私はその言葉を聞いて、洗井くんに「首、大丈夫?」と心配されるほど頷いた。
 きっと洗井くんは私のことを好きだとか、そういうことではないだろう。あんなことをしてしまった罪滅ぼかもしれないな、と思う。だけどきっかけなんてなんだっていいのだ。
 チャンスは掴んで離さない!私は「嬉しくて」と目を細めた。
 「じゃあ、これからよろしくな」と洗井くんも目を細めて口角を上げる。柔らかく持ち上がった口角の尊さよ……神様、ありがとう。私は世界中の全てに感謝をしたい気持ちである。

「あとさ、言いにくいんだけど……これから俺がお願いしたら舐めさせて、ほしい」
「え、な、なめ?……はい!よろこんで!」

 もはや居酒屋並みの気軽さの承諾である。
 私の返事に、また笑い出した洗井くんを見て思う。罪滅ぼしとかそんな殊勝な気持ちではないかもしれないな。
 もちろんその気持ちもゼロではないだろうけど、秘密を知っている相手こそ洗井くんの吸血欲求を満たすにはピッタリだろう。しかも適応力が異様に高く、なんでも受け入れてくれそうな相手を逃すはずもないか。これは完全に恋愛感情はゼロだな。わかっていたが、しょんぼりである。
 しかし、突きつけられた現実に打ちのめされたのは一瞬で、むしろあの日あの場所にいたのが他の子じゃなくてよかったぁ、と心底安堵した。
 洗井くんに好意を寄せていてもいなくても、たまたま彼の吸血欲求が高まった時に側に居たら、血を舐められていたかもしれないのだ。まじであの日に告白しようとして良かったぁ。あの日の私、グッジョブすぎる。
 誰でもいいなら、私を選んでほしい。それが嘘偽りのない率直な気持ちであった。

「あの日あそこに居たのが明石さんでよかった」

 そもそも私が転けて怪我をしなければ、洗井くんの吸血欲求も暴走しなかったのでは?と思うこともないが、まぁそれは今置いておこう。
 だって洗井くんが最大級に嬉しい言葉を言ってくれたのだから。
 しかし、そんな風に純粋な賛辞を送られたことにより、私は洗井くんにどうしても伝えておきたいことができた。私の本質は、洗井くんのことを理解したいとか、受け止めたいとか、そんな綺麗な気持ちだけではないのだ。

「あ、あの。私、聖人君子じゃなくて……欲に塗れた人間なので。棚ぼた的に付き合えてラッキーって思ってるの!」

 改まって言うほどのことだっただろうか。ぽかんと口を開けたまま固まっている洗井くんを見て少し後悔する。

「私のこともこれから知ってほしいし、できることなら好きになってほしい、って思ってる……」

 だけど、そうなのだ。洗井くんの状況や気持ちを考えれば、ラッキーなんて言葉は相応しくないだろうけど、本当に付き合えるだけで奇跡みたいなもんなのだ。
 だけど、付き合えるだけでいいの、だなんて健気な女の子には生憎なれない。私は、洗井くんと付き合いたいわけではない。好きになってほしいのだ。綺麗なだけじゃない、ドロドロした汚くて、なのに純粋な私の気持ちと同じ熱量で洗井くんに向き合ってほしい。

「うん。俺、明石さんのこともっと知りたいと思ってるし、俺のことももっと知ってほしいよ」

 私の気持ちにそう応えてくれた洗井くんの瞳は真剣だった。
 今はこれでいい。この瞳から伝わる熱量が今の私たちの全てだ。
 もっと知ってほしい。もっと知りたい。そこから全てが始まるのだ。



 世界の幸せが私に降り注いでいる。割と本気でそう感じるのだから、頭の中お花畑だなとは思う。
 だけど大好きな人と、理由はどうあれ付き合うことができたのだ。そんな時ぐらいはお花畑になっても許されるでしょ。
 
 自室のベッドに寝転んだ私はずーっと幸せを噛み締めている。
 幸せ過ぎて胸がいっぱいで、晩ご飯が喉を通らなかった私のせいで、お母さんに「無理なダイエットはやめなね」と的外れな心配をさせてしまった程だ。
 
 あ、そうだ、2人には付き合ったことを報告しておこう、と枕元に置いたスマホを取り、メッセージアプリを起動した。

『おかげさまで付き合うことになりました』

 付き合うことになりました。その事実は、文面で見ると凄まじい破壊力を発揮している。私は悶えながら送信ボタンを押した。
 亜美ちゃんと礼人以外に伝えておくべき人はいないのだけれど、本当は会う人会う人全員に伝えたい心持ちなのだ。

 明日から夏休み前の短縮授業が始まり、4日後にはいよいよ夏休みだ。
 高校最初の夏休みに私に彼氏がいるなんて、誰が想像しただろうか?
 絶対、絶対、絶対!今までで一番幸せな夏休みになるぞー!!

 私はメッセージアプリから洗井くんとのトークルームを開く。

「おやすみ。明日学校でね」

 読み上げながら文字を打ち込んでいく。浮かれている気持ちがそうさせるのだ。
 私がそれを送ったと同時に既読マークがついた。ということは、洗井くんも今、私とのトーク画面を開いてくれていた、ということだろうか?
 洗井くんの生活の一部に私が存在している。こんな嬉しいことってある?
 感極まって涙が溢れてきそうだ。その証拠に鼻の奥がツーンとする。

『おやすみ、って俺も今送ろうとしてた』

 彼を形作るもの、全てが愛おしいだなんて少し大袈裟だろうか。
 だけど、送られてきたメッセージすら愛おしくて、ずっと残しておきたいのだ。
 大好き。大好き。夢で会えたらいいのに。