いつも決まって8月の第一土曜日にその花火大会は開催されていた。今年も例に漏れず、そのように行われるらしい。
 私はこの日のために新調した浴衣を着て彼を待っている。彼とはもちろん洗井竜生くんのことだ。
 待ち合わせ場所である駅前には、浴衣を着た人達が大勢いた。十中八九、この人たちも花火大会に行くのだろう。私はスマホで時間を確認し、そろそろ洗井くんが来る頃かな、と考える。駅直結のショッピングモールのガラス壁に薄く写る自分の姿を見て、なかなかいけてるよね、と自画自賛した。
 白地に赤い牡丹があしらわれたオーソドックスな柄の浴衣は、亜美ちゃんに付き合ってもらって選んだものだ。
 牡丹か紫陽花かで悩む私に「浴衣の柄って意味があるみたいだよ。調べてみたら?」と提案してくれた亜美ちゃんの言葉に従い、スマホで検索をしたのだ。
 「紫陽花は団欒で、牡丹は幸福だって」と検索結果を読み上げながら、私の心は決まっていた。幸福……牡丹にしよう。


 「ちょっ、あの人めっちゃかっこいいんだけど」という、知らない女の子の声に釣られるようにして顔を上げた。もしかして、洗井くんかもしれないと思ったのだ。
 「ごめん、お待たせ」と待ち合わせ時間5分前に現れたのは、もしかして、と思った通り、洗井くんだった。
 面識のない女の子が思わず「かっこいい」とこぼしてしまった気持ちがわかる。黒地に麻の葉が施された古風な雰囲気の浴衣に、えんじ色の帯の合わせが洗井くんの色白な肌にマッチしていた。
 主張の少ないパーツで構成された洗井くんの顔立ちは一見すると冷たそうに感じる。ツンと尖った鼻先と、縦幅よりも横幅が広い目がそのイメージをより顕著なものにしていた。
 そして今日は、その冷たそうな雰囲気と浴衣の装いがお互いを高め合い、神々しいとまで感じるオーラを放っている。
 なのに、なのに、だ。笑うと途端に幼くなるんだもんなぁ。こんなの反則だよ。
 「屋台でなに食べる?」なんて楽しそうに話す内容も幼い子供みたいだ。かわいい。

「洗井くん、浴衣似合ってるね、かっこいい」
「まじ?ありがとー。明石さんも似合ってるよ」

 意を決して言った私とは違い、洗井くんは天気の話をするかのようにサラッと褒めた。嬉しいんだけど……なんか悲しくなるのは、私が贅沢すぎるんだろうか。

 
 花火大会は一級河川の河川敷で行われる。駅からそこまでは少し歩くのだが、その道中と河川敷の一区画に屋台は並んでいた。
 カラコロ、と下駄特有の音が響く。がやがやとした喧騒と夏の夜の蒸し暑さが祭の雰囲気を高めていた。

「わっ、」

 普段履き慣れていない下駄だからこそ、慎重に歩こうと気をつけていたのだ。だけどそんなことなんの足しにもならなかったみたい。小石につまづいたのか、ただ道路に足を取られたのか定かではないが、とにかく転びそうになった私の腰を洗井くんの長い腕が抱き締めるように引き寄せる。
 「あっぶなー、セーフ」と危機一髪、助けられたことに安堵して笑う洗井くんとは対照的に、私は顔まで真っ赤にして俯くことしかできなかった。
 首筋にキスを落とされて、血を吸われるなんてもっと過激なことをしているのに、少し身体の距離が近づいただけでガチガチに固まってしまうんだから……洗井くんを虜にする魔性の女には程遠いな。

「あ、ありがと」
「うん。下駄って歩きにくいもんな」

 そう言いながらも、洗井くんは下駄での歩き方も様になっている。私みたいに足を庇うようなぎこちなさはない。
 「気づかなくてごめんな。はい」と私に向かって左手を差し出した洗井くん。こ、これは、もしかして、もしかしなくても、手を繋ごうというお誘いですか!?
 真意を理解した途端目を白黒させ、挙動不審になった私を見かねたのだろう。洗井くんは私が手を差し出すより早く私の手を握り、照れることなく歩き出す。私ばっかり好きみたいで、なんだか不公平だ。まぁ、私ばっかり好きなのは本当のことなんだけれど。


 河川敷、特に花火が間近で見られる特等席辺りはすでに人でごった返していた。

「うわぁ、花火大会ってこんなに人いるんだな」

 洗井くんは人の多さに圧倒されたように呟いた。しかし今年が特別人出が多いというわけではない。例年通りであるこの状況に驚く洗井くんを見て、花火大会にはあまり来ないのかな?と思う。それともここの花火大会には来たことがないのだろうか。ちなみに私は、毎年礼人と来ることがお約束になっていた。

「ここの花火大会、あんまり来ない?」
「あんまりっていうか、初めて。小学生のときは地元の夏祭りに行ってたしなぁ」

 嬉しい、と反射的に思った。初めてってすごく特別に感じる。こうやって私との思い出を積み重ねて、私の存在が洗井くんの中に降り積もって、私自身が洗井くんの特別になりたい。

 「もうすぐ花火の時間だな」と洗井くんの声が弾む。その手にはプライドポテトとコーラが握られていて、本当に子供みたいだと思わず笑ってしまう。私の笑い声を不思議に思ったのか、「ん?なに?」と唇をぎゅと合わせ、眉を上げて目を見開いた。洗井くんは思っていたよりも表情豊かだ。
 
「ううん。花火楽しみだね」
「うん!すっごく!」

 今度はそうやって、くしゃりと満面の笑みを見せるのだから、もうほんとたまったもんじゃない。洗井くんといると、私の心臓は酷使されるのだ。