わたしはそっと扉に近づくと、ルネに渡されている小さな鈴をチリンと鳴らす――すぐに扉が開かれて、ルネが顔を出した。
「いかがされましたか、リリア様――って、陛下……?」
「先ほどこちらにいらっしゃったの。その、なにか温かい飲み物を持ってきてもらえるかしら。多分、もう少し遅くまで陛下がこちらにいらっしゃると思うから」
いくぶん遅い時間帯ではあるけれど、ルネは嫌な顔一つ見せなかった。
それどころか、彼女はどこか嬉しそうに顔をほころばせると、すぐに温かいハーブティーを用意してくれる。
「こちらをどうぞ。紅茶と違って、夜に飲んでも頭が冴えることはありません。……それではリリア様、どうか今夜はごゆるりと」
「え、えぇ……? ありがとう、ルネ」
ティーポットに入ったハーブティーをカップに注ぎ、そっとヨハネス様の前に差し出す。
すると、じっと本の中身を追っていた視線がわたしの方に向けられた。
「陛下、こちらを。ルネが用意してくれました」
「あぁ――ありがとう。ところでリリア、この場面だが……この吟遊詩人が吟じているのは、歴史書からの引用か? ……どこかで見たことがあったのだが、思い出せん」
そう言うと、彼は本を開いて該当の場所を見せてくれた。
――確かに、これは古い本からの引用だ。この大陸に古くから伝わっている、遊牧民の歌を持ち出した。
「『アールト書記』に記載されている、遊牧民の歌ですね? 後半部分からの引用をしています」
「あぁ、そうか。アールト書記なら、確か皇太子の時分に読んだことがある。だが、あれは少し難解で退屈だな」
「そうですか? たくさんの詩歌が載っていて、とても楽しく読むことができました、が……あっ……」
まただ。またやってしまった。
この物語を綴っているのがわたしだと、彼に露呈してはいけない。
自分の失態に溜息を吐きそうになっていると、意外にもヨハネス様は表情を緩めた。
笑っているというよりは、無表情ではないというのが正しい表現のような気もするが――わたしには、彼が少しだけ微笑んだように見える。
「お前も、書物にはなかなか造詣が深いな」
「……亡くなった母が、よく本を読む方でした。なので私も……お、女が学問などと、お思いでしょうか」
「いいや、教養に性別は関係ない。おかげで私は今、こうしてお前と楽しく会話をできているわけだが」
――楽しい。
彼の口から飛び出した言葉に、思考が止まった。
戦争大好き皇帝陛下が、わたしと会話して楽しいだなんて。そんなこと、この一年間一度も言われたことがなかった。
いや……そもそも、会話だって数えるくらいの回数しかしたことがない。
「そうだ、リリア。アールト書記に書かれている最後の詩歌は読んだことがあるか?」
「はい、何度も……確か、古い時代の女王が従僕に宛てた詩でしたよね?」
「あぁ。その詩についての見解を聞きたい。あれは恋の歌であるという説が定説だが――」
「そ、それ! メルトワーズ王国でも、そちらの解釈が主流でしたが、あれはきっと……恋じゃなくて、叱責、ですよね?」
何度も読み返した本は、その作成年代の古さゆえに複数の解釈が存在している。
その中でも、詩集の最後に記されている女王の詩歌には学者ごとに異なる解釈が存在していた。
わたしが母国で教師に習ったのは、あの詩は従僕への身分を超えた愛を示しているというものだった。けれど、幼いわたしにはその意味が理解できず――むしろあの詩は、女王が従僕を強く叱責しているのではないかと思っていた。
「いかがされましたか、リリア様――って、陛下……?」
「先ほどこちらにいらっしゃったの。その、なにか温かい飲み物を持ってきてもらえるかしら。多分、もう少し遅くまで陛下がこちらにいらっしゃると思うから」
いくぶん遅い時間帯ではあるけれど、ルネは嫌な顔一つ見せなかった。
それどころか、彼女はどこか嬉しそうに顔をほころばせると、すぐに温かいハーブティーを用意してくれる。
「こちらをどうぞ。紅茶と違って、夜に飲んでも頭が冴えることはありません。……それではリリア様、どうか今夜はごゆるりと」
「え、えぇ……? ありがとう、ルネ」
ティーポットに入ったハーブティーをカップに注ぎ、そっとヨハネス様の前に差し出す。
すると、じっと本の中身を追っていた視線がわたしの方に向けられた。
「陛下、こちらを。ルネが用意してくれました」
「あぁ――ありがとう。ところでリリア、この場面だが……この吟遊詩人が吟じているのは、歴史書からの引用か? ……どこかで見たことがあったのだが、思い出せん」
そう言うと、彼は本を開いて該当の場所を見せてくれた。
――確かに、これは古い本からの引用だ。この大陸に古くから伝わっている、遊牧民の歌を持ち出した。
「『アールト書記』に記載されている、遊牧民の歌ですね? 後半部分からの引用をしています」
「あぁ、そうか。アールト書記なら、確か皇太子の時分に読んだことがある。だが、あれは少し難解で退屈だな」
「そうですか? たくさんの詩歌が載っていて、とても楽しく読むことができました、が……あっ……」
まただ。またやってしまった。
この物語を綴っているのがわたしだと、彼に露呈してはいけない。
自分の失態に溜息を吐きそうになっていると、意外にもヨハネス様は表情を緩めた。
笑っているというよりは、無表情ではないというのが正しい表現のような気もするが――わたしには、彼が少しだけ微笑んだように見える。
「お前も、書物にはなかなか造詣が深いな」
「……亡くなった母が、よく本を読む方でした。なので私も……お、女が学問などと、お思いでしょうか」
「いいや、教養に性別は関係ない。おかげで私は今、こうしてお前と楽しく会話をできているわけだが」
――楽しい。
彼の口から飛び出した言葉に、思考が止まった。
戦争大好き皇帝陛下が、わたしと会話して楽しいだなんて。そんなこと、この一年間一度も言われたことがなかった。
いや……そもそも、会話だって数えるくらいの回数しかしたことがない。
「そうだ、リリア。アールト書記に書かれている最後の詩歌は読んだことがあるか?」
「はい、何度も……確か、古い時代の女王が従僕に宛てた詩でしたよね?」
「あぁ。その詩についての見解を聞きたい。あれは恋の歌であるという説が定説だが――」
「そ、それ! メルトワーズ王国でも、そちらの解釈が主流でしたが、あれはきっと……恋じゃなくて、叱責、ですよね?」
何度も読み返した本は、その作成年代の古さゆえに複数の解釈が存在している。
その中でも、詩集の最後に記されている女王の詩歌には学者ごとに異なる解釈が存在していた。
わたしが母国で教師に習ったのは、あの詩は従僕への身分を超えた愛を示しているというものだった。けれど、幼いわたしにはその意味が理解できず――むしろあの詩は、女王が従僕を強く叱責しているのではないかと思っていた。
