お母さん。
 お元気ですか?
 岐阜の田舎から会社員になるって息巻いて東京に出て行った私やけど、気づいたら。
「ターゲット、射殺成功しました」
 殺し屋になっていたよ。
「よくやったナイン」
「すぐ戻ります」
 佐々木千草(ささきちぐさ)は、殺気を纏った鬼のような形相から、氷像のような無表情で死体に背を向けた。
 錆びた鉄の匂い、生暖かい血の匂い。全て慣れてしまった。私はもう、人間に戻れない。千草は、レインコートにぶつかる雨音を聞きながら指定の場所へと向かった。
 いつも通り報告をして、次の仕事の報告を受ける。
「次は出張だ」
「出張、ですか」
 出張、すなわち遠くで殺しをするということだ。
 そういうことはよくあることなのだが、知らない土地での殺しというのはどうにもやりずらいので身構える。
「岐阜までいってもらう」
「ぎ、岐阜、ですか」
「あぁ、確か実家があるんだったか」
 千草は、思わず眉をひそめた。東京に上京してから仕事上一度も岐阜には行っていない。仕事が忙しい、仕事が忙しい、と言い続け、たった一人で自分を育ててくれた母さんに顔も見せなかったのだ。
「あ・・・はい」
「顔を見せてもいいが、くれぐれも仕事のことは言うなよ」
「え・・・!?」
 上司の飯塚は、無表情でそう言った。
「ちゃんとOLで通せ、ほれ」
 飯塚は、千草に本屋の袋を渡した。
「なんですかこれ」
 茶袋の中には、OLの悩み、OLの恋愛事情、OLになりたい人の本、などOLに関する本が入っていた。こんなの絶対に読みたくないと思ったが、常に仏頂面の上司がこれを買ってくれたのだと思うとほっこりする。
「ありがとうございます」
 ただ、そのほっこりは表情に出ることなく、千草は無表情のまま本を抱きしめた。
「期限は約半年。ターゲットはコイツだ」
 写真をぺらりと見せられる。
「渡辺直春(わたなべすぐはる)、32歳、無職、岐阜での目撃情報があってな」
 飯塚が指さしたところには、三つ編みに眼鏡をかけた白いシャツに黒いパンツの、お神輿の下で興味なさそうにあくびをしている女性が新聞に載っていた。
「女性・・・ですか」
「いや・・・男性だ。そういう趣味なのか、女装して飛騨高山の祭りの写真に写りこんでいたらしい」
「わかりました」
 ターゲットがどういう人間なのか、そういうことは聞くことも気にすることもない。どうせ死ぬのだ。ただ、今までのターゲットというのは大体金持ちのお偉いさんとか、どこかの社長とかが多い中、何故この女装した無職の男を殺さなくてはならないのかがわからなかった。更に期間がかなり長い。何故この男に半年もかけるのだろう?相当な手練れなのだろうか。だが、千草が目を凝らしてみても、とてもそうは見えなかった。この仕事が千草に回ってきたのは、出身地が岐阜だからということなのだろうか。
「私にこの仕事が回ってきたのは、出身地が岐阜だからということでしょうか」
「いや、年も近いし、調べでは結婚もしていないらしい。というわけで女性がいいという話になった」
 確かに、この組織女性が全くいない。というか、千草しかいない
「この私にハニトラを仕掛けろと?」
 千草は、30歳にして今まで男と付き合ったことがなかった。女性の殺し屋というのは、ハニトラを仕掛け、女性ということを武器にすることが多いが、千草はそういうことはしない。「氷の死神」と呼ばれ恐れられている程、冷徹に、冷静に、そして的確に人を殺す殺し屋だったのだ。
「俺はそうはいっていない」
 飯塚にそう言われて、千草は眉をひそめた。女だからという理由でナメでもらっては困る。
「じゃあ、明日からよろしく頼む」
 明日から、岐阜県で出張か。出身地に帰る理由がこれか。
 千草は、無表情のままため息を吐くように心の中で呟いた。