本来ならこのまま休憩に入るはずだったのだが、警備のシフトが終わったその足で、私は教室へと急いでいた。次の警備グループの子と変わるときに「お化け屋敷、人気で大変みたいだよ」と聞いたからだ。
 到着して驚く。たしかにお化け屋敷にも人はそこそこ入っているみたいだ。現に今も並んでくれている生徒が数人。だけど、人気で大変なのは竜生くんだったのね、と竜生くんの周りの人だかりを見て理解する。
 「1時間近くこれだからね」「いやぁ、洗井くんパワーすごすぎ」と私に気づいた受付の子たちが、こっそりと教えてくれた。大変だっただろうことがその顔の疲弊具合から見て取れた。どうやら今のこの状況でもだいぶマシになったみたいだ。

「洗井くんこの後休憩だし、そうなれば落ち着くと思うけどな」

 受付係の責任者である金沢くんがそう発言した後に、竜生くんに群がる人を避けながら「休憩出てくれ」と伝えに行く。
 「明石さんも休憩行ってきなよ」と言ってくれたので、当初の予定通り竜生くんと校内を見て回ることにした。



「お疲れー」

 礼人とくだらない話をしていただけーーもちろん警備の仕事をしながらたがーーの私より、竜生くんの方がずっと疲れていると思う。だけどそんなことを微塵も感じさせない晴れやかな笑顔と共に、彼はやって来た。

「竜生くんもお疲れ様」

 この休憩が終わればまた宣伝係に戻る竜生くんは当たり前に吸血鬼の格好だ。ハマりすぎて違和感はないのたが、やはりかなり目立つ。
 私たちが行くところ行くところ、ジロジロと好奇の眼差しを向けられるのだから、居心地はこの上なく悪かった。しかし、竜生くんよりも私の方がその眼差しに負けてしまいそうなのは、きっと彼がその様な眼差しを向けられることに、私よりずっと慣れているからだろう。比べることも烏滸がましいか。


 小腹が空いたから、と2年生のクラスの模擬店で買ったベビーカステラを中庭の隅の方で食べることにした。ベンチもなにもない芝生の上に腰を下ろすなり、ベビーカステラを口に放り込んでいく竜生くん。吸血鬼とベビーカステラって、違和感ありすぎて逆にときめくなぁ。
 「ん」という声と共に竜生くんは私にベビーカステラの入った袋を差し出した。あまりにも見すぎていたので、欲しがってると思われたのだろうか。朝ごはんを食べすぎたせいかまだまだお腹が空いておらず、私はチビチビとミルクティーを飲んでいたのだ。
 手に入るかもと思えば途端に欲しくなるのは、人間の醜い性だろうか。「美琴の分も買おうか?」と言ってくれた竜生くんに「お腹空いてないからいい」と断ったのは、正真正銘この私なのに。

「いいの?」
「?欲しいんだろ?食べなよ」

 何に遠慮しているのだろう?と思っているような、不思議そうな顔を私に見せて、再度カステラの袋を私の方に向けてくれた。
 「ありがとう」とお礼を言って、遠慮がちに袋の中に手を入れる。焼き立てのベビーカステラの少し湿り気を帯びた感触と、甘い匂いが私の食欲をさらにくすぐった。
 それをもぐもぐと咀嚼しながら感じるのは竜生くんの視線だ。しかも口元に注がれている。

「な、なに?なんかついてる?」

 私がその視線の意味について聞けば、竜生くんは慌てたように「ごめん」と謝った。え、なになに?めっちゃ気になるんだけど。
 私はどうしても教えてほしくて、竜生くんの腕に手を置き、少し揺すりながら「きーにーなーるー」と続きを促した。

「いやー、……食べてるところ見てたら、エロいなって……」

 私は竜生くんの口から「エロい」というワードが出てきたことに驚いた。いつもあんなエロエロな血の吸い方をしてくるのだけれど、その行為はどこか神聖で、エロさとは対極にある行為だと感じていたことも事実だ。
 だからその俗物的な言い方に心底驚いた。そして同時に嬉しくなったのは、相手に欲情して邪な気持ちを抱いていたのが私だけじゃなかったと知れたからだ。

「はぁ……俺、今すぐ美琴に噛みつきたい」

 その言葉に隠された本音は「血を飲みたい」だ。吸血欲求って、性欲と繋がっていたのか。   
 私は、神聖さすら感じる吸血行為に興奮して、もっともっと、とその先を求めてしまう自分を恥じていた。

「引いた?」

 なんの反応も示さない私に対して、竜生くんはそう言葉をかけた。私は必死で首を横に振って否定の意思を伝えた。

「ちがう……私も……ううん、私の方がもっと酷いこと考えてる」
「酷いこと?」

 怪訝な顔をしながらも、竜生くんの瞳にはめらめらと情欲の炎が揺れている。その瞳の熱も、会話の内容も、平和で健全な文化祭には似つかわしくないものだ。

「竜生くんともっと深く繋がりたい。……私の全部、竜生くんにあげたい」

 言い終えると、きゅっと口を結んだ。竜生くんの反応が怖い。

「……ほんとひどいわ。今それ言うか……」

 私の言葉にうなだれた竜生くんの耳が赤い。かわいい。私は追い討ちをかけるように、真っ赤になった耳を人差し指でなぞった。
 僅かに顔を上げた竜生くんの垂れた前髪の隙間から、鋭い目が覗く。その獲物を狙うような目に捕らえられたのは私だ。
 赤い舌を出して、ぺろりと口の端を舐めた。それは美味しい獲物を目の前にした捕食者のようだ、と思う。私は竜生くんに逆らえない。逆らう気などないのだけれど。


 休憩時間終了の10分ほど前。私たちは教室へと歩いていた。
 竜生くんは中庭での私の発言を「ずるい」と再び非難した。そのずるいは、どう足掻いても手を出せない状況で煽るなよ、ということらしい。そもそも最初に際どい発言をしたのは竜生くんなのに。

「そういえば、竜生くんはカードどこに置いてるの?」
「カードぉ?」

 まだ不貞腐れているのか、口調が子供のようだ。竜生くんは私が知らなかっただけで、拗ねると機嫌を持ち直すのに時間がかかるらしかった。

「ほら、『運命の相手』の」
「あぁ。ズボンのポケットだわ」

 そう言いながら、竜生くんはズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。長いマントが邪魔そうだ。

「あったあった。ほら」

 私の前に掲げたカードには95と書いてあった。「美琴は?」と聞かれたので、私も同じように竜生くんの目の前にカードを掲げる。

「13か……全然違うな!」

 明るく笑った竜生くんは全くもって気にしていない様子だ。だけど、私は少し期待していたのだ。もしかしたら一緒の数字かもしれないなぁ、なんて。

「なに?ショックだった?」
「うーん……ショック……まぁ、ちょっと?」

 とぼけた言い方をしたのは空気を重くしない為だ。たかだかゲームごときで落ち込むなんて、一歩間違えれば重い女になりかねない。
 竜生くんはそんな私の顔を覗き込んでちゅっと頬に可愛いキスをした。ちょ、ちょっと、ここ廊下だけど……!?
 顔を真っ赤にして口をパクパク金魚みたいに動かすことしかできない私を見て、竜生くんは楽しそうだ。

「マントで隠したし大丈夫」

 そうだけど、そういうことじゃなくて!!
 ただでさえ目立つ竜生くんが吸血鬼のコスプレをしているのだ。そんな中での大胆な行動。絶対に気づいた人もいると思う。
 竜生くんって、ほんとによくわかんない。理解できたかも?と思えば、また理解できないところが出てくる。
 だからより一層知りたいと思うのだろうか。

「俺ばっかりドキドキさせられるの悔しいじゃん!」

 白い歯を見せて悪ガキの笑みで、いったい何を言っているのだろう。
 私なんて毎日ドキドキさせられてるのに。