文化祭は文化の日周辺に開催されることが常で、今年も2日後の金曜日の今日が本番だった。
 やはり当日は朝早くから準備をしているクラスばかりなので、学校全体が騒がしく、そして浮き足立っていた。
 私たち文化委員はクラスに少し顔を出してから、生徒会本部が設営した文化祭実行委員会のテントの前に集まった。

「では、最後にもう一度シフトと注意事項、連絡系統の確認をします」

 実行委員会の会長がよく通る声で、私たちに再確認を行った。会長の話を真剣に聞きながら頷き、重要なことはもう一度メモを取った。完全な裏方要員だった体育祭とは違い、文化祭では少ないながらも重要な仕事を任された。やはり責任を持って臨みたい。……もちろん体育祭も私の全力で臨んだけれど。
 会長が一通り指示を出し終えると、「今まで頑張ってくれてありがとう!今日はみんなの力で文化祭を成功させましょう!」と力強い口調で私たちに激励の言葉をかけてくれた。はい!頑張ります!


 同じクラスの文化委員の男の子と教室に向かっていると、後ろから名前を呼ばれた。

「礼人、お疲れー!どしたの?」
「いや、さっき会長の話を聞いた後、『頑張ります!』って顔してたなぁ、と思って」

 くっ……バレてる。伊達に10年以上幼馴染をやってないな。

「私たち、最初から警備のシフトなんだから遅れないでよね」

 恥ずかしさを隠すように冷静に言ったつもりだったが、それすらもバレているようだ。「はーい」と手を挙げた礼人が笑いを我慢するように、口を固く結んだ。



 教室に戻るとクラスメイトはそれぞれの持ち場で最後の作業を進めていた。窓にはすでに黒色のゴミ袋と遮光カーテンがつけられており、教室はいつもとがらりと様相を変えていた。この薄暗さだけで不気味なのに、お客さんはそこからさらに暗くて狭い通路を通らされるのだ。しかも明かりは100均で買った、役に立つのか立たないのかわからないほどしか光らない懐中電灯一つというのだから、私なら絶対に入りたくない。

 設営は担当者に任せて、私は自分がする受付係の所へと向かった。「ごめん、お待たせ」と声をかけると、「委員会お疲れ様ー」と優しい言葉が返ってきた。こういう気遣いが嬉しいよね。
 受付係は宣伝係も兼ねている。受付の流れを確認していると、主に宣伝係に回る人たちが着替えを済ませたようで、こちらに合流した。
 竜生くんはあの日見たマントの中に、スタンドカラーの白シャツを着ていた。しかも袖と襟にフリルが施されている優美なデザインだ。それに薄っすらとヘアメイクもしているようだ。白岡さんと平松さんが張り切っていたことを思い出す。
 柔らかな黒髪が無造作に揺れる。いつも見えているスッキリとした瞳は重たい前髪が隠しており、時折隙間から見える鋭い視線に心臓を掴まれる感覚を覚えた。そしてバランスの整った唇には血色が滲んでいる。そのいつもより赤い唇は血の色にしては些か薄い。薄いが、私の血を吸った後の充血した唇の色とよく似ていた。

 こんなの反則すぎる。悔しいけど、白岡さんと平松さん両名に最大限の賛辞を贈るしかない。あっぱれ!
 その場にいた他のみんなも私と同じように息を飲んだ。圧倒的なビジュアルを前にすると言葉が出なくなるんだなぁ。



 「そろそろ時間だから、ホームルーム始めるぞー」という先生の声に従い、私たちは教室、もとい完全なお化け屋敷に足を踏み入れた。
 いつの間にか私の背後に回っていた竜生くんが「イケてる?」と耳打ちをする。私は唇を噛み締めて力強く頷いた。

「本物のヴァンパイアみたい?」

 どうしてそんな風に得意げに笑うの。その顔は自信に満ちたものだった。吸血鬼のイメージである、ナルシストで傍若無人そのものを表したような笑顔だ。そんな笑顔にさえときめいてしまうのだから、竜生くんは存在そのものが罪深い。

「うん。本物のヴァンパイアみたい」


 文化祭が始まると同時に私と礼人は貸し出されたトランシーバーを持って警備にあたった。次の警備グループと交代するまでの1時間、模擬店でのトラブルがないか、喫煙飲酒がないか、落とし物がないか、などをチェックしながら校内を巡回するのだ。トラブルがなければただの散歩になりうる。それが平和でいいんだけどね。

「腕章ってかっこいいよなー」

 礼人は自分の右腕についたそれを私に自慢げに見せてきた。いや、私も同じのつけてるからね、と負けじと見せる。……なにやってんだろ。

「見たよ、洗井くんのコスプレ。女子たちが騒ぐ騒ぐ」

 辺りを見回しながら、礼人が鼻で笑った。悔しいのか?

「礼人もあの格好したら騒がれてたよ?」
「……どーせ、俺は青い法被だよ!しかも祭って文字がでかでかと書かれてるやつだよ!!」

 俺が騒がれないのはその衣装が悪いという言い草に、思わず声を出して笑ってしまう。
 「いやー、竜生くんなら法被でも騒がれてたね」と、これは本心である。礼人は「あっそー」とだけ返して、唇を尖らせた。ついでに眉間に皺も寄っている。不機嫌な顔だ。

「まぁまぁ、ほんとのことだから」

 これは悪手。火に油を注ぐ行為だ。「おっまえなぁ!」と礼人が私の頬をつねろうとしたとき、胸ポケットに入っているカードがちらりと見えた。

「あ!礼人何番だったの、それ」

 と言いながら胸ポケットの中身を指さす。礼人は私の指を目で追い、「あぁ」と呟くと、しまわれていたカードを取り出した。

「111」
「え、すご!ゾロ目じゃん」
「んなことはどーでもいいから」
「私、ゾロ目見るとエンジェルナンバーかな、とか思っちゃうんだよ」
「えー?えんじぇ、あぁ、なんか前にも言ってたねー?」

 礼人は首を傾け、微かに残る記憶を思い返しているようだ。しかしさほど興味がないのだろう。思い出すことをすぐに諦め、カードをズボンのポケットにねじ込んだ。

「ちょっと待って、111の数字の意味調べてあげるから!」

 礼人の為というよりは、私が気になるのだ。スマホを取り出してウェブ検索をかけた。「えー、別にいいよー。巡回しよーよー」と面倒だという気持ちを一ミリも隠さない礼人の発言は、無視した。しかし、今回ばかりは礼人の言ってることが100%正しい。仕事をしろ、という話だ。

「あ、出た出た!えっとねぇ、『早く行動を起こしてください』だって!」

 私はスマホに映る検索画面を礼人に差し出した。礼人は私の言葉を聞いた途端に、その画面を食い入るように見つめる。今まではちっとも興味ないふりをしていたのだね、礼人くん。と、なんだか勝ち誇った気分だ。

「変化に向けてポジティブに。俺の望むことだけに集中しろ、ってさ」

 へぇ。礼人の望むことねぇ?

「望みかぁ……すぐ出てくる?」
「……あるよ。もうずっと望んでることが、たった一つだけ」
「へぇ。知らなかった。叶うといいね!」

 紛れもない本心に乗せて、私は微笑んだ。「ほんとにねぇ」と返事をした礼人は、寂しそうに微笑み返すだけだった。