ターゲットは旦那様

「何よ、そんな顔していないわよ。ちょっと考えごと」
「考えごとねえ・・・俺もただ考えごとをしている人間と、人を殺そうか考えている人間くらい見分けられるよ」
「何が違うの?」
 デジャブ。偶然か。必然か。千草は、流れるように、そう問いかけるのが正解だとわかっているかのようにそう言った。
「人を殺そうと考えている人間の背後には死神がぴったりくっついて、ソイツが殺した人間の魂を喰らうのを今か今かと待ち構えているんだ」
 直春は、そういって千草の前に立った。昔、この話を上司から聞いたと飯塚が言っていた。飯塚の上司は面白いくらい運がよく、見栄っ張りで、そして家族思いだと言っていた。
 そして、この組織のボスに裏切られ、殺されたと。
「あなたはどうなのよ?死神を見たことがあるみたいな言い方じゃない」
「・・・俺の後ろには―」
 その答えに千草は笑った。
「じゃあ、私の背後には死神が美味しいと評判のラーメン屋さんを待つが如く行列を作っているかもしれないわね」
「お互い、ろくな父親を持たなかったな」
 直春は、千草の肩に手を置いた。千草の胸に何かがぐっとこみあげてきた。
「ええ」
 千草は、自分の肩を掴む直春の手を握った。
「直春」
「ん?」
「最初に直春が言った通り、私がもしあなたを殺しに来た殺し屋で、今までのも全部嘘で、あなたを殺す機会をずっと伺っていたとしたらどうする?」
 直春の手を握る千草の手に力がこもった。その手をもう片方の手で直春は包み込んだ。
「構わないよ、母ちゃんもいなくなった今。俺には何もないから」
「そう」
「でも、もし千草さんが俺のことを好きになって殺したくなくなって殺し屋から足を洗いたいっていうんだったら、俺は持ち前の強運を武器に戦うよ」
 千草は、ふっと微笑み握られていない方の手で直春の頬をぺちっと叩いた。
「馬鹿」
「千草さんは、こんな俺の側にいてくれたからな。戦う理由としては充分だよ」
「冗談に決まってるでしょ」
 千草はくるりと直春に背を向けた。
「おやすみ、千草」
「気安く呼び捨てにしないで」
 直春がリビングにのたのた歩いていったのを千草は目だけで見送った。
「おやすみ」
 蚊のなくような声で呟いた千草は、そのまま寝室へと向かった。
 千草はその日眠れなかった。
 だが、運命というのは非情なもので。その後一週間も経たないうちに千草の母、康子も救急車で病院に運ばれた。裕子のことがあってから、千草と直春はよく康子の家に通っていた。康子は、母親を失った直春に「息子ができたみたいだ」といっていた。
「ちぐちゃん・・・直春さんとどうなの?」
「ちぐちゃん、毎日楽しい?」
 康子も、裕子とほぼ同じことを千草に聞いた。直春にも同様だった。
「料理が上手で、運がよくて、家族思いで、マザコンで、味覚音痴で、ぬるいお湯が好きで、それから最近呼び捨てされたわ」
「冷たいように見えますが、優しくて芯が通っていて、家族思いで、辛いものが好きで、お風呂は熱いお湯が好きで、最近星を見に連れて行ってくれました」
 お互いほぼ同じことを答えたことに、康子は笑っていた。千草は、笑っている康子を見て微笑んだ。その間、膝の上で固く拳を握っていた。
 そして、その日は訪れた。