あの日溺れた海は、

一通り説明を受けて、お礼を言うと、「何か質問は?」と尋ねられた。

その説明は見事なまでに完璧で、分かりやすくて、質問なんて浮かび上がってこないほどだったから、すぐさま「いいえ。」と答えそうになって、でも、と少し悩んで、それから口を開いた。


「わたしが山崎さんに破られた原稿用紙を、山崎さんのところへ持っていって直すように言ってくれたのって、先生ですよね…?」


今しか聞く事ではないということは重々承知だけど、今しか聞く機会がない、今を逃したらまた避けられてはぐらかされる、そんな気がした。


おずおずと述べながら先生をちらりと見上げると、「言ったのかよ…。」と不機嫌そうな顔をして舌打ちをしたかと思えば、わたしの視線に気付くや否や急に貼り付けたような笑顔をむけて「…いえ、なんのことか。」と惚けた声でそう言ってのけた。


あくまでもシラを切り通すつもりか、その方が先生にとって都合がいいのか、一瞬のうちにあれこれ考えたけれど、「ありがとうございました。」とだけ、伝えた。


それでも先生は「さっぱり意味がわからないですねえ。」とさらりと交わした。


わたしは一呼吸置くと「それに、」と、口を開いた。


「わたしの小説を添削してくださったのも…本当は嬉しかったんです。ありがとうございます。」


ずっと言いたかった言葉を伝えると自然と柔らかい笑みが溢れた。


わたしの心の中でできていたわだかまりがするり、と溶けていくような感覚。


藤堂先生という人。


謎に包まれていて、今見えてる部分は本質のごくごく一部であることは分かってる。けど、きっと、悪い人なんかじゃないんだ。