あの日溺れた海は、


「藤堂、先生…?」
 
 
 
 咄嗟に謝罪してその手の主見るとそこには見覚えしかない顔があった。いつものスーツとは違い、紺の半袖シャツに、黒の細めのスラックス。足元は革靴ではなくスニーカー。合宿の時にも見た服なのに、こうして見ると新鮮味を感じた。
 触れていた手を慌ててのけるとぎゅっと握って後ろに隠した。
 
 
「ど、どうも」 
 

 いつも冷静沈着な先生もこんな漫画のような偶然に流石に驚いたのか、戸惑った様子でそう答えた。
 
 
「あ…先生も本を読むんですね」
 
 
「あ、いや、これは…」
 
 
 なんとなく歯切れの悪い答えをする先生に?を浮かべながらも、「はい」と、差し出されたその本をお礼を言って受け取った。
 
「この本、人気なんですね。」
 
 大量に積まれた本の横に『今話題の作家が描く!切ない恋の物語』と書かれたポップを手で突きながら先生はぽつりとそう言った。
 その涼しげな顔に似合わないどこか子供じみた仕草にふふっ、と吹き出すと先生は怪訝な表情でこちらを見た。
 

「井上さんの笑いのツボはどうも理解できない。」
 
 至って真面目な面持ちでそう言うから更に笑いのツボが刺激されて笑い声を上げた。途端に周囲の人の視線がこちらに向いた。まずいと思って口に手を当てた。
 

そんな私を見て今度は先生が口の端を上げた。ように見えた。その瞬間を切り取っておきたくて、シャッターを切るように瞬きをしたら次に目を開けた時にはまたいつもの飄々とした先生に戻っていた。
 
 
「先生は、」
 
 この辺りに住んでるんですか、と少し踏み込んだ質問をしてみようとした。なんとなく、聞いてみようと思ったし、なんとなく、答えてくれる気がしたから。でもそう言いかけた時。