俺と服部の間には拭い切れない不和が生じている。それが現れたのはいつ頃だったか、と夜道を2人で歩きながら思い返した。

 

 通っていた幼稚園が一緒だっただけでそこまで仲が良いわけではなかったと思う。よく話すようになったのは中学に上がった頃からだ。服部はその頃から周りの誰よりも大人びていた。勉強が好きで本もよく読む、という共通項から次第に距離が縮まり女子の中では一番仲の良い相手になった。
 周りに「付き合ってんのか?」と確認されたことも、「付き合えばいいのに」と茶化されたこともあった。ということは、俺たちは他の人から見ても仲が良かったのだろう。
 服部の態度が急におかしくなったのは、そうだ、確か中学3年生の修学旅行辺りだ。旅行先は夜景が有名な地方で、恋人たちが宿泊先からそれを眺めていたことを覚えている。もちろん先生たちには内緒だ。
 その時仲が良かった男友達に「服部さんに告白しないの?」と聞かれた。俺はその意味がいまいち分からなかった。告白とは好きな相手にするものだろう?俺は服部のことを恋愛対象としてみたことは一度たりともなかったのだ。それをそっくりそのまま友達に告げると、彼は「まじかよ……お前、それはひどいわ……」と俺を責めたのだった。

 

 そこまで思い出したが、俺たちの不和の原因になるものはやはり見当がつかなかった。きっと知らぬ間に傷つけたり、怒らせてしまったりしたのだろう。
 あまりにも気まずい空気に「服部って、俺のことなんで嫌ってんの?」とつい口が滑った。服部は信じられないものを見るかのような目を俺に向ける。そんなに嫌悪感を表に出さなくても、と思った。

「洗井くんて、本当に人に興味ないよね」

 その言い方を聞いて、服部は俺のことを嫌っているというよりは、呆れているのかもなぁ、と認識を改めた。だがしかし、それは心外であった。

「そんなことないよ。普通に興味あるけど?」

 と答えたのが、また服部の癇に障ったらしい。

「私のことを拒絶してたのは洗井くんだよ!?ずっと線引きして洗井くんに近寄らせてくれなかったじゃない!!」

 ここまで声を荒げて感情のままに話す服部を見たのは初めてだった。そこまで追い詰めていたのか、と申し訳なく思う。が、全くもって身に覚えのない行為を責められて、俺もムッとした顔を隠さなかった。

「それは服部が勝手に思ってたことだろ?俺は別に線引きして拒絶なんてしてなかったよ」
「……私は好きだったのよ!!ずっとずっと、……ほんとうは……」

 そこまで言って服部は慌てて口をつぐんだ。
 服部の気持ちを聞いても驚かなかったのは、当時の俺が薄々感じていたことだったからかもしれない。
 しかし、勝手に諦めて勝手に距離を置いて、あげくそれは俺のせいってか?とんでもない擦りつけだな、と呆れた。ほんとうは、と勢いで言おうとした続きの言葉は聞きたくなかった。

「とりあえず美琴を傷つけるようなことしないで」

 服部も続きを言うつもりはないようで、それだけ言うとまた口を閉ざした。

 俺は服部に伝わらないように、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。こんなにイライラしながら、俺の中にある吸血鬼の本能が『この女がお前の運命の相手だ』と叫んでいるのだ。そんなことあってたまるかよ。





 どうしても頭を冷やしたくて俺は当てもなく夜道を歩いていた。美琴と別れなければいけない……頭では理解しているのに心が追いつかない。美琴と離れる?そんなこと俺にできるのだろうか。

 気づいたら最寄り駅付近に来ていた。このまま電車に乗って美琴に会いに行こうか、と無茶な考えが浮かぶ。違う、今俺が考えなければいけないことは、美琴とどうやって別れるかだ。そんなことをぐるぐると考えていると、近くで男女の揉めるような声が聞こえた。痴話喧嘩かな、と思ったが、切迫した女の声が時折聞こえ、これは只事ではないぞと声のする方へ走った。
 現場を見つけて驚いたのは、地面に押し倒されている女の方が見知った人物だったからだ。

 「おい、なにしてんだ!」と自分に出来る最大限の威圧感のある声を出し、男を服部から引き剥がした。男は見つかったことに驚き、腰を抜かしながらその場を去って行った。

「大丈夫か?警察に電話するぞ?」

 大丈夫なわけないだろうが、そう声をかけるしかなかった。服部は「警察はやめて!」と叫び、呼吸を整えてから「大丈夫だから」と告げた。そう言われてしまえば、それ以上強制することはできなかった。

 見た目にもボロボロなのがはっきりとわかる。俺は服部の体を支えながら立たせ、高架下の公園にあるベンチまで移動させた。その途中で抑えが効かない吸血欲求に襲われる。少しでも気を抜いてしまえば、衝動的に服部に噛み付いてしまいそうなほどであった。今まで経験したことのない強い吸血欲求に頭の中が沸騰してしまいそうだ。

 息も絶え絶えに服部をベンチに座らせた時、俺は納得した。破れたタイツから見える足に血がベッタリと付着している。原因はこれか、と思う。だけどこの欲求の強さはなんだ。美琴に対しては感じたことのないほどのものだった。
 それに酷く美味しそうで甘い匂いがする。ふらふらと誘われるままに口付けてしまいそうだ。
 本来なら傷口は水道水で洗い流してあげた方がいいのだろうが、俺はその血に触れる自信がなかった。触れたら最後、俺はきっとむちゃくちゃに求めてしまう。それは美琴に対する最大の裏切りだった。

「親に連絡するか?」
「必要ない。洗井くんも帰っていいよ。ありがとね」

 服部はそう言うが、そんなわけにはいかないだろう。俺は「じゃあ、美琴に電話するから」とスマホを出した。「美琴を巻き込まないでよ!」と服部は強く拒否したが、俺はそれを無視した。結局あれもこれもダメだと言うのなら、俺の好きにしようと思ったのだ。

 そして現れた美琴を見て心底安心した。そしてその後ろにいる森脇くんを見て心が冷える。美琴を解放してあげなければいけない状況になってなお、嫉妬の感情が抑え切れない自分自身に辟易した。
 慣れなければいけない。美琴が側にいないことに。慣れなければいけない。美琴の側に俺以外の男が立つことに。俺はもう美琴の側にはいられないのだから。