バカ恋ばなし

「すぐに戻ってくるから。」と言っていた石家先生が部屋に戻ってきたのはそれから約20分近く後であった。腕時計を見ると11:30を回っていた。
「お待たせ!いや~日勤のメンバーが米倉主任と北島さんだからもう話が盛り上がっちゃって。」
石家先生はドアを開けながらでちょっと申し訳なさそうなさわやか笑顔で入ってきた。
「じゃ、お昼行こうか。」
「はい!」
私は読んでいた漫画を壁際に戻し、床に置いていたポシェットとピーコートを持って入り口に向かった。
「この部屋とももう終わり、4か月間お世話になりました!」
石家先生は座卓と漫画しか置いていない部屋にお礼を言ってドアを閉めた。鍵をかけて私たちは寮の駐車場にある私の車に向かって歩いた。
「先生、お昼はどこにします?すぐ近くのファミレスにしますか?」
運転席に乗り込み、シートベルトを装着しながら私は石家先生に聞いた。
「そうだな……あっ、前に沼尻先生と何度か一緒に食べに行ったラーメン屋が近くにあるんだよ。『盛盛』というところなんだけど知ってる?」
「あの通り沿いにあるコンビニの裏にあるラーメン屋ですか?」
「そうそう。」
「私、そこで食べたことないです~。」
「あそこのチャーシュー麺がまあまあ美味しいんだよ。あとチャーハンもね。」
「そうなんですか!じゃあそこに行きましょうか。」
「そうだね。」
「では決まり!レッツゴー!」
私は車のエンジンをかけてハンドルを回した。そして中華料理屋の『盛盛』という店に向かって車を走らせた。『盛盛』までは5分以内で到着した。古くから経営していたお店らしく、入り口上に設置されているオレンジ色のビニールテントは全体的に黒ずんでおり、白い楷書で『盛盛』と明記されていた。お店の中に入ると、カウンター奥の調理場から店主であろう中高年の小柄な男性が「いらっしゃいませー!」と元気良い声で言ってきた。店内には3~4人の中年男性の客が一つのテーブルにドカッと座って無言でラーメンをすすっていた。店主と同じ歳くらいの小柄で痩せた女性(多分店主の嫁)が私たちを店の窓際のテーブルに案内した。私たちはテーブルを挟んで向かい合わせに座った。
(このP町で先生に会って食事をするものこれが最後か……)
私は、店主の手書きであろうメニュー表を見ながら頭の中をその言葉が過った。石家先生の手前、元気に振舞っているが、これが石家先生と気軽に会える最後の機会だと思うと何だか寂しくなってきた。
「先生、おススメはあります?やっぱりチャーシュー麺?」
私はメニュー表を見ながら先生に聞いた。
「そうだね。あと味噌コーンラーメンとチャーハンも美味いよ。」
石家先生はニコニコしながらおススメを教えてくれた。もうメニューを見なくても注文するものは既に決まっているようだった。先ほどの小柄な女性店員が注文をとりにテーブルに来た。石家先生はチャーシュー麺とチャーハンと餃子、私は味噌コーンラーメンを頼んだ。
「先生、来月入ったら早速向こうの病院で仕事ですか?」
私は目の前にあるお冷を一口飲みながら聞いた。
「そうなんだよ~。全く人使いが荒いよなぁ~。ま、次行くところは救急救命部だから仕方ないといえば仕方ないけどね。」
石家先生はダウンジャケットのポケットからLARKの箱を出して煙草を一本取り出し、口にくわえて赤色の100円ライターで火をつけてゆっくり吸った。そして両方の鼻腔からフゥーと煙を吐いた。
「救命救急部だなんて、かなり過酷そうなところに行くんですね……過酷な勤務で身体を壊さなか心配です……」
私は繭をひそめ心配な表情を浮かべながら言った。本院の救命救急部なんて相当大変な部署であろうと誰もが想像する場所であるから、過酷な勤務でストレス倍増して体調を崩してしまうのではないかと心配になった。
「まあ、救命救急は過酷だからね。それにあそこの看護師たちが怖くて怖くて。それに比べてここの病院のみんなは温かいからありがたいよ~。身体を壊さないように頑張るけどね。どうなることやら……」
石家先生はまた煙草をゆっくり吸って今度は口からフゥーとゆっくり煙を吐いた。煙草の臭いが強く鼻をついていたが、もう私はその臭いに慣れていた。ていうかむしろ心地よく感じていた。
「あ、そうだ!先生に渡す物があったんです。」
私は茶色いポシェットを開けて5×15cmくらいの大きさで長方形の白い包みに小さな赤いリボンが付いたものを取り出した。
「先生に私からプレゼントです!大切に使ってくださいね!」
私は両手で包みを持って石家先生の目の前に差し出した。
「えっ?俺に?なになに?」
石家先生は持っていた煙草を銀の灰皿ですり潰し、少し驚いた表情を浮かべながら包みを受け取った。
「開けてみてのお楽しみです!」
私はニコニコ顔で先生を見つめた。
「開けていいかな?」
石家先生は笑顔で包みを見ながら言った。
「もちろん!」
私は弾んだ裏声で言った。
石家先生はニッコリした顔で何だろう?と言わんばかりの表情を浮かべながら白い包みをはがして箱からダークブルーのビロード地の入れ物を取り出した。パカッと蓋を開けると、銀色の万年筆が出てきた。
「うわぁーありがとう!」
石家先生は万年筆を持ちながら爽やかな笑顔でお礼を言った。その笑顔を見て私も嬉しくなり、満面の笑みを浮かべた。実は1週間前にデパートの高級文房具売り場へ行ってきたのだ。
(これから先仕事で使えるものが良いかなぁ……)
そう思って奮発して購入したのだ。
(プレゼント選びは大成功かな……)
私は先生の反応を見て嬉しさと安堵の気持ちが交差した。
女性定員が来て注文した料理を運んできた。テーブルの上にはラーメン・餃子・チャーハンが並んだ。
「いただきま~す!」
昼時でお腹が空いていたのもあり、私たちは無言でラーメンをすすり、餃子に箸をつけた。
石家先生は美味しそうにチャーシューを頬張り、ラーメンを勢いよくズルズル音を立てて啜っていた。
(このまま時が止まればいいのに……)
美味しそうにズルズルとラーメンを啜っている石家先生の笑顔を見て、私はしみじみそう思った。
美味しそうに食べる表情、爽やかな笑顔、その表情を間近で見ていると、私はほんのりと幸せを感じていた。その幸せをいつまでも感じることができればいいのに……でも現実はそうはいかない。幸せな昼食が終われば、石家先生は東京に行ってしまう。私は味噌コーンラーメンを啜りながら少しずつ寂しさが身体中を駆け巡ってくるのを感じていた。そして麺を啜る速さがだんだんゆっくりになっていった。そんな私の想いとは逆に、石家先生はチャーシュー麺と餃子を平らげ、チャーハンもほぼ食べ終わっていた。
「ふぅーお腹いっぱい!ごちそうさまでした!」
石家先生はチャーハンを食べ終わり、満面の笑みを浮かべながらレンゲを置いた。私はまだラーメンが半分も残っていた。
「あ、丸ちゃん、ゆっくり食べていいよ。」
石家先生はお冷を見ながら笑顔で言ってきた。
「すみません……」
私は、恥ずかしくなり、急いで麺を啜った。
「ごちそうさまでした。」
「じゃあ、出ようか。」
お勘定は石家先生がしてくれた。私は先生にお礼を言い、一緒にお店を出た。車に乗り込み、Ⅾ病院医師寮に向かって走らせた。時計の針は13:00を回っていた。
「先生、ここから東京まではどのくらいで着きますか?」
私はハンドルを握りしめ、前を見つめながら石家先生に聞いた。
「う~ん、高速が空いていれば1時間半くらいで着くかな。」
石家先生は腕を胸の前で組みながら答えた。
「先生、道中気を付けて行ってくださいね!」
「あぁ、わかったよ。」
「あのぉ~……」
「うん?」
「向こうへ行っても時々先生に電話したり、お手紙を送りたいなぁ~と思って……良いですか?」
私は上目遣いがちに石家先生の顔を見ながら聞いた。
(これからも先生と繋がっていたい!)
私はそう強く思っていた。
「あぁ、いいよ!」
石家先生は笑顔で返事をした。
「ありがとうございます!じゃあ、先生の住所と連絡先を教えていただけますか?」
「ああ、いいよ。」
「じゃあ、これにお願いします!」
私はポシェットからボールペンと小さいメモ帳を1枚切って先生に渡した。
「早速こっちの万年筆を使うからボールペンはいいよ。」
石家先生は、私の手からメモ紙のみ受け取った。そしてプレゼントの万年筆をビロード地の箱から取り出してサラサラと書いた。
「はい、これね。」
メモ紙の真ん中にはインクが黒く少し滲んだ文字で住所と電話番号が書いてあった。
「ありがとうございます!私も書きますね!」
私は、石家先生からもらった連絡先の書いてあるメモ紙を四つ折りにしてポシェットの中に大切に入れた。そしてボールペンを出してメモ帳に自分の名前と住所・電話番号を書いて両手でメモ紙を持って石家先生に渡した。
「はいこれ、私の連絡先です!気が向いたときいつでも電話をしてくださいね!」
「ああ、ありがと。」
石家先生は私が渡したメモ紙に少し目を通してから四つ折りにしてデニムのポケットの中に入れた。
(やった!また連絡取り合える!)
私は安心と共にまた嬉しさが込み上げてきた。石家先生からまた電話をしても良いという返事をもらえたこと、彼と連絡を取り合って会いに行けるかもしれない、これからまた楽しみができると勝手にジワジワと嬉しさが込み上げてきた。そうこうするうちに病院の医師寮前の駐車場に着いた。