私と礼人は幼稚園の頃からの幼馴染だ。
 正直に言うとその頃の記憶はほぼない。なんとなーく、一緒にいたかなぁ?程度にしか覚えていない。だけど、私のお母さんも礼人のお母さんも口を揃えて「結婚するって言ってたのよ」と言うのだから、仲が良かったのは確かなんだろう。
 さすがに小学校3、4年生頃からの記憶はあって、その中でもはっきりと覚えているのが"用水路落下事件"である。なんてことはない、その名の通り、私がコンクリート用水路の端を後ろ向きに歩いていて落ちただけの、自業自得の事故だ。
 一緒に歩いていた私が急に落ちたのだから、礼人はさぞ驚いたと思う。落ちて怪我をして、ランドセルの中身までぐしょ濡れになった私よりも、礼人が大泣きしているのはなんでなんだろう。その礼人の泣き顔を見ていたら、なんだか冷静になってきて、結局私が礼人を宥めながら家まで帰ったのだ。
 「美琴ちゃんが消えたぁ!死んだかと思ったぁ!!!」とわんわん泣きながら、私の手を強く握り続けた礼人は、いつから背が伸びて、かっこいいと言われるようになったんだっけ……。



「え?聞いてる?」
「あ、ごめん。なんて?」
「千原さんの話だよー」

 あぁ、そうだったそうだった。夏休み前にチラッと聞いた、千原さんに告白されたけどどうしよ、ってやつだ。
 
 昨日の宣言通り、礼人は家に晩ご飯を食べに来ていた。お母さんからしても礼人は本当の子供みたいなものらしく、心からウェルカム状態なので、礼人の気が向いたときにフラッとやって来ては、うちでご飯を食べて行くことが多々あった。
 そしてその後はだいたい私の部屋に来て、ゴロゴロしていくのだ。今日も例に漏れずそのコースで、床に寝転びながらスマホを触っていた礼人が、突然起き上がったかと思えば千原さんの話をし始めたのだった。
 私はそれを話半分に聞きながら、そういやいつ頃からモテだしたんだっけ?と考えていたのである。

「で?千原さんがどうしたの?」
「この前、美琴が言ったんじゃん。本当に好きな子と付き合えって。だから断ったよ、きっぱり」

 礼人が賢明な判断をするとは……!今回も断れずに付き合って、またすぐに振られると予想していたのに、驚きである。

「えらいじゃん!てかさ、今さらなんだけど、礼人ってどんな子がタイプなの?」

 近くにいすぎたからか、改めてこういった話をすることが今までなかった。
 同時に、洗井くんの家に行く服装を選んでもらった時に「礼人はどんな服装で来てほしい?」と聞いて、変な空気になったことを思い出した。話題選びに失敗したかもと思ったが、どうやら余計な心配だったみたいだ。
 礼人はあっさりと「鈍い子」と答えた。てか、変なタイプ。まぁ、鈍感な子を可愛いと思う気持ちはわかるが、それが一番にくるか?という話である。

「珍しいタイプだね」

 変だね、と直接的な言葉を使わなかったのは私の優しさだ。

「そ?てかさ、鈍い子にはどうやったら気持ちが伝わると思う?」
「えー?そんなん直接好きって言うしかなくない?」
「まぁ……そうだよねぇ」
「…!え、てか好きな子いるの?!」
「さぁ?」

 ……相変わらずはっきりしない奴である。

「ま、礼人は優しいし、割と?かっこいいし?自信持ちなよ!」

 励ますように明るく言えば、礼人の顔がスッと熱をなくす。
 基本的にニコニコしていて愛想が良いこと、僅かに下がった目尻、ふっくらと丸い唇、小鼻が小さく華奢な鼻筋、という優しげな顔のパーツが、礼人のふんわりと柔らかい印象を形作っていた。
 そんな礼人があまり見せない冷めた表情を見せたのだ。どきり、と心臓が拍動し、怒らせてしまったかも、という事実にただ焦る。だけど、なにが地雷を踏んでしまったのか、見当がつかないものだから謝ることもできない。

「なに?怒った?」

 私が恐る恐る聞けば、礼人は「いや、まさか」と首を横に振った。よかった。怒らせたわけではないようだ。

「じゃあさ!俺が好きだって言ったら、美琴は付き合ってくれる?」

 ニコニコと人好きのする笑顔に爽やかな声が乗る。「えー?どんな質問よ。私は洗井くんが好きだからなぁ」と笑って答えれば、礼人がにじりにじりと徐々に距離を詰めてきた。なに。怖いんだけど。

「洗井くんのことは置いといてよ。俺じゃ嫌?だめ?なんで?どうして?」

 礼人が発する圧の強さに、自然と身体を後ろに引いてしまう。自分の顔が引き攣っているのがわかる。礼人の考えていることがわからない。だから、その顎を上げて人を見る癖をやめろと言っている。礼人の目に見つめられて、私はさらに動けなくなってしまう。

「……ね、ほら。全員が俺を選んでくれるわけじゃないんだからさぁ!自信なんて持てないよ」

 先ほどまで感じていた圧が一瞬で抜けて、いつものふにゃふにゃの礼人に戻った。よ、よかった……。
 どうやら先ほど私が軽々しく「自信持って!」と発言したことにご立腹だったようだ。純粋に励ましたつもりが、傷つけてしまったみたいで申し訳ない。「ごめん」と謝れば「俺もごめん。ふざけすぎた」と謝り返される。ほんとにその通りだと思う!!

 
「あ!今何時?」
「9時ぐらい?」

 必要以上に怖がらせてきた礼人に、文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけたとき、ふと時間が気になった。9時ならそろそろお風呂に入らないと、洗井くんとの電話の時間に間に合わない。私たちは夏休みに入ってからほぼ毎日、10時過ぎに通話をしていた。

「礼人、帰って?」
「えー、なんで?帰るのめんどいー」
「いや、私そろそろお風呂入んないと、洗井くんとの電話に間に合わないから!」

 立ち上がった私は礼人の腕を掴んで立たそうと試みた。だけど当たり前に無理な話だ。いつの間にこんなにおっきくなったんだよ!?と理不尽な怒りさえ覚える。

「わかったぁー。帰る帰る。またねー」

 礼人は気の抜けるような緩い声を出し、私の部屋を後にした。急いでお風呂に入らなきゃ!