神内くんはあれからも私の前にひょっこり現れては、爽やかな笑顔で裏表のなさそうな会話をしていく。竜生くんからの警告がなければ、警戒などせずにかなり仲良くなってしまっていたと思う。


 
「明石先輩は俺のこと苦手ですか?」

 体育祭と中間考査が終わり、文化祭準備が忙しい10月下旬。購買でおやつを選んでいたら神内くんに声をかけられた。いつも通り適当に愛想笑いをして話を切り上げようとしたときに、切なげな声音でそう問いかけられたのだ。
 うっ、と言葉に詰まる。それはあまりにも庇護欲をそそる表情をしている神内くんに、同情心を持ってしまったからだ。
 苦手ではない。だって私が知る彼は、聡明で溌剌としていて非の打ち所がないほどの好青年だ。嫌なことを言われたこともなければ、竜生くんが心配していたような執着心をみせられたこともない。なので私は、ただただ慕ってくれるかわいい後輩を無下にしている、という状況なのだ。いくらなんでも良心が痛む。

「苦手だなんてまさか!神内くんのこと好きだよ?」
「……ほんとですか!?よかった……俺、なんかしちゃったかな?ってすっごく心配してて」

 私の言葉に安心しきった顔で答える神内くん。グサグサとさらに良心が痛む。……めっちゃいい子じゃん……!
 竜生くんの警告を疑っているわけではない。だけど、今私の目の前にいる神内くんときちんと向き合いたい欲が出てきたのだ。

「誤解させちゃってごめんね?」
「いえ!俺が勝手に不安になってただけなので!」

 からりとした明るい笑顔で神内くんは続ける。

「そういえば、先輩のクラスは文化祭の出し物は何されるんですか?」
「喫茶店だよ!パフェと飲み物出すんだぁ」
「おいしそうですね!俺行きますね、絶対!」

 キラキラの瞳が人懐っこく細められた。うーん、やっぱりいい子だとしか思えないんだよなぁ。「私も神内くんのクラス見に行くよ」と約束をして神内くんと別れた。

 購買で買ったドーナツを持って教室に戻り、文化祭の準備に取り掛かる。3年生は自由参加なので今年の文化祭が実質的に最後になる。思い出に残る素敵なものにしたい。




 「おぉ、意外といけるじゃん」と失礼極まりない声をかけられてイラッとした。意外は余計な言葉なんだけど!?

「まぁ、これでも花の女子高生ですから」

ふふんと自慢げに鼻を鳴らし、一回転してみればふわりと白いエプロンが揺れた。

「いいねー。その薄い白ソックスがたまんないわ」

 私が見てほしい所とは違う所に注目されても……とニタニタとした笑みをこぼす礼人に冷めた目を向けた。

「変態みたいなこと言わないでくれますー?」
「おいおい、変態とは心外ですねー。男なら絶対見ちゃうでしょー」

 まるで全男を代表するような口ぶりだ。たしかにミニスカートーー予算の都合で制服のウエスト部分を折り返したものだがーーにニーハイソックスの合わせは、絶対領域という単語があるほど人気なものだ。だからこそ衣装決めの時にこの案が多数決で通ったのだと思う。
 しかも、ニーハイソックスはじっと見つめれば肌感がわかるほどの薄い生地だ。チラリズムという単語があるように、あからさまな生足より生地越しに薄っすら透ける肌に興奮する性的嗜好も存在するのだろう。

「じゃあ、この格好を見せたら竜生くんもその気になってくれるかな?」
「洗井くんはそんなものに興奮しなさそう」

 そんなものに興奮してる礼人ははっきりと言い切った。それ、自分で言ってて悲しくなんないのかな?

「どうかな?竜生くんも所詮男子高校生だからなぁ」
「……洗井くんのこと庇いたいの?けなしたいの?」
「どっちでもないよ。私はありのままの竜生くんを受け止めたいの!」
「そ。応援してるわー」

 礼人は私の頭に乗せようとした手を慌てて引っ込めた。その代わりにグッと親指を立てて私への応援の気持ちを表した。






 私が竜生くんから呪いの言葉をプレゼントしてもらった日。私は逃げていたことと向き合い、決着をつける決意をした。
 礼人の優しさに甘えていた。お互いにとって良くないこととわかっていながら、温泉のように心地良い礼人の好意にズブズブと浸かって、自分勝手にそれを消費してきたのだ。
 
 礼人の気持ちに応えられたら、と考えたことももちろんある。それどころか今でも考えている。だけど結局私は竜生くんを求めてしまう。浅ましく、卑しく。美しいものではないとわかっていても、ただ側にいたいと。




「なにー?改まって」

 私が呼び出した礼人は、いつものように緩い声と柔らかい笑顔を携えて私が座るベンチへとやって来た。

「……うん。きっちり返事をしておこうと思って」
「その顔から察するに、やっぱり俺じゃダメだったってやつかー」

 どっこらしょ、というなんとも気の抜ける掛け声を発しながら礼人は私の横に腰掛けた。

「礼人がだめとか、そういうことじゃない。竜生くんがいいの。竜生くんじゃないとだめなの」
「それでもいいって言っても?2番目でもいいよ?美琴が洗井くんのこと好きでもいい。ただ側にいたい」

 わかる。礼人の気持ちは痛いほどわかる。だって、私も竜生くんに対してそう思ってるから。
 私のことを好きじゃなくていい、ただ側にいさせてほしい。竜生くんの未来のどこかに私を存在させてほしい。

 それでも私は礼人の気持ちに応えるわけにはいかなかった。

「だめ。礼人は私の大切な人だよ。……だから雑に扱いたくない」

 今さらごめん、と頭を下げると、礼人は「ふっ、」と小さく笑った。

「ねぇ、これから一生洗井くんとヨリが戻らないとして、美琴は洗井くんと友達になれる?」

 礼人の問いかけに私は眉間に皺を寄せながら考えた。竜生くんと友達……ともだち……?

「無理かなぁ……。想像できないや」

 正直な気持ちだ。私はどこまでいっても竜生くんのことを男としてみてしまうだろう。その竜生くんと、亜美ちゃんや礼人のように友達として気軽に付き合っていける姿が想像できなかった。

「……うん!じゃあ、いいや!美琴の一番の男友達のポジションは俺だよね!俺は美琴にとっての特別ってわけだ」

 ベンチから腰を上げた礼人はそう言いながらからりと笑った。夏のように突き抜けた眩しさを纏い、煌めく夜空のように光る温かい笑顔。それは礼人そのものだ。
 男友達、そんな肩書きなどなくても礼人は私の特別だ。私はその笑顔を一生忘れない。