数学がちんぷんかんぷんすぎて頭を抱え込んだ私に、竜生くんが丁寧に解き方のヒントを教えてくれる。
 そもそも竜生くんは全ての宿題を終わらせているのだ。だから今回の勉強会は私のために開催されている。夏休み初日は計画表まで作ってやる気出してたのになぁ。どこで狂った?
 だけど弁解させてほしい。数学以外の宿題は割と予定通りに終わらせたのだ。ただ、苦手な数学だけが後回し後回しになって、このザマである。

「基礎は出来てるし、公式もちゃんと覚えてるんだから、あとはそれを応用するだけだよ」

 数学が得意な竜生くんはさらりと言うけれど、その応用が難しいんだよ、ということに気づいていないみたいだ。
 
「うーん。じゃあさ、5分考えて分からなかったら、もう答え見たらいいよ。で、解説を読んで解法パターンを理解するのもありかなって思う」

 シュンと肩を落とした私を見かねた竜生くんが新しい提案をしてくれた。

「ここに居る間は解説は俺がするからさ!家に帰ってするときは、そうしたら?」

 たしかにそれなら、少しずつでも前に進めそうである。回答は夏休み中に一度だけあった登校日に配布されているので、手元にあるのだ。

「ほんとありがとー……私、頑張る!」

 やる気はあるんだけどなぁ。気持ちを入れ替えて宿題に取り掛かった私を見守りながら、竜生くんは夏休み明けにあるテストの勉強を始めた。

 
 その後も竜生くんに助けてもらいながら、なんとか終わりが見えるまでに宿題が進んだ頃、部屋の扉がノックされる。竜生くんが「はい」と返事をしたことを確認した後、扉が開き、竜生くんのお母さんがオヤツを持って来てくれた。

「甘い物が好きって竜生から聞いたから、ケーキ買ってきたの。よかったら食べてね」
「わぁ、美味しそう!ありがとうございます」
「ありがと。そこに置いといて」

 疲労が溜まった頃の糖分とか、どんなご褒美よよりも嬉しい!
 「じゃ、勉強がんばってね」と、ケーキと紅茶を置くと、お母さんは部屋をすぐに出て行った。それはひとえに、それを置いたら出て行ってね、という竜生くんの無言の圧によるものだろう。
 こういう姿を見ると、竜生くんも私と変わらないただの高校一年生なのだなぁ、と当たり前のことに気づく。

 ケーキを「美味しいね」と言いながら2人で食べて、「ちょっと休憩する?」と言ってくれた竜生くんの言葉に甘えて私は机に頬をつけた。「疲れたぁ」と思わず本音が漏れる。項垂れた私の姿を見ながら、「頭使うと疲れるよな」と竜生くんがくすりと笑った。
 「俺も疲れた」と言いながら、私に倣い頬を机にくっつけた竜生くんと視線がバチリと合う。そういえば、疲れたときは吸血欲求が高まるって言ってなかったっけ?働かない頭でそんなことを考えていた。

 すっと伸びてきた竜生くんの手が、私の髪を梳くように優しく撫でる。気持ちいい。「もっとして」と無意識に口から出た言葉にハッとした。とんだハレンチ言葉を口にしてしまったと思ったが、竜生くんは気にもしていないようで「うん」とだけ応えると、慈しむような眼差しでそれを続けてくれた。
 どれだけそうしていただろう。私の頭を撫でていた手は、気がつけばフェイスラインをなぞりながら顎先を通過し、首筋に下りていった。首筋をつぅと指先でなぞられ、途端に身体があの快感を思い出したかのように敏感に反応した。
 あ、噛まれる。近づいてきた竜生くんの唇を見ながら思う。一度噛まれた方とは反対側の首筋だった。まさか次は下半身では!?と思っていた自分自身に恥ずかしくなる。いや、首筋もたいがいやらしい場所だけどね!?

 机と竜生くんに挟まれ、いつも以上に身動きがとれない状況に胸がときめくだなんて、私はおかしいのだろうか。
 吸血の行為中はその人の全てを俺の物にしたくなる、と言っていた竜生くんを思い出す。快感に支配された頭で「もっとして、」と祈りにも似た懇願をはしたなくしてしまう。もっとして、私の全部、竜生くんにあげるから。
 流れ出た一筋の涙を、竜生くんに気づかれないようにひっそりと拭った。


 竜生くんのお父さんが運転する車が、私の家の近くにある広い道路脇に止まった。

「本当にありがとうございました。…竜生くん、頭痛いのマシになった?」

 相変わらず吸血をした後は軽い頭痛があるようだった。「うん。すぐに治るし平気」と言った竜生くんの言葉に安心し、私は再度竜生くんのお父さんにお礼を述べた。

「こちらこそありがとう。会えて良かったよ。これからも竜生をよろしくね」

 それはお見送りをしてくれたお母さんにも言われた言葉であった。「こちらこそ、よろしくお願いします」と車内で深々と頭を下げる。

「じゃあ、次は新学期、学校でだな」
「うん!竜生くん、数学教えてくれてありがとう。また学校でね!それじゃあ、お邪魔しました」

 車を後にした私が家へ入って行くのを見届けたあと、竜生くんとお父さんが乗った車は発進した。



 思い返してみれば、今年の夏休みは本当に楽しくて幸せな出来事ばかりで充実していたなぁ、と湯船の中で噛み締める。
 2学期が始まると体育祭、文化祭、球技大会と行事が目白押しである。その合間に定期テストが挟まったりと、目まぐるしく過ぎて行く日々だろうことが想像できる。
 だけど私は楽しみで仕方がないのだ。来年度には文系理系でクラス分けがされるので、恐らく竜生くんとは離れてしまうだろう。最初で最後の一緒のクラス。一緒の時間をたくさん過ごしたい。
大人になったとき、共通の話題で盛り上がれるって最高だろうな。
 私の思い描く未来には、絶対に竜生くんがいるのだ。
 そんな幸せを想像しながら、のぼせる前にお風呂を後にした。