「僕たち、付き合わない?」
「急ですね」
「君にはそう思えるかもしれないけど、僕は僕なりにこの機会を待っていたんだよ」
「条件があります」
「急にだね」
「この関係、誰にも言わないでほしいです」
「まだなんかありそうな顔だね」
「とにかく誰にもわからないように付き合いたい。会うのはここだけで」
「んーー、まっがんばってみるよ」

そう言って、男は去って行った。八雲は自分の耳を疑った。この理不尽な条件を提示して、納得した者はいなかった。八雲はその場でへたり込む。図書館には2人の他にはいなかった。この図書館は旧館で、古びた本のみがおいてある。生徒たちは大抵新館の方に行く。教室が近いし、パソコンもできる。八雲は静かな場所が欲しかった。話しかけられない居場所が。

そこで脇山奏《わきやまかなで》、高校2年、男子、と出会った。旧館に来る生徒は物静かで、目立たなく、あまり言葉も交わさない。脇山の存在を知らなかった訳ではない。ここに来る生徒は少ない。干渉しあわないのが旧館の暗黙の了解だと思っていた。告白されたのは初めてじゃない。だが、誰にも知られたくないことを伝えると、大抵相手は諦めた。

諦めてほしくて言っていたわけではない。条件を満たせば付き合いたかった。ただ他の人に見られたくなかった。違う、ツミキに見られたくなかった。思い返せば小学4年生の時、仲良くなった同じクラスの男の子と昼休み一緒に遊んで、一緒に帰った。同じ漫画を見ていて、話が盛り上がった。ただそれだけのことだった。翌日の昼休み、ツミキに張り付かれた。帰り道、ツミキが教室から家の前までついて来た。これが2週間続いた。あの時のことを思い出し、八雲はため息をつく。

(私だって普通に男の子と付き合いたいよ)

落とした本を手にし、立ち上がる。旧館を出ると太陽の光が眩しかった。一抹の不安はありつつも、図書館に来る意味が、違ったものになることに期待を寄せた。


奏との交際が、思いのほか順調で、八雲は安心した。奏は条件を守った。会うのは旧館だけ。話すのは旧館にふたりっきりの時だけ。他の場所で会っても、話しかけない。目も合わなさい。そんな状態が1か月過ぎ、八雲は少しだけ後ろめたさを感じていた。自分の言いたいことだけ言って、守らせ、自分だけ居心地がいいのではないかと。

10月下旬なっていた。旧館の外装をおおう蔦は紅葉の様子をみせていた。今日、旧館に行ったら、奏の気持ちを聞いてみようと、八雲は思った。昼休み、お弁当を食べ終え、立ち上がり、小説を2冊持って教室を出た。

「また旧館に行くの?」
「うるさい」
「何の本借りたの?」
「シェイクスピア2冊」
「しぶいね」
「こっちの勝手だ」
「今度さ、市立図書館に一緒に行こうよ」
「理由がない」
「赤ちゃんの名づけ本の蔵書が多いんだぜ」
「?」
「俺たちの未来の」
「それ以上言ったら、なぐる」

八雲はグーパンチをツミキのみぞおちにお見舞いし、逃げるようにして離れた。

「あーあ、またフラれたね」

ツミキに話しかけたのは中学からの友達のユウだった。苗代裕也(なえしろゆうや)、高校1年、男子。ツミキに臆することなく話せる数少ない友達の一人だった。いや、たった一人の友達だといった方が正しいかもしれない。

「フラれてないよ」
「出た。現実逃避」
「逃避もしてない」
「しつこい男は嫌われるって、うちの母さんが言ってたよ」
「誰に?」
「おれに」
「お前しつこいの?」
「ツミキには敵わないけど」
「八雲はなんで俺をお嫁さんにしないんだろう。俺、パーフェクトだろ。親同士も仲良いから、親戚づきあいも問題なし。八雲が働いて、俺が家事して毎日ハッピーだ。俺も働いたって全然いいんだぜ。共働きになっても、俺、家事完璧にこなす自信あるし。こどもが生まれたら、どっちに似ると思う?どっちに似たってかわいいと思うんだ。ベビー服、俺ミシンで縫おうかな。離乳食作るの楽しみだよなー」
「ツミキ、そういうところ」
「何?」
「フラれる原因」

(フラれてないって)

ツミキはみぞおちをさわる。最近の八雲は、冷たさが増してきている気がする。八雲の本好きは昔からだ。だから本の事に関してはあまり口を出したり、行動を共にすることは避けてきた。ツミキなりに、八雲の神聖な領域を守らねばと考えていた。八雲をいじめた子らを蹴散らして、慰めて守るのとは違う。八雲に自分が近づかないことで、彼女の大事なものを守る。

(そうだ)

「ユウ、放課後、買い物付き合え」

10月の空には波打つ雲が広がっている。みな、空を見上げる。何か儚い、手の届きそうもないものを求めて、さすらう自分をそこに映して。