「さて」
 帰宅した千草は、早速出張の支度を始めた。実家に帰るつもりはなかった。自分は母さんに会う資格がない。千草は、スーツケースに淡々と着替えを詰めながらそう思った。
 昔から、千草は人を殺すことに興味があった。
 ハサミを持っているとき、包丁で料理をしている時、母に暴力を振るう父を見ているとき。常に「これを今隣にいる人に突き刺したら、どうなるんだろう」ということ。
 正義だ、大人は子供の味方だ、先生は生徒の味方だなんだといっても、結局は誰も助けてくれない。自分を助けるのはいつだって、他ならぬ自分自身なのだ。千草が岐阜から東京に上京したのは、なんだか遠いところに行けば自分を知らない人たちと、全く知らない土地で、新しい自分になれる気がしたからだ。母のことだけが心配だったが、自分の人生なのだから、自分のやりたいことをやりなさいといってくれた。千草は、東京で普通に友達を作って普通に仕事をして、普通に東京でやっていけていることを母に報告して安心させたかった。
 が、そんな余裕はなかった。勤め先はパワハラセクハラ当たり前のブラック企業。
「岐阜の田舎に帰ってもいいんだぞ」上司はよく千草にそういった。社員寮は独房で、会社員は奴隷のような生活を続けてきた千草は、毎日のように同期が言う「死にたい」ではなく「コイツをいつか殺してやる」ということばかり考えて生きていくようになった。そして、常にスーツのポケットに「万が一の為」と自分に言い聞かせたカッターを忍ばせるようになった。お守りのように持ち歩くことで、いつかこのクソ野郎共を殺すことができると思うようになって勇気がもりもり湧いてくる。社員寮で起きて寝て食べる以外は働かされた。週休ではなく月給1日。安い賃金に、お茶を入れた女性社員の尻をお茶がまずいと叩く上司。
 期待に胸を膨らませ、東京へ上京してきたという同期たちは、いつの間にか田舎に帰っていき、気づいたら千草は一人になっていた。
 ある日、新年会で酒を飲みすぎた面倒くさい上司に社員寮の部屋の前まで付きまとわれ、無理やり家に入って来ようとした上司を、千草は思わず胸ポケットに入れていたカッターで首を切って殺してしまった。「警察を呼ぶ」といっても「そんなことをしたら首にする」と言われ、千草は警察を呼ぶより殺した方が早いという思考に陥り殺してしまったのである。
 千草は、急いで上司を部屋に運び込み、返り血の処理をした。そもそもこの社員寮人が少ないうえに無理やり参加させられる2次会に、千草は体調が悪いといって行かなかったので、他の社員はまだ帰ってこないだろう。急いで手袋をはめ、返り血をふき取り、ビニールシートに死体をくるみ、縄で縛り、押し入れに入れてあったスコップを持ち、黒いナップザックを背負い、折りたたみ式のカートを出してくるとそれに上司を乗せてエレベーターまで運んだ。あらかじめ色々買っておいてよかった。運転して休みの日に下見にいっていた人通りの少ないルートを通って樹海へと向かった。千草の人を殺す妄想は、東京に来て直るどころかエスカレートしていった。車で、あらかじめナップザックにいれておいたレインコートに着替え、山の中へと歩みを進めた。
 だが、樹海で死体を埋めているときたまたま同じ場所に来ていた殺し屋組織の男と出会った。「見られたからには殺す」と襲い掛かってきた男に、千草は正当防衛ならコイツは殺してもいい、と容赦なく暗闇に隠れ、隠しておいたナップザックから懐中電灯を持ち、そっと男に近づいた。そして、懐中電灯で目くらましをした後、ナイフで上司を殺したのと同じように首を掻っ切った。
 そして、男も埋めているとき、帰りが遅いと様子を見に来た仲間に千草の現在の上司である飯塚がいたのだ。
「お前、やったな」
 そういった飯塚に、千草は返事をすることなくまた暗闇に紛れたが飯塚に捕まり組織に連れていかれた。あぁ、自分はこれからコイツらに連れていかれて殺されるのだ、千草はそう直感した。何も悪いことをしたわけではないのに、自分は殺されるのだと。そして、車に乗っている人間を次にどう殺すか考えていた。
「今、俺たちを殺そうと考えているだろ」
 飯塚にそう言われて、千草は眉をひそめた。
「ただ考えごとをしている人間と、人をどう殺すか考えている人間くらい見分けられる」
 そういった飯塚に千草は笑った。
「何が違うんですか?」
 飯塚は、面白い質問をしてきたなという顔で煙草をくわえて答えた。
「人を殺そうと考えている人間の背後には死神がぴったりくっついて、ソイツが殺した人間の魂を喰らうのを今か今かと待ち構えているんだ」
 ニヤリと笑いながらそういった飯塚に、千草は遠くを見るような目で答えた。
「じゃあ、私の背後には死神が美味しいと評判のラーメン屋さんを待つが如く行列を作っているかもしれませんね」
「何いってんだお前」
「ジョークじゃないんですか」
「ジョークじゃない」
「私もジョークじゃありませんが」
「いや、ジョークだろ。何だラーメン屋って」
「それはジョークです」
「ジョークじゃねえか」
 張り合うようにお互い言いあった後、飯塚は千草がいっていたのはどういう意味なのか考えた。そして思い出した。そういえば、この話を飯塚の尊敬する上司から聞いた時、こんなことをいっていたか。
「上司さんは、どうなんですか?」
「俺か?俺の後ろには当日開店するパチ屋並みに死神が行列作ってるよ」
 同じようなこといってる!飯塚は、千草を見た。そして、少し考えた末に千草を言った。
「おい」
「はい」
「俺たちの仲間を殺したのもお前か」
「はい」
 千草は、特に躊躇する様子もなくそういった。
「お前、これから俺たちに殺されるか、俺たちの仲間になるかどっちがいい」