉しそうにニヤニヤしている。陰湿なことをやりながら、隠すつもりもなさそうだ。
「他人をいじめるような人間が、自分の命を大事にしたらダメだよね」
 私は友達の机に落書きをした犯人に意識を集中させ、自分の世界に引きずり込ませた。一瞬にして私は教室から別の世界へ移動した。漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは赤い薔薇の庭園。太陽も月も無く、薔薇の花や葉や茎が幻想的な光を放つ。
 私以外には誰も存在しない世界で、いじめをした女子中学生3人の形をした精神エネルギーが幻のように薄く透けて存在する。私はイバラを操り、いじめっ子3人の精神エネルギーに巻き付け、締め上げた。イバラに巻き付かれたいじめっ子3人は、イバラの中で光となって消えていった。
 一仕事終えた私は庭園にある泉を覗き、教室の様子を確認した。
「ただいま」
「どこに行っていたの?」
「ちょっとね」
「……これから、どうしよう」
 プリムちゃんは怯えた様子で声をふるえさせ、机を見つめる。
「心配いらないよ。殺したから」
「殺した?」
 うん、と頷き3人のいじめっ子に視線をやった。精神エネルギーを殺されたいじめっ子たちは、薄気味悪い笑みも無くなり、ぼ~っと突っ立っている。生きる上での精神エネルギーが死んでしまった以上、これから先、彼女たちは何の目標を持つこともなく、ただ生き続けることになる。自殺をするほどの決意を持つこともなく、ただ生き続ける。何もすることはなく、ゆっくりと死んでいくのを待っているかのように、ただ生き続けるのだ。
「とりあえず、この落書き消そうか」
 雑巾を使うまでもなく、試しに消しゴムで強くこすると落ちていった。
 私の魔法は特別だ。誰にも気づかれない魔法。傍から見たら、どこかに瞬間移動して、戻ってきたようにしか見えない。この魔法は私の知る限り、もう一人しか使える人はいない。


   ***


 夢幻ノ桜学園。この地域では2番目に頭のいい学校に仲のいい友達が受験するからという軽いノリで受験をし、運よくギリギリ滑り込むことができた私、フラワーガーデン・ハナはこの春からここに通っている高校1年生だ。
 うちの学校にも魔法科はあるが、私は普通科。プロの魔法使いを目指す人間は、魔法科に行き、高校3年生になったら、試験を受けて、合格できればプロになれる。プロの魔法使いになれば、国から給料も貰えるし、警察と同じように魔法を悪用する奴らを捕まえる権限を与えられる。誰でも気軽に魔法を使えてしまう現代において、人の役に立つ仕事と言われて、一番初めに思い浮かぶのが、プロの魔法使いなのかもしれない。
 魔法とは、誰しもが一つは持っている特別な力のことだ。遺伝で決まるわけでもなく、どんな魔法を持って生まれてくるのかは神のみぞ知る。こんな言い方をすれば、人間の数だけ種類があるように捉えられるかもしれないが、実際には大雑把に分類でき、各魔法毎に効率のいい練習の仕方や、相性のいい魔法道具、向いている仕事など、研究が進んだおかげで、たいがいのことは調べればわかるようになっている。炎を出したり、雷を出したり、物を浮かばせたり、凄いパワーでパンチしたりなど、よくある魔法なら、研究もされていて、使い方も簡単にわかるのだが、私の場合はそうはいかない。
 私の魔法はそういうものに分類されない、未知の魔法だ。私の魔法は自分で作り上げた世界、赤い薔薇の庭園に他人の精神エネルギーを引きずり込ませることができる。庭園では、身体能力が上昇し、薔薇を扱えることができ、抵抗することのない精神エネルギーを相手にイバラを巻き付け、締め上げることで精神を破壊させることができる。精神を破壊された人間は、活きる上での活力がなくなり、ゆっくりと死んでいくのを待っているかのように、ただ生き続ける。生きているのに何もしない人間なんて、死んでいるのも同然。精神の破壊は誰にもばれずにできてしまう殺人だ。
 特殊な魔法を持っている私だが、庭園の外では、ほとんどなにもできない。試しに花壇にある花を動かそうとしたことがあるが、ビクともしなかった。私が薔薇を扱えるのは庭園の中だけだ。現実の世界での私ができることは庭園へと瞬間移動することのみ。
 どうしてこの魔法を持つ者だけが実体を持って庭園に入ることができるのか知らないが、この魔法は傍から見たら、ただの瞬間移動にしか見えない。突然消えて、再び現れる。再び現れる場所は消えた場所に限られているわけではない。庭園を介して、別の場所へと移動することだってできる。現実の世界に戻るときには、衝突を避けるため、庭園にある泉から、現実の世界を覗き、安全な場所を確認するのを忘れないようにしないといけない。
 私は同じ魔法を使える人間を私以外にあと一人しか知らない。
 普通なら、3歳くらいで魔法が使えるようになるため、その人がどういう魔法を使えるのか判別できるのだが、私の場合は5歳になっても、全く使えなかった。私はそのうち使えるようになるものだと気楽にいたが、孤児院の先生は心配していたようで、何度か病院にも連れて行かれた。魔力、体力は共に人並みにあるから、ただ不器用なだけかもしれない、と医者が言うことはいつも同じだった。
 私が魔法を使えるようになったのは、5歳のとき。たまたま同じ魔法を持つ男の子に出会い、教えてもらって使えるようになったのだ。私に教えてくれたその人は、男の子だから私よりも力が強かったのか、それとも才能があったのか、自力で自分の魔法に気づき、手探りでどういうことができるのか理解していったらしい。
 誰にも知られていないし、理解もしてもらえないような魔法であるため、私に教えてくれたその人が、この魔法については世界で一番詳しい人と言ってもいいかもしれない。
 生まれ持ってしまった特殊な魔法だが、平穏に暮らせればそれでいいと思っている私にとって、自分の魔法が変わっているなんてことはどうでもいい話だ。
 入学して約1カ月経つ。なんとなくクラス内で仲良しグループ的なものが決まり、毎日同じ人とばかり話すようになってきた。私がよく話すのは、中学からの友達で高校も同じところに通うことになったプリムちゃんだ。
「あっ、そうだ。ねぇねぇ、聞いてよ」
 一緒にお弁当を食べているとき、プリムちゃんは何かを思い出した様子で話し出した。
「どうしたの?」
「私こう見えて、朝はパン派なんだけど」
「『こう見えて』の意味がちょっとわからないけど」
「パンだけじゃ腹はパンパンにならないんだよね」
「……へぇ~」
 何と返したらいいのかわからず、テキトーに相づちを打って朝焼いてきたウィンナーを口に入れた。
「だから、ご飯を食べようと思うんだけど、飽きちゃうと思うんだよね。昼も夜も食べてるし。そこで、パンを食べることになるんだけど、パンだと腹はパンパンにならないんだよね。な~んか、お腹空いちゃうの。だから結局、ご飯を食べることになるんだけど、飽きちゃうと思うんだよね。昼も夜も食べてるし。そこで、パンを食べることになるんだけど、パンだと腹はパンパンにならないんだよね。な~んか、お腹空いちゃうの。だから、ご飯を食べることになるんだけど、飽きちゃうと思うんだよね。昼も夜も食べてるし。そこで、パンを食べることになるんだけど、パンだと腹はパンパンにならないんだよね。な~んか、お腹空いちゃうの。だからね――」
「もういい、もういい!」
「はぁ~、どうしたらいいと思う?」
「パンを増やせばいいんじゃない?」
「なるほど!」
 プリムちゃんは手をパンと叩いた。
「パンを増やせばパンパンになるってことか!」
「そんなつもりで言ってないよ(笑)」
 笑って、私はおにぎりを一口食べた。

 放課後。今日も何か大事件が起きるわけでもなく、いい一日だった。プリムちゃんとは違って、部活をやっていない私は一人で学校を出て、今は学校の近くの図書館にいる。家に帰ると勉強をやる気が完全にゼロになるため、宿題は全て図書館で終わらせるようにしているのだ。勉強は嫌いだし、宿題なんか正直やりたくもないが、やらずにネチネチ怒られるのはもっと嫌だ。
 地下2階まである3階建ての大きな図書館だが、平日は利用する人が少なく、今日もどの机もほぼ人は座っていない。眺めがよくて、私がいつも利用している3階の窓際の席も空いている。
「隣いいですか?」
「あ、どうぞ……えっ」
 長身のすらっとした体、切れ長の目に整った顔立ち、イケメンしか許されないであろうゆるふわな銀髪、同じクラスのサインライズロウ・アオイだ。カッコイイし、人気者で、栗色の髪をおさげにしている地味な私とは仲良しグループも違う。初めてこんなに近い距離で見たが改めて思う。カッコイイー!
 声をかけて貰えただけでもうれしいが、アオイ君が私に用事があるわけがない。たまたま隣の席が空いていたから、ここに来ただけだ。きっと、このまま帰るまで話すことはない。あれが最初で最後の会話、青春のピークだ。
「ハナさんっていつもここで勉強しているの?」
 うわっ、話しかけてきた。
「家にいると何にもやる気なくなっちゃうの。だから、宿題はここで全部終わらせているの」
 緊張で早口になってしまい、言い終わると同時にノートに目を戻した。邪魔しないでほしいという風に受け取られただろう。さっそく悪い印象を与えてしまった。
「へぇ~、そうなんだ。ちょっと気持ちわかるかも」
「……ふ~ん」
 会話を続けたいと思うが、何も出てこない。元来おしゃべりな性格でもなく、友達と話すときもほとんど聞き役のため、話を広げたり話題を提供したりするのは苦手だ。
「アオイ君は何しに来たの?」
 図書館に来たのだから、本を借りるか、読むか、勉強をするかのどれかしかないが、精一杯コミュニケーション能力を発揮してもこれしか思いつかなかった。
「友達から、ハナさんがここに来ているって聞いたから」
「……へぇ~」
 冷静なフリをしようとするあまり、『私がいるなら当然来るわよね』と言わんばかりの反応を、嬉しさを隠せないでいるニヤけた顔でするという、普通ではあり得ない組み合わせの気色悪い相づちをしてしまった。
 私のことが気になる? どうして?
 疑問符が浮かぶが、訊けるわけもなく、私はおとなしく宿題に取り掛かった。

 楽しくおしゃべりしながらするわけでもなく、黙々と1時間程度で宿題を終わらせることができたが、アオイ君のせいでいつもより時間が長く感じてしまい、疲労感はいつもの2倍だ。
「ハナさん帰るの? 送っていくよ」
 鞄を片手に立ち上がると、またアオイ君に話しかけられた。
「大丈夫、すぐ近くだから」
 図書館から歩いて5分のところにスーパー、そこから歩いて5分のところに自分の住んでいるボロアパートがある。学校もそんなに遠くはないし、私の生活は全て近所で完結している。それにもし暴漢が出ても私の魔法で何とかしてしまえばいいだけだ。
「そっか、ハナさんと一緒に歩いてお話ししたいんだけど。ダメかな」
「ダメじゃないです」
 私のおかしな日本語にアオイ君は微笑する。

「私の部屋ここだから」
 と私はボロアパートの前で歩みを止めた。
「へぇ~、ここなんだ」
 晩御飯のお弁当を買うだけの買い物にまで付き合ってもらい、気分が浮かれていたせいですっかり抜けていたが、このお世辞にも綺麗とは言えないボロアパートにアオイ君は引いてしまっていないだろうか。
「ボロいでしょ?」
 言われる前に自分で言ってしまおう。その方が傷つかないで済む。
「あ、味のある物件だね」
 優しい! 優しすぎる! これが人気者が人気者たる所以! 外見だけじゃなく、中身もしっかりしている!
「それじゃ、また明日」
「うん、また明日」
 と私は手を振って別れた。
 軋む階段を登り、2階にある自分の部屋に入った。入ってすぐに台所があり、奥に8畳くらいの部屋が一つある。隙間風は全くないことはないが、汚い外見の割に、中はリフォームされていたおかげで、それなりに綺麗な部屋となっている。
 親がいればもっといい部屋に住めるのだろうが、私の両親は誰だか知らない。私は生まれてすぐのころに孤児院に預けられたらしく、ちゃんとした名前も知らない。もしかしたら、名前なんか初めから付けてもらっていなかったのかもしれない。フラワーガーデンという名字は、孤児院の名前からそのままとった。ハナという名前もそこにいた先生に付けてもらったものだ。
 私はこの春から、孤児院から出てきたばかりの一人暮らし。私みたいな人間のために、国からの援助もあるが、節約してボロアパートに住むのが限界だ。
 スーパーで買ってきたお弁当を電子レンジに入れ、温まるまでの間に素早く制服から部屋着へと着替えていった。着替え終えると、丁度いいタイミングでチンという音が聞こえた。熱々のお弁当をミトンで掴み、部屋に運び、どうせ見ないがテレビをつけた。
 今日の晩御飯は白身魚のフライとちくわの天ぷらが入ったのり弁だ。シンプルで一番おいしい厭きないやつ。一人暮らしも慣れてきてわかったことは、手を抜くことの重大さだ。初めのうちは料理でもしようかと思っていたが、すぐに面倒くさくなってやめた。料理をするのは休みの日だけで、休みの日以外はスーパーのお惣菜コーナーから買ってきたものを食べるようにしている。自分で作った方が安くできるのはわかっているが、学校の授業で疲れているのに、わざわざ自分のためだけに料理なんかやってられない。料理は嫌いじゃないが、楽しくやるには心に余裕が必要だ。
「何話したっけ」
 珍しくたくさん話したような気もするし、いつも通り友達といるときのようにほとんど話さなかったような気もする。記憶があやふやなのは、気を張り詰め過ぎていたせいだ。密かに憧れていた人と突然二人きりで話したのだから仕方のないことかもしれないが、私じゃなくて、アオイ君と仲のいいキラキラしたグループの人たちなら、もっとうまくやっていたに違いない。
 熱々のごはんを一口食べ、どこが悪かったのか反省しようと試みるが、顔がニヤけて、頬が熱くなってしまう。反省会のつもりが、思い返して浮かんでくるのはアオイ君の笑顔だ。
「どうでもいっか。楽しかったし」
 うんうんと頷きながら、今日も変わらない美味しさののり弁を口に放り込む。楽しかったなら、それが正解だ。これ以上は考えるだけ時間の無駄。

 いいことがあった次の日の放課後。今日は一日、何もない日だった。プリムちゃんとお話をして、授業はテキトーにノートを取って、終わり。
 私は今日も宿題をやらないといけない。私は宿題が嫌いだ。勉強というのは人それぞれやらないといけないことが違うはずなのに、全員一律に同じものをやらせてくる。そもそも、勉強を授業で完結させない先生が悪いのだ。授業で完結させられない自分の実力不足のしわ寄せを子供たちに宿題を出すことでどうにかしようとしているくせに、宿題をやってきても『ご協力ありがとうございます!』とは決して言わず、やってきて当然と言わんばかりの態度で偉そうに受け取り、宿題をやってこなかった人間がいれば、そいつをこっぴどく叱りつける。自分の勝手な都合でやっているくせに、自分の思い通りに行かなければ怒り出す。レベルの低い教師というのは、図体がでかいだけの子どもだ。
 心の中でいくら毒づいても、目の前の宿題がなくなることはない。仕方なく、今日も図書館に向かおうと鞄を肩に掛ける。
「今日も図書館に行くの?」
「え、うん。そうだけど」
 話しかけてきたのはアオイ君だ。2日も連続で話せるなんて運がいい。
「今日はここでやらない? わからないところあったら教えるしさ」
「いいよ」
 何も考えず、二つ返事でオーケーした。
「ありがとう、ちょっと待っててね」
 背中を向けて、教室を出ていくアオイ君を自然と目で追いかけた。
「ごめん、ちょっとしばらくの間一緒に帰れそうにないわ」
 扉の窓越しに廊下で話す姿が見える。話している相手は見えないが、いつものキラキラしたグループの誰かだろう。
「なんだよ、どうせ暇だろ」
「僕は僕で忙しいんだよ」
「また女絡みか」
「またって……人聞きが悪いなぁ」
 ははは、と笑い声が聞こえてくる。
 自分が暗い人間だから余計にそう思うのかもしれないが、あのグループはいつもキラキラしている。自分が物語の主人公かのように、常にスポットライトが当たっているかのように、誰にも求められていないのに輝きを放っている。根拠のない自信を持ち、周りの視線を気にせず振る舞っているだけなのかもしれないが、私にはマネできない。こういうのは魔法と同じで生まれ持って役割が決まっているのだ。
 私は先に宿題を始めようと数学の教科書とノートを出した。仕方なく、筆箱からシャープペンシルを出して、宿題を始める。やる気がなくても仕方なく始めることによって、終わらせることができることを中学時代にプリムちゃんから教わった。あのときは宿題ではなく、テスト勉強だったが、プリムちゃん曰く、やる気がないからと何もやらずにダラダラしている時間をできるだけ作らないようにして、仕方なく取り掛かるのがいい、とのことだ。
 宿題に苦戦してほとんど進まないが、教室からどんどん人がいなくなり、ついに1人になったとき、アオイ君が戻ってきた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「ううん、そんなに待ってない」
 宿題から顔を上げ、アオイ君の顔が視界に入った途端、恥ずかしくなってすぐにノートに目を戻した。
「もう宿題やってたんだ、ハナさんは真面目だね」
「別に真面目じゃないよ」
 赤くなって、ニヤけた顔を見られないように下を向いたまま答えた。アオイ君には、謙遜して言ったように見えただろうが、実際に私は真面目ではない。
「ねぇ、アオイ君」
「ん、なに?」
 小首を傾げて訊き返されただけなのにドキドキしてしまうが、なんとか自然に振る舞おうと視線を逸らすのを我慢する。
「なんで図書館じゃなくて、ここにしたの?」
 もっと他にも訊かないといけないことがあるに違いないが、まずは訊きやすいことから訊いていこう。
「図書館よりも、こっちの方が二人きりでいられるでしょ」
 ダメだ、もう何も訊けない。
「あ、うん。そうだね」
 私もそう思っていたよ~って受け取られかねない返事をしてしまったが、口を開けばこれ以上の失敗がきっと待っている。


   ***


 グラウンドから聞こえてくる魔法科の人間の自主練習の音や、吹奏楽部の演奏などが聞こえてくる、意外と静かじゃない教室で、今日もアオイ君と二人りきり。放課後の教室で、アオイ君と宿題をするという日が今日で1週間も続いている。
 今日こそは訊いてみよう。
 アオイ君はどうして私と一緒にいるのだろうか。仲良しなグループが違うこともあって、放課後以外で話したことはほぼない。あったとしても業務連絡のようなものだけだ。私のことが気になるのなら、もう少し何か進展があってもいいはずなのだが、アオイ君からは何もない。ただ一緒にいるだけ。アオイ君はもしかしたら、キラキラしたグループの息抜きに私を利用しているのかと思ったときもあったが、それなら私の相手をするのではなく、一人でいた方がマシだとわかり、そんな考えはすぐに捨てた。
 いつから気になり始めたのかも忘れたが、だいたい3日目ぐらいだった気がする。話すのにも慣れ、目が合っただけで赤面するということもなくなり、自らの状況をある程度客観的に見られるようになった頃、非日常が日常になりかけていることにようやく気づいたのだ。
「ねぇ、アオイ君。どうして放課後は私と一緒にいるの?」
 よし、訊けた! 答えはまだ聞いていないのに、やっと訊けたというだけで満足感がある。
「どうしてって、それは……」
 とアオイ君は少し困った顔をしたかと思えば、くすっと笑って笑顔になる。
「ハナさんは、言わせたいタイプなんだね」
「そぉ、そんなつもりは……あ、宿題やらないと」
「宿題ならずっとやっているだろ」
 あはは、と可笑しそうに笑うアオイ君の声が、俯いた私のつむじから聞こえた。
 私は急ぎ過ぎていたみたいだ。経験が乏しいため、今の今まで知らなかったが、恋愛とういうのはおそらく、こうして進むものなんだ。つまり、アオイ君は私のことを……。
 嬉しさが内側からはみ出そうになるのを、私はぐっと歯をくいしばって耐えようとした。


   ***


 僕の通う学校の近くにある喫茶店。学校から帰りに利用する人も多いようで、今日もテラス席で女子高生が携帯を片手におしゃべりしているのが見える。
 今日はここで、同じ中学だった奴が相談したいことがあるとのことで、待ち合わせをしている。
「いらっしゃいませ、お一人ですか?」
「いや、待ち合わせをしていて」
 と店内の方を見ると、すぐに見つけることができた。
 オシャレさゼロの丸坊主の頭、カッコよさの欠片も感じない全剃りの眉毛、不気味に吊り上がった目。その見た目に怖いと感じる人もいるようだが、個人的には、未知の虫を見ているような気持ち悪さを感じる。普通の人なら、できるだけ関わりたくないと思うだろう。
「おーい、こっちこっち」
 ヤケにでかい声を出し、煙草を片手に反対の手で手招きをしてくる。
「アオイ~、久しぶりだな。卒業してからだから、一カ月ぶりくらいか?」
「煙草消せよ」
 挨拶は返さず、それだけ返して、向かいに座った。
「大丈夫、喫煙席だ」
「そういう問題じゃねぇよ」
 煙草を吸っていいのは20歳からだ。同じ15歳なのに、店員も注意しなかったのは、こいつの気持ちの悪い見た目が実年齢よりも老けて見せるせいで、年齢を把握できなかったのかもしれない。
「僕も吸っていると疑われるから」
 無理やり奪って、灰皿にこすりつけると、クローバー・ズーは、ちっと舌打ちをし、手持ち無沙汰になった手でコーヒーを飲んだ。
 中学を卒業したと同時にこいつとは人間関係も卒業したつもりだったが、こいつはまだ俺のことを友達と思っているようで困る。
 僕は注文を聞きに来たウェイトレスにアイスコーヒーを頼んだ。
「アオイ、助けてくれよ。まずいことが起きたんだよ。頼む! 一生のお願いだ!」
 ズーは小学生みたいなことを言いながら、拝むように手を合わせて来た。
「いきなり頼むって言われても、内容によるだろ」
「ありがとう! 助けてくれるんだな!」
「……はぁ~」
 何も言わず、ため息だけついた。
 今の返答でどうしてそうなるのか。こうやって、何でも自分にとって都合のいいように考えて生きてきたから、このザマなのに。なんでこんなやつと親しくなってしまったのだろう。どう頑張っても完璧にはならないのが人生だという大事なことを神様が教えてくれているのかもしれない、と無理やりにでも思わないと、僕の人生にこいつさえいなければと簡単に殺しそうになってしまう。
 頭を掻き、黙っていると、ウェイトレスがアイスコーヒーを運んできた。僕は運ばれてきたアイスコーヒーに砂糖とミルクを入れて、一口飲んだ。
「どうせ、たいしたことじゃないんだろ?」
「今回はマジでやばいんだ」
「あぁ、そう」
 適当に返事をして、続きを促した。
「この前、集会があったんだけど」
「集会って何の?」
「俺の入っているグループの集まりだよ」
「グループって?」
「グループはグループだろ」
「そうか、グループか」
 説明が下手な上に、上手に話そうという努力も見えない。こんなやつのことだから、ロクでもないグループに入ったんだろう。
「それで、グループの集まりがどうしたんだ?」
「遅刻しちまってよぉ~。怒られちったんだよ」
「……帰っていいか?」
 遅刻して怒られた話をするためにわざわざ呼び出すなよ。
「ちょっと待てよ。まだ続きがあるんだ」
 と立ち上がろうとした僕の手をテーブル越しに引っ張ってきた。
「続きって? 遅刻した罰に反省文でも書かされるのか?」
「そんなわけねぇだろ! お前さっきから、俺の話ちゃんと聞く気ねぇだろ!」
「声がでかいよ」
 周りの客が嫌な視線をぶつけてくる。迷惑な奴らだ、早く帰ってくれと思っているのだろうが、僕だって、長く居たくてここにいるわけではない。
「遅刻して、その後どうなったの」
「遅刻した罰として、女を寄越せって言ってきてよ~」
「山賊かよ」
 思わずぷっと噴き出してしまった。
「なんだよ、女を寄越せって。あはは。お前~、しばらく会わないうちにそんな面白い話を考えていたのかよ」
「冗談で言ってねぇよ!」
 まだでかい声を出したせいで、周りの客の嫌な視線が飛んでくる。僕はこいつのせいで、2度とこの喫茶店に来ることはないだろう。
「言っておくけど、女を用意するなんか無理だぞ」
「大丈夫だ。いてもいなくても変わらなそうな地味な女を見つけたんだよ。これ、お前の学校の制服着ているだろ?」
 僕のことを未だに友達だと思っているズーが、携帯の画面を見せてきた。そこには、盗み撮りされた同じクラスの女子がノートを開いて勉強している姿が写されている。
「お前の通っている夢幻の桜学園の近くにある、夢幻の桜図書館で見かけたんだ。な? いてもいなくても変わらなそうな地味なやつだろ?」
 こんなクズみたいな人間が図書館に行くわけがない。女を用意しろと言われて困って、僕の学校の近くをウロウロしていたときに見かけてしまったのだろう。それにしても、運のない女だ。
「こいつをなんとかして捕まえたいんだ。お前も手伝ってくれよ」
「帰る」
 残すのは性に合わないので、アイスコーヒーを一気に飲み干し、伝票を取って、立ち上がった。
「払っといてやるよ。どうせ金持って来てないんだろ」
「手伝ってくれるんだな?」
 嬉しそうに期待のこもった声と顔。久しぶりに会ったから一度目は疑問に思ったが、僕は元々こいつの言動には慣れていたんだ。昔の感覚を思い出してしまうと、どうしてそういう風に受け取れるのか、という疑問さえも浮かんでこない。きっと、こいつは限りなく人間に近い鳴き声のする別の動物なのだ。同じ人間なら、こんなに理解力がないわけがない。
「ばーか」
 話すのも面倒くさいし、これくらいの言葉で十分だ、と僕は背中を向け、会計を済ませて、喫茶店を後にした。


   ***


「ねぇねぇ、聞いてよ」
 ある日のお昼休み。私はいつものようにプリムちゃんとお弁当を食べている。
「聞いた話なんだけど、アオイ君って、めちゃくちゃ怖い人とツルんでいるらしいよ。意外じゃない?」
「怖い人? どういうこと?」
「詳しいことはわかんない。どこかで見たって、誰かが言っていたような気がするんだもん」
「曖昧過ぎるよ」
 それじゃあ、噂どころか、都市伝説レベルの話だ。
「単なるうわさ話だよね~。誰が流したのか知らないけど、本人のイメージと正反対のことを言った方が逆に信ぴょう性が湧くとでも思ったのかな~」
 仮に噂が本当だとしたら、どうだろうか。怖い人に私を売るつもりで、それで最近私に付きまとっている可能性がある。でも、どうして私なんだ。もっと明るくてかわいい子が、アオイ君の周りにはいっぱいいるじゃないか。

 放課後。例の如く、アオイ君と二人きりで教室にいる。
「ねぇ、アオイ君」
 噂のことを本人に聞いてしまうのはよくないことなんだろうけど、何かあっても魔法を使って逃げてしまえばいいだけだ。
「友達から聞いた話だけど、怖い人たちと付き合っているって本当なの?」
「怖い人たち? あぁ、あいつか」
 心当たりがあるようで、話を続ける。
「友達ってほど仲良くはないけど、そういう知り合いがいるっていうのは事実だね」
「そうなんだ」
「中学1年のときにね、たまたま席が近くて仲良くなった奴が落ちこぼれて、グレていったんだよ。ハナさんの友達がどういう噂を聞いたのか知らないけど、どうしようもない同級生が僕にいるっていう、カッコ悪い話だね」
 ため息交じりに答えるアオイ君。
「別にカッコ悪くないよ。誰にでも起こりそうなよくあることじゃない」
「ハナさんは優しいね」
 はぁ~っと、いつも明るいアオイ君が再びため息をする当たり、よっぽど触れてほしくなかった話題なのだろう。アオイ君にここまでやらせる人物とは、一体どういう人物なのか。アオイ君とは真逆な人間か? 暗くて、人気もない、地味なやつ。
 想像してみて、はっとした。これらは自分の特徴ではないか。実際にため息をついた相手と私は同一人物ではないが、限りなく似ている。唯一違うところはグレていないところだが、他人によってはほんの些細な違いでしかない。アオイ君の場合はどうだ。
「手が止まっているけど、どうしたの? わからないところでもあった?」
「えっ、いやっ、大丈夫だよ。ちょっと考えていただけだから」
 焦って無駄にシャープペンシルをカチカチ鳴らして、出し過ぎた芯をもとに戻すために机にトンと突いた。違うところもいっぱいあるだろうに、似ているところがあるなんか言い出したら、キリがない。

 宿題を終えて、アオイ君と一緒に学校を出ると、一人の男が校門のところで待ち伏せをしていた。
「アオイ~、なんだかんだ言って、女連れてきてくれたんだな。お前はやっぱり、他の奴らとは違うぜ。持つべきものは友達だよな~」
「はぁ? なに勘違いしてんだよ」
 オシャレさゼロの丸坊主の頭、カッコよさの欠片も感じない全剃りの眉毛、不気味に吊り上がった目。この人がアオイ君の友達……なのか? いつものキラキラしたグループの人たちじゃない。もしかして、この人がプリムちゃんから聞いた、悪い噂になっている原因か。それにしても、『女を連れてきてくれた』ってどういうことだ。
「お前が変なことしないように俺は見張っていたんだ。ハナさんを渡すつもりなんか初めからない」
 話が見えてこないが、私は何か厄介なことに巻き込まれていて、私に被害がいかないように放課後は私と一緒にいたのか。
 真実はそうだったのかとがっかりするとともに、期待してしまった自分が恥ずかしくなる。あんなに思わせぶりなことを言っていたのも、私を釘付けにするための計算。私が甘い言葉に勘違いすることも計算。全て感情も何もない冷たい計算だったのだ。
「そんなこと言うなって。俺も追い込まれて大変なんだよ」
 と親指で後ろを指さす。後ろに目をやると、ガラの悪い男たち5人が少々イライラした様子でこちらを窺っている。
「うちのボスが来てんだ。これ以上先延ばしできねぇよ」
「知らねぇよ。お前が悪いんだろ」
「頼むよ、アオイ~。丁度女もいることだしさ」
「おい! 早く済ませろ!」
 後ろでボスらしき人間が、ドスの効いた声で焦らせ、ゆっくりと近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 情けなくペコペコ頭を下げて頼み込む、アオイ君の自称友達。
「うるさい、どけ!」
 と軽く振り払われた自称友達は尻餅をつき、すみません、と今にも泣きそうな顔で謝罪をする。
「この女だろ、貰ってくぜ」
 腕を掴まれ、力づくでも連れて行こうと引っ張られる。バランスを崩しながらも、やるしかないか、と思った瞬間。
「俺の女に手を出すんじゃねぇよ」
 漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは青い薔薇の庭園。太陽も月もなく、薔薇の花や葉や茎が幻想的な光を放つ。青い薔薇の庭園の中に自称友達以外の男5人の形をした精神エネルギーが幻のように薄く透けて存在し、力なく首を下げ、両手をぶらりと下げて棒立ちしている。
 不思議な空間だが、私はよく似たものを知っている。私は後ろから魔力を感じ、振り向くとアオイ君がいた。アオイ君は手で指示を出し、イバラを操り、こちらの世界に引っ張り出された不良たちの精神エネルギーに巻き付けていき、締め上げた。
「私と同じだ」
 私達以外にも同じ魔法を使えた人がいたなんて。特殊な魔法とはいえ、同じ魔法を使える人間がいても何もおかしいことはない。頭ではわかっていたことだが、実際に目にするとにわかには信じられない。でも、本当にいる。
「どうして、ハナさんがここにいるの?」
 近くにいれば、同じ魔法を持つものは巻き込まれる。私があの人に教えてもらったことだ。
「アオイ君が巻き込んだのでしょ。私も同じ魔法を使えるの」
 色は違うが、同じ薔薇の庭園。
「驚いたな、僕以外に同じ魔法を使える人間がいたとはね」
 と私がいつもするように、アオイ君は庭園の泉を覗いた。
「戻るよ」
 アオイ君はそれだけ言うと、一瞬にして、私たちをさっきいた場所まで戻した。
「お前ら、どこ行っていたんだよ!」
 迷惑な自称友達が戸惑った様子で言ってくる。
「別に、もう帰るから。行こうハナさん」
 背中を向けるアオイ君に私も合わせた。
「帰るって、ちょっと待てよ」
 帰ろうとするアオイ君の肩を掴んで振り返らせた。
「心配しなくても、大丈夫だよ」
「大丈夫って何が?」
 アオイ君の言葉を全く理解できていない様子で訊き返してくる。理解できないのは当然だ。この人からすると私とアオイ君は、突然消えて再び現れただけなのだから。
「僕たちはもう帰るけど、いいよね」
「え? あぁ」
 アオイ君の問いかけに私の腕を掴んできた男は、ぼ~っとした様子で返事を返してくる。他の男たち4人はただ立っているだけで、何も返事はしない。
「じゃあ、帰るから。お前はもっと付き合う相手を選べよ」
「お、おう。わかったよ」
 精神を破壊されてもいないのに、呆然とした様子で答える自称友達に私は思わず、可笑しくて笑ってしまった。

 アオイ君に助けてもらった次の日。当然のことだが、あんな事件が起きようが関係なく、ちゃんと学校はある。休み時間は友達と話し、授業中は先生の話をテキトーに聞きながらノートを取るという、特別なことが何もない日常を送ると、あっという間に放課後になった。
 夕日が差すにはまだ明るい教室で私は一人、いつものように残ってしまった。昨日のことでアオイ君との関係が終わってしまい、元々やっていたように図書館にでも行けばよかったのだが、つい習慣づいたクセで教室に残ってしまった。昨日までは、もう少ししたら友達と適当に廊下で話したアオイ君が戻ってきてくれていたが、今日は戻ってくることはないだろう。
「帰るか」
 ぼそりと呟いて、鞄を手に取った。一人でいるなら、図書館の方がまだマシだ。明日からはこういう日が続くのだろう。寂しい気持ちはあるが、いつも通りの日常に戻るだけだ。仲良しなグループも違うし、アオイ君とは今後話すこともほとんどなくなるんだろうなと感傷しながら、椅子から立ち上がる。
 すると、ガラガラと扉が開く音がした。
「あれ、ハナさん帰るの?」
 長身のすらっとした体、切れ長の目に整った顔立ち、イケメンしか許されないであろうゆるふわなな銀髪。終わったと思っていた青春がまだ続いている。
「どうして今日も来たの?」
 あの一件が終わった以上、私といる意味もないはずだ。
「どうしてって」
 恥ずかしそうに頭を掻いてはにかみ、アオイ君は私を瞳に入れた。
「僕が一緒にいたいからだよ」