(こと)の視界がグラグラと揺れる。その瞳には涙が滲んでいる気がするのに、加瀬(かせ)と女性が寄り添う姿ははっきりと見えた。

「彼女がやっと振り向いてくれたんだ。琴との結婚は彼女の気を引くためのものだった、そう言えば意味が分かるだろ?」
「そんな! でも今、志翔(ゆきと)さんの妻は私なんですよ?」

 少なくとも婚姻に関する手続きは、加瀬が知人の弁護士に任せたと言っていたはず。まさかそれも『初恋の君』を手にいれるためだけにやったことだと言うのだろうか?
 共に過ごした時間は短くても、琴の心はすっかり加瀬に惹かれてしまっていた。それなのに……

「そう、琴は俺にとって都合のいい妻になってくれる。そう思ったからあんたを選んだんだ。いつだって誰にも我儘なんて言えない、そうだろう?」
「……それって、どういう」

 つまりは……彼女に今まで通り我儘を言わず加瀬の都合に合わせて離婚しろ、ということだろうか? それを理解した琴の顔は蒼白に近くその身体は小さく震えていた。
 まるで世界にこの三人しかいないような空間に息苦しさを覚える。非現実的にも感じるのに、何故か妙にリアルで……
 加瀬に寄り添う女性の憐れむような眼差しが、琴をその場から動けなくした。

「離婚については俺の方で手続きは済ませておく、それじゃあな」

 あまりにもアッサリと加瀬は琴に背を向けて女性と逆方向へと歩き出す。引き留めたいが、その権利も自分にはない気がして琴は声も出せずその場に立ち尽くすしかなかった。