或る冬の頃である、冷たい風がアパートの戸に吹き、プラスチックの表札をカタカタと鳴らす。

7畳程の部屋のベッドの上には、幸が薄く何処か魂の抜けたような、男が白い天井を見上げていた。

男の名前は"若葉薫" (わかば かおる) ごく普通から少し堕ちた社会人だ。

常に無気力、非社交的、趣味も無く、交友関係もほぼ無い。

一日を通してこの男は常に暗く、何にも希望を持っていなかった。

重たいカラダをベッドから離し、憂鬱で灰色な一日が始まろうとしていた。


冬の曇り日の薄暗い部屋の中、洗面所の鏡を見つめる 顔が朧げに浮かぶ、 冷たい水を手で掬い、眠たい顔に鞭を打つ。
い。

適当に買った、投げ売りの安いスーツに着替えた、もう何年も着ている上、クリーニングに出していないので、大分着込んだ事が見てわかる。
良いスーツを買おうと思った事はない、御洒落には無頓着だ。

それに限らず、生きている上で何かに拘った事がない、ただ漠然と生きていた。

大きめのトートバッグに必要なモノを突っ込みアパートを出た。

冬の冷たい風が冷水で冷えた頬を掠る、見上げると、灰色と白が一面に広がっていた。

職場までは無気力にただ歩くだけだ。
歩いていれば着いてしまう。

会社の前まで来ると、後退りしたくなる程の何とも表現できないキモチになる、何故、毎日こんな所でコンピューターに向かっているのか?

オレは頻繁に、日常的なコト、常識的なコトに疑問を抱いてしまう。

社会人になってから始まったモノでは無く、中学に入り人の格差が明確に出てきた頃からだった。

常に、誰かの笑い物で虐められて居た、原因は自分が一番理解して居るし、仕方のないコトである、自分の内面的なnegativeな部分からさえ笑われて居る気がした。

このジレンマ的な"何か"はオレが自分から解決しない限り終わる事はないが、解決策など練らない、相談するような相手も居ない。

ただオレにとって唯一、会社に来てしまう理由が有った。

オレの席の向かい側に座る、
"平和千華" (ひらわ ちか) の存在だった、素敵な女性といった所だろうか、勿論事務内容、業務連絡、程度しか話した事はない。

ただオレは気付かれない程度に、平和さんを見つめて居た。

端正な顔、白く透き通る様な肌、細くスタイルの良い身体。ミディアムほどの綺麗な髪。
誰もが憧れる様な女性。

そもそも彼女のオレに対する雰囲気は冷たいというか、何処か業務的なカンジだった。 当たり前だ、表向きから根暗なオレだ。

噂に聞いた事だが、元々彼女は誰に対してもクールな雰囲気らしい。

彼女からして見ればオレなんて、誰からも人付き合いの悪い奴、根暗な奴、程度しか認識されて居ない影の薄い存在、幽霊。



気づけば作業が途切れボーッとしてしまっていた。

「若葉、何ボサッとしてんだ、しっかりしてくれよ」

突然声を掛けてきたのはオレの上司である、宇留間 英紀(うるま ひでのり) 偶に、余計な事を言って来るのでオレは嫌いだ。

「すみません、ボーッとしてて...」

適当にやり過ごし、再度、画面に向かって書類を書き始めた。

向かいの平和さんは何も無かったかの様に何かの書類に目を通していた。

周りの人間は「「アイツ何やってんだよ」」といった様な目でオレを横目や斜目で見ていた、視線が痛い、鋭い刃を背に向けられている様な、緊張と冷や汗で、手が震え、口がモゴついた。

キーボードを打つ指にまで震えが伝う。
電話対応をしている人達の声や物音にまで過敏になってきた。

ソワソワして落ち着かない。
集団で生きる際の苦を全て喰らっている気分だが、実際の所周りの人間はオレなんかに目もくれずに自分の業務をこなしていた。

そう、ただのオレの被害妄想である、オレの悲劇の産物、思い込み、妄想。。。

昼休憩の時間になるとオレはそそくさと会社を出て、ノロノロと何処かへ向かった。一時間の解放。

数分後、オレは駅前の喫煙所の中で一人煙草を吸っていた。

緊張をほぐし、落ち着ける空間だ。
嫌煙家は"緩慢な自殺"だなんだ、言ってくるがオレはその言葉が好きだ。

理由はなんだったかな?
今更理由を言及する理由は無いか。。。

冬空は相変わらず曇っていた。

喫煙所の中で、ボーッとしていた。
食欲は無いので昼食は摂らなくていいか、なんて考えて居た。

喫煙所の中で時間が経つにつれて、"帰ろうかな"と思ってきた。
気づけば煙草は短くなっていた。

吸い殻入れに煙草を捨て、喫煙所を去る。 
"帰ろうかな"なんて思ったが、実行出来るはずも無くそのまま会社に戻り、気づけば退社時間になったいた。

無駄な緊張と極度の被害妄想で、さっさと帰りたくて仕方が無かったので足早に帰った。

碌に仕事もできない、ただの暗い男は帰る時だけは誰よりも早かった。