貯金500万円の使い方



 大仏の正面を拝み終わると、僕たちは大仏の背後に回った。

 半周ほどすると、何かの行列を見つけた。


「ここ、並ぼうよ」


 そう言う舞花はこれが何の行列かわかってるようだった。

 僕たちが訝し気に近づくと、舞花が教えてくれた。


「ここの柱に大仏の鼻と同じ大きさの穴があるんだって。そこをくぐってみたい」


 なるほど、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴か。

 あんな巨大な大仏の鼻の穴だ。

 それはどんな大きさなのだろう。

 僕も通ってみたいと思った。

 僕が修学旅行に行ったときもあったのだろうか。

 もしかしたらガイドから説明があったかもしれない。

 ただ僕が聞いていなかっただけで。


 僕は最後尾から太い柱に伸びる行列を目で追った。

 その最前列には、這いつくばって小さな穴を通ろうとする人が見えた。

 その穴はいかにも小さいように見えた。

 はじめは遠距離だからそう見えるのかと思っていた。

 だけど、近づけど近づけど、一向に穴が大きくなることはなかった。

 僕たちの番が来た時、その穴の大きさは、やはり僕が想像していたよりもはるかに小さかった。

 舞花はためらうことなく、身を小さくして穴に体を通した。

 小学六年生の舞花でも、通り抜けるには少々ギリギリではないかと思った。

 舞花は何とか通り抜けると、満足げな笑みを向けて僕たちに言った。


「お父さんとお母さんも」


 僕は歩美に先を譲った。

 歩美は華奢だし、全体的に細いから何とか抜けられるのではないかと、その様子を見守ることにした。

 案の定、途中で腕がつっかえて身動きが取れなくなる。

 結局歩美は穴を逆戻りしてきた。

 髪はすっかり乱れて、顔も真っ赤になっていたけど、照れ笑いを見せる歩美は、まるで幼い少女のようだった。 


 そして二人の視線が僕に向けられた。


「お父さんは無理だよ。お母さんだって通れなかったんだから」

「えー、お父さんもやってよお」


 そう言いながら、舞花は僕の背中を押した。

 歩美の目が「私もやったんだから」と厳しく訴えてくる。

 しょうがなく僕は床に手と膝をついた。

 目の前にくりぬかれた穴は、やっぱり小さかった。

 息を一つふーっと吐いてから、僕は穴に顔を突っ込んだ。

 その一瞬で、木の匂いが鼻孔を刺激した。

 なんとも深くて心穏やかになるような匂いだった。

 穴のすぐ先には観光客の足が見えていた。

 だけど僕には、穴を通り抜ければ、もっと素晴らしい世界が待っているような気がしてならなかった。

 この穴を通り抜ければ、現実と向き合わなくてもいいような気さえした。


 もっと先へ、もっと先へ。


 僕は無理やり、少しずつ体を通していく。

 通った部分がぞわぞわっとして、不思議な感覚を味わった。

 だけど、結局僕も腕がつっかえて通り抜けることはできなかった。

 無理に体を押し込めたからか、出てくるのに時間がかかってしまった。

 体を締め付ける温かな木材の感覚が、少しずつほぐされていくのがツラかった。

 逆戻りしていく間、穴の先に見える光が遠のいていくのがなんとも寂しかった。

 


 体が完全に穴から出て立ち上がろうとすると、少しくらっとした。

 目の前の舞花や歩美や、行列の人たちがぼやけて見える。


「お父さん、髪すごいことになってる」


 そう笑う舞花の声がすぐ近くで聞こえて、優しく髪が梳かれた。