仕事用以外の電話がなっている。お母さんとラインで連絡をとるのと、月に一回かかってくる電話以外は使用していないスマホで、電話がなっているとなれば自然と電話の主は決まっている。
「もしもしぃお母さん?どうしたの?」
 あえて元気な声を出し演技をする。声を高くして、電話を持っていない手を握りしめると上手く感情が入っているような声を出せる。
「ちぐちゃん、来週実家に帰ってこれん?」
「・・・え?」
 千草の母、康子は、千草が仕事が忙しいというのを素直に受け入れ、正月も実家に帰ってくることを強要したりしてこなかった。
「どうして?なにかあったの?」
「詳しい話は、家でするけど・・・かあさん。癌みたいなんや」
 千草の手からはぽろりと携帯が滑り落ちた。
「・・・嘘」
「ちぐちゃんが忙しいのはわかっとるんやけど、どうしても顔が見たくなって・・・ごめんね・・・ごめんね」
 全く弱音を吐かなかったお母さんが、そんなことを言うなんてと、千草は事の重大さを痛感した。
「行く、行くわ、お母さん。今日にでも行くわ」
「え・・・?でも、仕事は?有休はいつも忙しくてとれないっていってたじゃない」
「た、退職するから大丈夫、そもそもそろそろ仕事やめようと思ってたんだよね。心配しないでね」
 千草がそういうと、康子は心底安心したように息を吐いた。
「本当!?ありがとお、ちぐちゃん!ありがとお。でも今日は夜遅いから明日ね」
「うん、また明日。下呂駅からなバスで帰るわ」
 下呂駅から千草の家の近くのバス停までバスで20分くらい。千草は、走って帰るつもりだったので使う気はなかったが。
「いいよ、車で迎えに行くから」
「いいの、大丈夫よ。迎えにいきたいのよ」
 実は千草の地元、下呂という町はターゲットのいる飛騨高山まで車で一時間から二時間で行けるような場所だった。一か月かけて飛騨高山でホテルを借りて男を探そうと思っていたが、ちょっと予定が変わりそうだなと千草は腕を組んで考えたが、そんな男より今はお母さんの方が大事だと、嫌な思い出として忘れかけていたOL時代のことを思い出すような書籍たちに目を向けた。
「上司のプレゼント、ありがたく読ませていただきますか」
 朝、早起きをして東京駅へと向かう。新幹線なんて久しぶりだ。飯塚に今から出張に向かうという旨のラインをして、新幹線でまずは名古屋駅まで向かう。名古屋は東京同様確かに都会だが、どこかビルの感じとかが東京はすかしている感じがして名古屋の方が好きだと千草は思った。そのまま電車で、下呂まで向かい、3時間以上かけて下呂駅へと電車に揺られた。
 9時頃に駅について千草は康子についたよと連絡を入れると、母親からは電話がかかってきた。
「ちぐちゃん、お疲れ様。ようきてくれたね。駐車場で待っとるで」
 そう言われて千草は、早足で駅を出て駐車場へと向かうと、駐車場の入口で紺色のブラウスにジーパンをはいた涙が出る程懐かしい母が手を振っているのが見えた。
 千草の足は徐々に速くなり、がらがらとスーツケースの音が大きくなっていく。
「お母さん!」
「ちぐちゃん!」
 二人は久々の再会を抱擁で迎えた。ずっと会いに行けなかった母。まさかこんな形で再会するなんて。
「体調は大丈夫なの?」
「ちぐちゃんに会えると思ったら今日は元気が湧いてきて」
 千草の母は、しわや白髪が増え、明らかに肌が白くやせ細り、とてもじゃないが見るからに健康そうには見えない。しかし、これは随分前からじゃないとこうはならないだろうというくらいの見た目だった。
「さ、車に乗って。いっぱい話したいことがあるのよ」
 子供の頃、虐待する父からずっと自分を守ってくれた母親。大好きな康子は自分が東京で仕事をしている間、一人で苦しんでいたのだろう。今だって、本当は苦しいのに我慢しているのかもしれないと、千草は助手席ではらはらしながら康子を横目で見ていた。
「ちぐちゃん、見ない間に綺麗になったねえ」
「う・・・うん、ありがとう」
「写真より現実の方がいいね、やっぱり」
 写真。
 千草は、殺し屋をやっている現在でも、ちゃんとOLで働いていることを康子に証拠として送るため、飯塚協力の元スーツを着てピースした一人の写真をどこかの適当な写真と合成して康子に送っていたのだ。千草はそれを約10年間やっている為、写真加工技術は常人のそれを超えている。全く笑っていないのに、千草の写真は不自然じゃなくばっちり笑顔なのも加工技術のたまものだった。
 懐かしの家に帰ると、広い庭は少々枯れかけた花で飾られ小人の置物が置いてあったり、じょうろがあったり、康子が少し前まで園芸に凝っていたことがよくわかる庭だった。