ターゲットは旦那様

「馬鹿な冗談はやめてください」
「まあ、大した額ではありませんが、僕の母ちゃんを安心させる為とはいえ、僕なんかとお付き合いするフリをしていただくわけですから」
「いりませんよ。なんですか、なんなんですかあなた。そんな嘘をつかれても・・・」
「俺は本気ですよ。言ったでしょう?俺は家族思いなんです」
 千草は、直春のことがよくわからなくなってきた。性格が悪いと思えば、母親の話になると、とても優しい笑顔で話しをし、母親を安心して死なせてあげるためなら金銭を払うとまでいってくる。それは嘘かもしれない、だが――千草は、この汚れた世界で唯一母親のことが好きだ。かけがえのない存在だ。守りたい存在だ。
 だから直春が母親に対して非常に真剣に向き合っているような姿勢を見せたことに対し、千草は、机の下で手を握りしめた。基本的に他人を信じない。氷の女である千草だが、唯一母親の名前を呼んで泣き叫んだターゲットや、母親を守ろうとしたターゲットに対しては、少しだけ苦しまずに殺していた。
 千草の弱点であり、千草の良心が母親なのだ。
「渡辺さんのお母様が安心できるなら・・・」
 千草がそういうと、直春は花が咲くようにぱあっと微笑んだ。
「あぁ、よかった。やっぱり僕は運がいい」
 そういった直春に、どういう意味だと答えようとした千草だったが、
「ろくでもない俺が、唯一できる親孝行ですから。それも、あなたに協力してもらわなかったらできなかったわけですけれどね」
 まだ期間はある。千草は、任務より母親を優先させることにした。こんなことは最初で最後だろう。全てパフェを食べきり、水を飲んだ直春は手をあわせた。
「ごちそうさま。全て終わったら、俺を殺してくれても構いませんから」
「・・・・・・・・」
「冗談ですよ」
 千草のうどんはとっくに伸びきっていた。
***
「佐々木さんと僕、結婚を前提にお付き合いさせていただくことになりました」
 直春が春子に真剣な表情で頭を下げた。
「本当?本当なの?」
 康子は、目に涙をためて喜んでいた。
「あの、私と渡辺さん、結婚を前提にお付き合いさせていただくことになりました」
「・・・本当?嬉しい。あぁ、これでやっと安心して・・・」
 裕子は、ほうっと胸をなでおろした。お互いがお互いの母親に挨拶。これを機に電話番号も交換することになった。お母様に交際の挨拶。千草にとって生まれて初めての経験だった。お付き合いするのがフリだとしても直春の母にとっては真実なわけで、千草は久々に緊張した。挨拶を終えてから1週間。直春からの連絡もなく、千草が、ふっと安心したのもつかの間だった。
「2人の住むアパートを裕子さんととったのよ」
 1週間後、康子はうきうきと千草にそういった。
「・・・・・・」
 自分の母親が何を言っているのか、千草には理解できなかった。
「そ、そんな勝手に」
「大丈夫、直春君も了承済みだから」
「!?」
 千草は、急いで部屋に引っ込み電話をかけた。
「もしもし?」
「電話をいただけるのは初めてでしたね」
 直春は飄々と答えた。千草はカッとしていたが、深呼吸し心を落ち着けてから離し始めた。
「そうじゃないです。どういうことですか?一緒に住むって」
「結婚を前提にお付き合いしているのだから、同棲してもおかしくないということで決まったらしいです」
「らしいって何ですか。あなたは了承したって聞きましたよ」
「もうマンションを探していたらしいんだ2人で。僕も妄動しがちだけど、それは母ちゃん譲りだったらしい」
 納得してますという口調の直春に、千草はあきれ果てた。
「どうするんですか。もう決定してしまっているようなものじゃないですか」
「僕は構わないけど。下呂よりの高山に借りたらしいし。母ちゃんに会えるわけだからね」
「何で構わないのよ・・・」
「母ちゃんがそれで喜ぶなら俺はそれで構わない。佐々木さんは俺に協力してくれるっていっただろう?もう挨拶も済ませてしまってやっぱりやめますなんて言えないんじゃないかな?」
 母ちゃん母ちゃん、この男。本当にお母さんのことしか考えてないのね。敬語も徐々にとれてきて生意気になってきたわ。千草は、険しい顔で唇を固く結んだ。千草もお母さんのことばかりなので言えることではないが。
「お母さんが心配です。余命が少ないなら尚更一緒に過ごしたいんですが」
「僕の車を貸すから運転していけばいいですよ。僕は仕事が忙しいので送ってはいけませんが」
「あなた、その嘘ずっと続けるんですか?」
 そういうと、口が回る直春が一瞬黙った。
「あぁ、母ちゃんが死ぬまで続けるよ」
 千草は、はあとため息をついた。