薄暗い中でもその声は鋭く、アニエスの耳が歓喜の声を上げた。

「クロード様!」
 声の方へ顔を向けようとするが、アルマンに抱き込まれてしまい、何も見えない。

「放して! 放してください!」
 必死にもがくが、やはりまったく腕は緩まなかった。


「何の用ですか? 秘密の逢瀬を邪魔するとは、無粋ですよ」
 その言葉に、アニエスは耳を疑った。
 それではまるで、アニエスとアルマンが逢引きしていたかのようではないか。

 殺そうとしておいて何故と考え、すぐに思い至る。
 先程、アルマンは番に裏切られて絶望する、と言っていた。
 ……これは罠だ。

 親密なように見せかけて、クロードに揺さぶりをかけている。
 そして騎士であるクロードを厄介だと評していたのに、アニエスをすぐに殺さなくてもいいとも言っていた。
 ――切り札がある、と。

 それが何かはわからないが、このままではクロードの身に危険が及んでしまう。
 アルマンとは無関係だと訴えたいが、そんな問答をしている場合ではない。
 アニエスのことを疑うのなら、それでもいい。
 それよりも、クロードの身を守ることのほうが大切だ。

 アニエスは拳を握りしめると、必死に考える。
 腕力では抜け出せないとなれば、アニエスができることはひとつだ。
 恥ずかしいとか、できるかわからないなんて、言っていられない。
 アニエスはアルマンの腕の中で、大きく深呼吸をした。


「――みっんなー! げーんきぃー?」

 ありったけのハイテンションで声を上げると、アルマンが怪訝な顔でこちらを見るのがわかった。
 ふわふわと明るい光が鈍色の瞳を照らしているのを見て、精霊が反応してくれたことに安堵する。

「私ねえ、動けないの! 困ってるの! みんな、助けてくれるかなー?」
 やけくそで叫ぶと、その瞬間、周囲が昼間のように明るく照らされた。

「――うわ!」
 声と共に目を覆ったアルマンの隙をついて、どうにか腕の中から抜け出す。
 芝生の上に倒れこんだが、すぐに起き上がろうとすると、どこからか伸びてきた手に体をすくい上げられた。

「いや! 放して!」
 眩しい光の中で逃げようともがくと、ぎゅっと抱きしめられる。
 ふわりと甘い果実の香りに包まれ、アニエスは動きを止めた。

「……クロード様?」
 それを肯定するように何度か頭を撫でられる。
 ようやく周囲の光が引いていくと、そこには花紺青の髪の青年の姿があった。
 だが、鈍色の瞳に普段の優しい光はなく、視線はアルマンへと注がれている。


「ワトー公爵邸からアニエスを攫ったのは、アルマン兄上の手の者ですね? 一体どういうつもりですか」

 クロードは言葉こそ丁寧だが、その端々には怒りの色が見える。
 しばらく目をこすっていたアルマンは、クロードの腕の中にアニエスがいるのを見ると、大袈裟に肩をすくめた。

「だから、逢瀬ですよ。みなまで言わずとも、わかるでしょう?」
 どうやらまだアニエスと親密な仲という設定でいくらしい。
 もちろん酷い言いがかりだが、クロードには判断する術がない。
 説明しようとするアニエスの唇に、クロードの指が押し当てられた。

「言わなくてもいいよ。大丈夫」
 よくわからなくて見上げると、鈍色の瞳と目が合い、にこりと微笑まれた。

「確かに、みなまで言わずともわかりますよ。兄上がアニエスに害を及ぼそうとしたことが、ね」
「何を……」
 眉を顰めるアルマンに、クロードは小さく息を吐いた。

「大きな白いキノコはオニフスーベ。兄上の剣に群生しているのは、カキシメージ。落ちているのは、コンイロイッポンシメージ。……これだけのキノコが生えることを、アニエスにしたのでしょう? 大体、裸足で庭にいることもおかしい。それに逢瀬だというのなら何故、アニエスは精霊に助けを求めたのですか」

 まさか、キノコで無罪を証明されるとは思わなかった。
 クロード以外には何の意味もないだろうが……逆に言えば、クロードにとってこれ以上ない判断材料なのだろう。


「精霊? ……ふん。キノコ馬鹿には、まともな話も通じませんか」
「たとえ実の兄といえど、アニエスに手を出すならば容赦はしません」

 クロードがそう言った途端に周囲に風が起こり、アルマンに襲い掛かる。
 咄嗟に腕を出して顔を庇っていたが、腕や脚には無数の傷が走り、剣帯が切れてキノコまみれの鞘ごと芝生の上に転がった。
 じわりと傷から血を滲ませたアルマンは、腕をおろすと深く息を吐く。

「さすがに、魔法込みは面倒ですね」
 そう言うなり懐から小瓶を取り出すと、その中身を芝生の上に振りまいた。

 すると液体は紫色の光を発して煙になって消える。
 何なのかわからずに見ていると、周囲にいくつか浮いていた光の玉が急に姿を消し、あたりが再び薄暗くなった。

「……どうやら精霊というのは本当だったようですね。これは宝物庫の奥に眠っていた魔道具の一種。一時的に精霊の干渉をなくすものです」

 アルマンは空になった瓶を放り投げると、剣を拾い上げて抜こうとするが、何やらてこずっている。
 どうも、ぬめっているせいで上手く握れないようで、諦めたらしいアルマンはそのまま鞘ごと剣を捨てた。

「魔法は精霊の力を借りて行使するもの。今ここでそれは使えなくなりました。ひとりで、剣だけで、足手まといを抱えたままで……どこまで粘れるでしょうね」

 アルマンの声に従うように、どこからか剣を携えた男達が姿を現す。
 クロードに抱きしめられているので正面しか見えないが、少なくとも十人はいるはずだ。
 精霊の干渉を排除したというのなら、精霊に助けを求めることもできないだろう。
 光の玉が消えてしまったのだから、おそらくアルマンの言うことは真実だ。

 フィリップに比べてアルマンに対するキノコの生え方が鈍いと思っていたが、もしかするとあの瓶の存在が影響していたのだろうか。
 キノコは精霊の加護の一環で生えているのだから、精霊が干渉できないとなれば、力を失ってもおかしくない。

 となれば、キノコの援護も期待できそうにない。
 本当にアニエスはただの足手まといでしかなかった。


「クロード様、私を置いて行ってください。アルマン殿下はゼナイド様も狙っています。どうか、そちらを守って差し上げてください」

 王太子の番が殺されれば、本当にアルマンの望む通りになってしまう。
 それだけは避けなければいけない。
 腕の中でクロードを見上げて必死に訴えると、鈍色の瞳がゆっくりとアニエスをとらえた。

「――少し、黙っていて」

 優しい笑みを浮かべながらも、その声に甘さはひとかけらも存在しない。
 混乱と恐怖で肩を震わせるアニエスをぎゅっと抱き寄せると、クロードは桃花色の髪に唇を落とした。



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ようやくクロード到着!
そして、お怒りのようです……。


【今日のキノコ】

オニフスベ(「警戒心が足りませんよ」参照)
またの名を、ジャイアントパフボール……この名で大体理解できるが、白くて大きくてフカフカなボール型キノコ。
一夜で発生したり、五十センチを超えたりする、夢の白い球体。
成熟すると褐色になり、外皮が剥がれて胞子とアンモニア臭が出てくる。
白いうちは食べられるが、美味ではなく不味くもない……何故そこまでして食べるのか。
アニエスを受け止めた後に縮小していたが、何やら不穏な空気なのでいつでも大きくなれるように菌糸を蓄え中。

カキシメジ(「よくあることでしょう?」参照)
湿気が多いとぬめる黄褐色の傘を持つ毒キノコ。
肉に強い腐臭があり、多少苦い……何故食べたと言いたいが、誤食が非常に多い。
『誤食御三家』の一角で、美味しそうな見た目に加えて群生してキノコの勇者達を惑わせている。
アニエスの身を守ろうと剣の刃や鞘を覆った。
ぬめりつづけたおかげでアルマンに剣を抜かせないことに成功し、芝生に転がってぬめっている仲間と合流を果たした。

コンイロイッポンシメジ(「王弟・グラニエ公爵」参照)
濃い青色の傘を持つキノコ。
毒はないらしいが、色が色なので食べてはもらえない。
以前、キノコの話し合いでクロードの髪色に一番近いキノコに認定された、青色キノコ代表。
「クロードが来たよ。青に悪いやつはいないよ!」とアニエスに訴えているが、キノコなので伝わっていない。