「佐々木さん」
 帰り際、直春は千草を呼び止めた。
「はい?」
「連絡先、交換しませんか?」
 そう言われて、千草はふっと体の力を抜いて答えた。
「いいですよ」
 母しか入っていない携帯に、母以外の人が入るのは初めてだった。それがこの男、しかもターゲットか。仕事用の携帯か迷ったが、これはこっちだと千草は判断して携帯を差し出した。
「女性の連絡先、母以外は千草さんしか入っていません」
 唐突にそんなことをいう渡辺に、千草は答えた。
「私もです」
 渡辺は、きょとんとして「そうですか」と困ったような嬉しいような顔で答えた。
 そして、渡辺親子とは一旦お別れをし家に帰った。
「どうだった?渡辺さんは、かっこよくていい人でしょう?」
「そうだね」
 千草は、曖昧に笑った。そして、窓の外を見ている母の隣で無表情のまま灰色の床を見つめていた。
***
 帰宅した千草の元に一本のラインが入った。
【今日はありがとうございました。佐々木さんがいい人でよかったです。よければ明日下呂駅まで迎えにいきますのでお茶しませんか?】
 千草は、すっと目を細めてまるでこの連絡がくることがわかっていたかのように俯いた。
【はい】
 既読は、送った瞬間についた。
【ありがとうございます、何時がいいですか?】
【何時でも大丈夫です】
 今度も既読は一瞬だった。
【じゃあ、10時に下呂駅でいいですか?】
【はい、大丈夫です】
【では、明日はよろしくお願いします】
【はい、よろしくお願いします】
 それで話が終わったと思った千草だったが、また携帯が光った。今度はなんだと携帯をのぞくと、
【おやすみなさい】
 ただそれだけの連絡が来ていた。もう寝るの、と思いながら時計を確認する。時計の針は、とっくに夜の10時を刺していた。
【そうですか】
 千草は、少し考えたいことがあり、まだ寝ないのでそれだけ送って、髪を乾かしにいった。
 次の日、
「直春さんに会いにいくんでしょう?もっと可愛い恰好でいきんさい」
 康子は心配そうに千草をみていった。千草の恰好は白いTシャツにジーンズというものだった。
「でも、もう余所行きの服洗濯しちゃって」
「あら、お洋服そんなにもって帰ってきていないの?今度買いにいかないと」
「う、うん・・・今度、今度ね」
 来るのは直春だけだろうなと千草は鏡に映る女っ気のない等身大の千草の姿を見て若干口をへの字にした。
「行ってきます」
 そういって、千草は外に出た。下呂駅までバスで行くと、
【おはようございます、駐車場で待っています】
 という連絡が来ていた。時間ぴったりについた千草は、
【つきました】
 そう送ると、駐車場から白いシャツにジーンズを着た直春が手を振って現れた。
「佐々木さん、おはようございます、こっちです」
 千草は手を振らない代わりに少し小走りで車に向かった。
「荷物、後ろにおきますよ」
 千草は後ろに黒いリュックを背負っていた。
「大丈夫です」
 無表情でそう答えると、扉を開けてもらった助手席に座り、いつも背負っているリュックを膝の上に置いた。
直春が向かったのは普通のファミレスだった。