「……と、……こと……大丈夫か、(こと)?」
「……え? あ、ゆき……とさん?」

 涙の滲んだ瞳の向こうに見えるのは、琴に背を向けたはずの加瀬(かせ)の心配そうな顔だった。先程までの様子とはまるで違い、彼女の涙を優しく拭い穏やかな声音で話しかけてくる。

「怖い夢でも見たのか? やはり今からでも主治医を呼んだ方が……」
「えっと私は、確か家を飛び出して。それから……」

 琴が今いるのは、加瀬と二人で眠っているベッドの上。いつのまにここに戻ってきたのか、記憶がなく彼女は戸惑った。
 先程の出来事が夢だと分かってくると、気持ちも冷静になって少しずつ昨日の事を思い出してくる。自分が勝手に家を飛び出し、加瀬に迷惑をかけたことも……琴を探しに来てくれた彼が、彼女をどれだけ必死に抱き締めていたのかも。

志翔(ゆきと)さんがここまで連れて来てくれたんですか? 私、あれからの事を思い出せなくて……」
「琴は雨に濡れて高い熱を出していた、俺が抱き締めた後に意識をなくしたんだ。本当に……探すのが遅れてすまなかった」

 申し訳なさそうに加瀬が謝るが、謝罪をするべきなのは自分の方だと琴は慌てた。『初恋の君』という女性の存在に不安になり、琴はそれを言葉に出来ず子供のように家を飛び出した。きっと加瀬は驚いただろうし、見つかったとき怒りもせずとても心配してくれていた。
 ……夢とは違う、加瀬は今もとても優しげな眼差しを向けてくれている。それが琴をなによりも安心させた。