はっや、という感想しかでてこない。さすがリレーメンバーに選抜された人達だ。各クラス選りすぐりの駿足達ばかりなわけで、そんな感想しか出てこないのも頷ける……でしょ?

 第一走者の竹部さんから亜美ちゃんへバトンが綺麗に渡る。私は声が枯れるのでは?と心配になるぐらいに声援を送った。なんなら枯れてもいいとさえ思っているのだ。
 亜美ちゃんは順位を一つ上げ、第三走者の高橋くんにバトンを繋いだ。亜美ちゃんすごいよ!もう私は親の気分で見ている。涙が出てきそうだ。
 高橋くんは順位をキープしたまま走り切り、アンカーの竜生くんへとバトンを渡す。スウェーデンリレーなので、アンカーは400メートル。運動場に用意されたトラックは一周200メートルなので、2周もするのだ。2周って……私なら途中で力尽きる自信がある。

「洗井くんがんばれー!」

 さすがに大声で、竜生くん、と呼ぶことは憚られた。私の前を走り抜けた竜生くんに力いっぱい声援を送る。ちらりと私の方を見てくれたと思ったのは、都合の良い勘違いだろうか。
 竜生くんが順位を一つ上げたことにより、7組が一位に躍り出た。このまま、このままゴールまで、と手を握り強く願う。
 だけど竜生くんの後ろから追い上げてきている人がいる。その人物は2組の礼人だった。
 いや、礼人のことも勿論応援したいよ?だけど、ここはごめん!絶対竜生くんに勝ってほしい!クラスのみんなも声が枯れることも厭わずに大きな声援を送っている。がんばれ、がんばれ!あと少し!

 本当にあと少しだった。本物の大会ならビデオ判定を要求しているところだ。だけど、これは学校開催の体育祭。審判が下したのは2組の勝利だった。
 「きゃー」という甲高い声と共に、2組のみんながゴールテープを切った礼人の側に集まる。私だって、その側で息を切らしている竜生くんに今すぐ駆け寄りたいよ。悔しそうな顔をしながら汗を拭う竜生くんを抱きしめたいよ。



 3年生のリレーも終わり、退場をしたリレーメンバーが帰ってきた時の第一声が「ごめん」だった。謝らなくていいから!みんなめっちゃ一生懸命に頑張ってたし、めっちゃかっこよかったから!!
 クラスのみんなも私と同じ気持ちのようで、口々に慰めや感謝の言葉、そして賛辞を送っていた。

「負けたぁ。もうちょっと走れるつもりだったんだけどなぁ」

 竜生くんは悔しそうな笑顔を見せながら私の横に立った。ここが学校じゃなかったら、人が居なかったら、抱きしめてるのに!

「めっちゃかっこよかった!竜生くんが一番だった!」
「……森脇くんより?」
「あったりまえじゃん!礼人より!竜生くんが一番だったよ!」

 力強く訴えた私を見て、「なら、いっか」と整った歯を見せて笑う。

「声、聞こえた。てか、美琴の声しか聞こえなかった」

 竜生くんのはにかんだ笑顔が私を釘付けにする。今すぐに血を吸ってほしい。竜生くんに私の全てをもらってほしい。
 晴天の爽やかな空の下、私は似つかわしくない欲望を胸に抱いた。


 うちの高校は学年ごとに順位を決める。結果として1年7組は2位だった。一位は2組だ。あのリレーに勝っていたら7組が一位だっただろうが、誰もそれは口にはしなかった。

 設営の片付けをした後、フォークダンスが始まる。心なしかみんなが浮き足立っているのは勘違いではないと思う。だって、私も浮き足立つ心を必死に押さえ込もうとしている一人だ。



 運動場に出していた椅子の脚を拭いて、教室まで持ち帰っている道中、後ろから「美琴」と声をかけられた。なんだか今日はよく会うなぁ、と思う。

「礼人……。おつかれー!どしたの?」
「おつかれ!やー、洗井くんに貸してた道着、返してもらおうと思って」

 ついでに他の人に貸してた分も、ということらしかった。「ふぅん」である。

「えぇ?もっとないの?俺、リレーですっげぇ頑張ったと思うんだけどぉ」
「……頑張ってたね」
「……っえ!?それだけ?!もっとこう、かっこよかったよ、とか、応援してたよ、とかあってもいいじゃーん、ねぇねぇ」

 あー、しつこい!!

「かっこいいかっこいい。応援してた応援してた」
「そんなんじゃなくってさぁー」

 私のあまりにもあまりな言い方に、礼人が口をへの字に曲げて不満を表した。散々クラスの女子たちから言われたでしょうに。
 あまり学校で絡みたくないと思うのはさすがに酷いだろうか。だけど、やっぱり視線が痛いのだ。それは亜美ちゃんに「森脇くんブームがきている」と聞いた先入観によるものだろうか。
 なんにせよ、学校生活に極力波風を立てなくたい。その気持ちを汲んでくれ、と礼人に頼むことは果たして正しいのだろうか。

「あ、洗井くんだぁ。やほー」

 礼人の緩い声が竜生くんを呼ぶ。ひらひらと揺れる礼人の手を追うようにそちらを見れば、竜生くんと目が合って、ニコリと微笑まれた。
 ぞくり。あれ?どうしてその笑顔を怖いと思うんだろう。竜生くんの整った顔はまるで人形のようだ。優しく微笑まれているはずなのに、吸い込まれそうな瞳には暗闇が広がっていた。

「森脇くん。もしかして道着?俺が返しに行くのに……わざわざありがとう」

 竜生くんがそう言って礼人に向けた笑顔は作り物だ。これは竜生くんの笑顔じゃない。さすがにそれぐらいはわかるようになっていた。

「いやいや。早く返してもらおうと思って。大切なものだから」

 なんで礼人もちょっとピリピリしてるの!?そんなに大切な道着なら貸さなきゃよかったじゃん、とも思ったが、礼人は優しいのだ。ノーと言えない日本人的なところが多分にある奴だ。断れなかったのなら、申し訳ないことをしたな。って、礼人に借りることを決めたのは私ではないんだけれど。

「そんなに大切なら、掴んで絶対に離さなければよかったのに」

 竜生くんの目が冷たく細められた。

「え、2人ともなんの話してるの……?」
「道着だよ」「道着に決まってんじゃん」
「っだ、だよね!」

 2人に同時に道着だと言い切られ、焦ったように言葉を返す。まじで道着であんなピリピリすんの?えー、全く意味わからん。

「あ、礼人、そろそろ教室戻った方がいいんじゃん?」

 一刻も早くこの訳の分からない空気から逃げ出したい私は、そう言いながら礼人の背中を押した。

「うん、わかってる。じゃ、洗井くん、またねぇ。美琴も、またな」
「うん。じゃーね」
「森脇くん、道着ありがとう」

 礼人は竜生くんのお礼の言葉に反応することなく、廊下を歩いて行った。
 その背中を見送っていると「ふぅ」と竜生くんのため息が聞こえる。

「あ、なんかごめんね?礼人ピリピリしてたね」
「……森脇くんがピリついてたことに、美琴が謝る必要ないよね?」

 ……まぁ、そうだけど。なんでそんな棘のある言い方すんの。
 私はそんな竜生くんの物言いに悲しくなって、俯いた。ほんと意味わかんない。

「ごめん。ただの八つ当たりだ。……ごめん」

 竜生くんは俯いた私が泣いたと思ったのだろうか。焦った声を出しながら、私の頭を撫でた。髪を耳にかけられて、竜生くんの手が私のフェイスラインに優しく触れる。そしてそのまま、優しい力で私の顎を持ち上げた。

「……泣いてるのかと思った……」

 私の表情を確認した竜生くんが、安心したように呟く。泣かないよ。だってここで泣いたら困るでしょ?
 私は自分が出来うる限りの優しい眼差しを送った。