私が泣き止むと「飲み物飲むかー」と自動販売機の表に回った礼人が買ってきたココアを、私に差し出した。
 前も思ったが、礼人の中での私の好きな物の情報は小学生辺りで止まっている気がする。現にココアを好き好んで飲んでいたのは小学生までだ。中学生になると紅茶を飲むようになったし、最近はほぼお茶と水しか飲んでいない。
 一番長い時間を共有している友達、という認識は事実として間違っていないが、気付かぬうちに距離は広がっていたのだろう。きっと私も同じように、今の礼人の知らないことなんてたくさんあるんだろうな。

「ん?いらねーの?ココア」
「……いる」

 いつまで経ってもココアを受け取らない私を不思議に思った礼人が首を傾げる。「ありがと」と受け取れば、満足げな笑みを浮かべる礼人を見てなんだか心強く感じる。誰か一人でも私のことを想ってくれているという事実は、私の支えになっていた。



「まーた振られたわぁ」

 寒空の下そんな悲しいことを言うものだから、聞いた私も切なくなりそうだが、礼人の明るい声が悲壮さを微塵も感じさせない。それどころか最初からそうなることが分かっていたかのような口振りだ。

「だーかーらー、ほんとに好きな子と付き合いなよって言ったよね?」

 礼人が買ってくれたココアは徐々に温かさを失ってきていた。

「付き合ってるときはまじで好きなんだよー?もう俺にはわからん、お手上げー」

 空を仰ぎながらそう弱音を吐いた礼人はすぐに姿勢を正し、「てか、美琴にはそれ言ってほしくないわ」と悲しげに顔を歪めた。
 清田さんに振られた後はあんなにあっけらかんとしていたのにーーもちろん私の手前、ということもあるだろうがーー、私のたった一言に心底傷ついた顔を見せる礼人を見て、私のこと本当に好きなんだなぁ、と感じた。なんだか人ごとみたいに聞こえるが、実際に礼人が私を異性として好きだということを、本当の意味では実感したことがないのだ。

 「ご、ごめん……」と咄嗟に謝ったが、途端に空気が湿っぽく重くなる。さっき大好きな彼氏に振られた私には些か辛い空気だ。
 
「ま、いーけど。てか、鞄の中にあるのってクリスマスプレゼント?」

 礼人は空気を変えるつもりはないのだろうか?なぜ暗くなった話題を切り上げて、また次の暗い話題へ移る?
 私にのみデリカシーが欠如した礼人は私の鞄を覗き込み、竜生くんのために用意したクリスマスプレゼントを指差した。

「そーだけど?手袋買ったけど、結局渡せなかったの!」
「へぇ。俺なんてプレゼント渡して振られたからね!」

 なーんにもおもしろくない!あっはっは、と豪快に笑う礼人に冷ややかな視線を送った。けど、そんなことなんでもないよ、と笑う礼人に釣られるように私もおかしくなってくる。礼人の笑い声に釣られて私も声を出して笑う。
 クリスマスイブの夜の公園で大声で笑い合う男女って、さぞかし不気味だろうな。私は目尻に涙を浮かべながらそんなことを思った。



「それ捨てるんなら俺にちょうだいよ?」

 落ち着きを取り戻した礼人が真面目にそんなことを言うものだから、私の目が点になる。それ本気で言ってるのかな?でもこれは竜生くんに選んだやつだしなぁ……。もう絶対渡すことはないだろうけど、竜生くんを想いながら選んだこの手袋を礼人に渡すことは気が引けた。そもそも礼人はこれを渡されたところで、気持ち良く使えるのかな?

「あ!手袋欲しいなら、家に来てよ!礼人にも買ってあるんだ!」

 私は棚の中にしまい込んだハート柄の手袋の存在を思い出した。今度は礼人の目が点になる番だった。「まじでー?」と嬉しそうに破顔した礼人は「ほら、行くぞー」なんて言いながらもう立ち上がり歩き出そうとしていた。


 私が家に帰ると、出迎えてくれたお母さんは礼人の顔を見て驚いていた。そりゃ、彼氏とクリスマスデートしてくる、と言って家を出た娘が、幼馴染を連れて帰ってきたのだから驚きもするだろう。

「あらー、礼人くん!!びっくりしたわ」
「お邪魔しまーす。おじさんは?」
「お酒飲んで酔っ払ってるわよー」

 礼人はそれを聞いて楽しそうに笑った。そしてリビングの扉を開けてお父さんにも「こんばんはー!」と挨拶をした。このまま放っておいたら世間話が長々と続きそうだったので、「部屋に行くよ!」と礼人の服を後ろから軽く引っ張る。
 「おー。じゃ、おじさんまたねー」とお父さんに緩く挨拶をした礼人が振り返った。その姿を見て「なに、その格好流行ってんの!?」と思わず大きな声を出してしまう。公園は薄暗かったし、そもそもそんな所まで見ている余裕などなかった。今改めて確認した礼人の服装は、図らずとも竜生くんと同じ黒パンツに黒ニットのタートルネック合わせだった。礼人はその上に、ミリタリーテイストのオーバーサイズのカーキ色のダウンを羽織っていたので、竜生くんとは雰囲気が全く違うけれども。
 「へ?なにが?」と戸惑いを見せた礼人の反応は正しいだろう。急に大声を出されてさぞ驚いたと思う。

「ごめん、全くどうでもいい話だわ。部屋に行こう」

 私は気を取り直し礼人を部屋に通した。礼人が私の部屋に入るのは、あの日ーー私が礼人をきっぱりと振った日ーー以来だった。
 「お邪魔しまーす」だなんて、前までは絶対に言わなかったのに!どことなく緊張している礼人に引っ張られ、私までドキドキしてきちゃったじゃない。

「その辺りに座っといてよ」

 と私がテーブルの近くを指すと、礼人は素直に従い腰を下ろした。
 
 クローゼット内にある棚を開けるとお目当ての物はすぐに見つかった。「あったあった」と言いながら取り出し、手持ち無沙汰にキョロキョロ辺りを見回している礼人に「はい」と手渡す。
 礼人は恭しく両手でそれを受け取り、「ありがとう。開けていい?」と柔らかに微笑んだ。
 プレゼントを目の前で開けられるのって、こんなに緊張して、こんなに恥ずかしいのか……。私は初めての感情を礼人に向けていた。
 丁寧に包装紙を開けた礼人はハート柄の手袋を見て「かっわいー」と叫んだ。「俺のキャラにピッタリじゃんねー」と早速いそいそと手袋をはめている姿は微笑ましい。
 
「美琴、ありがとー。すっげー嬉しい」

 手袋をはめた手を私に見せながら、礼人は目を細めた。本当に嬉しそうな顔をするのだからこっちまでその気持ちが伝染してしまう。喜んでくれてよかった。私は安心と共に息を吐いた。
 最悪で悲しいクリスマスイブだったけれど、一つでも喜ばしいことがあって本当に良かった。自然と上がる口角に気づき、私はそう思った。

 ニコニコする私の顔を見ながら幸せそうに笑った礼人。だけどその顔が切ないと感じるのは、下がった眉のせいだろうか。それとも瞳の奥に感じる憂いのせいだろうか。いや、礼人の気持ちが私と重なるからだ。本当に好きな人は自分に振り向いてくれない。
 私は礼人に残酷なことをしている。それは竜生くんが私にした仕打ちよりももっと残酷なものだ。

「何一ついらないと思ってたのに。手に入るかもと思えば、どうしても欲しくなるよ」

 やっぱり礼人は切なげな瞳で微笑んだ。