それから数か月後、寒さは厳しくなるばかりなのに、早めのクリスマスムードのおかげでどこか温かみのあふれる12月のはじめに、娘の舞花が生まれた。

 幸せはさらに加速し、夢は膨らむばかりだった。
 
 僕たちは舞花の人生について夜通し語り合った。

 それはすごく楽しい時間だった。

 舞花には、幸せになってほしい。

 僕たちと同じような幸せを、舞花にも味わってほしい。

 好きなことをして、良い大学に行って、良い会社に就職して、良い人と結婚して……。

 収入も生活も安定した中で子どもを育てて、何不自由することなく、楽しく長く生きてほしい。

 舞花のそんな長い人生を思い描きながら、僕たちは話し合った。

 日常の中の何を見ても、何を聞いても、すべてが舞花に繋がった。

「これもやっておいた方が良いかな」「あれも準備した方が良い」「舞花のために……」「舞花が困らないために……」

 真剣に話しつつも、舞花の将来について話したり準備したりするのは楽しかった。

 習い事の体験教室に行ったり、親向けのセミナーに出てみたり。

 子どものために、親として生きるってこんなに楽しいんだと、僕は実感した。

 だけど、考えたり想像するだけじゃダメなんだ。

 それを現実にしていかないと。
 
 それに必要なのは、やっぱりお金だ。

 お金がないと何もできないし、何も始まらない。
 
 もともと共働きだった僕たちは、舞花が生まれてからも変わらず働き続けた。

 歩美は育休を一年弱で切り上げ、仕事に復帰した。

 まだ一歳にもならないうちから保育所に預けるなんて、ちょっとかわいそうかもしれないと思ったけれど、舞花のことを思えば、俄然仕事にも力が入った。

 仕事をすることに喜びを感じたし、やりがいも増した。

 僕の給料のほとんどが生活費に充てられ、歩美の給料は舞花の習い事や学校でかかる費用、つまり、舞花にかかわるすべての費用に充てられ、それでも残った金額が、さらに舞花専用の貯金通帳へと回された。

 子供手当にも一切手を付けず、親戚や舞花の祖父母からもらうお年玉やお小遣いも、「舞花に……」と言われて受け取ったお金は全て舞花のための貯金となった。

 出産前から加入した学資保険の節目にもらえる祝い金にも一切手を付けなかったから、そのまま受け取れば満期時はかなりの額になるだろう。

 それでもまだまだお金は必要に思えた。

 安心できなかった。
 
 だから僕たちは、全ての時間を舞花の将来に注ぐつもりで働いた。