バカ恋ばなし

私は石家先生へ毎日“微笑み会釈作戦”を欠かさず実践していた。朝ナースステーションに入ってきたとき、回診のとき、先生が手術を終えてナースステーションに戻ってきたとき、仕事を終えて帰り際先生に会ったとき、その都度微笑みかけることで、少しずつ彼が私に対して好感を抱いてくれることを期待していた。
「塵も積もれば山となる!ちょっとずつでも彼へ微笑みかければいつかは私に好意を持ってくれる!よし!がんばるぞぉ~!」
私の口角を釣り上げたわざとらしい微笑みに彼は毎回爽やかな笑顔で応えてくれており、その都度私は密かな満足感を得ていた。そんな小さなやり取り一つでも石家先生が答えてくれていると思うととても嬉しかった。
「石家先生とお食事に行けたらいいなあ……そしたらどんなところに連れて行ってくれるのかなぁ……都会人だからきっとロマンチックムード満載の素敵なところに連れて行ってくれるのかなぁ……そして都会の素敵な夜景を眺めて……」
そんな石家先生とのデートを妄想してはニヤついていた。
そんな恋愛経験なしで妄想バカな私にちょっとしたチャンスが舞い込んだ。
それは石家先生が病棟に来てから半月が経ってからのこと、病棟で石家先生の歓迎会を執り行うことになった。勤務終了後の午後6時過ぎに、同僚の松田と一緒に病院近くにあるI市内の居酒屋へ向かった。居酒屋の奥の座敷席には前田師長、米倉主任、北島さんと重鎮たちがいて、その横には田島先輩がコバンザメのように隣について座っていた。早くも重鎮たちのテーブルは煙草の煙が充満していた。その隣には山田さんや谷中さんといった中堅のおばちゃんたちがワイワイ談笑していた。
(石家先生といっぱい話しができるかもしれない!なんだか楽しみ~!)
席について温かいおしぼりで両手を拭きながらそんなことを考えているうちに、勝手にドクドクと胸が鳴りはじめ緊張していくのを感じた。
「主賓の石家先生が来ていないけど、時間になったからはじめようか!」
米倉主任の一声で宴会が始まった。始まって30分近く経過した後に遅れて喜屋武の後に続き石家先生が居酒屋の店内に入ってきた。
「いやあ~遅れてすまない。」
「遅れてしまってすみません。あ、僕ビール飲みたい!」
二人は米倉主任に「こっちこっち!」と手招きされ、奥の重鎮たちの間に囲まれてドカッと座った。主賓が到着したので改めて喜屋武教授から乾杯の音頭があり、皆勢いよく杯を開けた。私はお酒というものがあまり飲めず、ビールをコップ半分くらい飲んだだけで顔から首にかけて茹蛸のように赤くなってしまった。でもアルコールが入ったおかげで心が徐々に軽くなり緊張が和らいでいくのを感じた。乾杯後、それほど経たずして会場内にバカでかいガハハ笑いが響いた。米倉主任を筆頭におばちゃん看護師連中はガハハガハハと大口開けて笑いながら喜屋武教授を囲んで酒を酌み交わしていた。普段は朝から二日酔いみたいに怠そうにして目が座っている鬼軍曹北島さんは、日本酒が入ったせいか、日中よりも目をカッと見開いて覚醒していた。
「ねえ、あんたたちも飲みなよお~。」
と、上機嫌に私たち新人職員にも日本酒を勧めてきた。田島先輩はビール瓶片手に石家先生の隣にドスンと座ってお酌をしていた。
「はい先生どうぞ。カンパ~イ!。お、先生の飲みっぷり最高!」
田島先輩は、普段病棟では医者や上司に対して猫なで声で話しかけ、忠実かつ積極的に働く“犬”であるが、私たち下っ端に対しては陰湿な上にアゴで使っていた。石家先生の隣に座り込んだ田島先輩は、パンダのように目の回りを真っ赤にして気持ち悪い猫ナデ声を出しながら目の座った笑顔で先生にお酌をしていた。そしてビールで酔った勢いもって先生の太ももに左手を置き、寄りかかるような感じで接近してきた。時々ギャハハと大笑いしながらバシバシと先生の右肩を叩いたり、左乳を摺り寄せて寄りかかっていた。私はコップに入ったビールを舐めるようにチビチビ飲みながらその様子をジーっと眺めていた。普段田島先輩から雑な扱いを受けている私はとても腹が立った。
(気持ち悪い声を出しやがって。先生から早く離れろこのクソが!テメエには同棲している男がいるだろうが!)
でもその反面、私は田島先輩のことを少し羨ましくも思った。酔った勢いとはいえ石家先生へ気軽に声をかけてコミュニケーションをとっており、私にもそんな度胸があればどんなにいいことかと。