「心を。心を強くしないといけません」

 アニエスは庭に作った畑の前で、ひとり立って深呼吸をしていた。
 クロードのことは好きだし、好きだとも言われたし、番らしい。
 だが、それを恋人という表現に置き換えると途端に胸が苦しくなってしまう。

 これではいけない。
 何せ、数日後には馬車に乗ってお出かけという、一大イベントが待っているのだ。
 こんなふわふわとした心では、あっという間に気持ち悪くなるのは目に見えている。
 曲がりなりにも恋人という間柄のクロードの前で、盛大に嘔吐する事態は避けたい。

「心を鍛えると言えば、やはりこれですよね」
 畑に整列して植えられている薬草達を見つめると、アニエスはもう一度深呼吸をした。


「はーい、みんな! 元気ぃー?」

 とびきりの高音で叫ぶと、どこからともなくふわふわと光の玉が現れた。
 精霊への呼びかけは久しぶりだが、やはりこの対幼児のハイテンションお姉さんは精神を消耗する。
 しかし、言い換えれば他にはない鍛錬でもある。

 半端に照れては、かえって恥ずかしい。
 目の前に幼児がいて、自分は一緒に遊んでいるお姉さんだと思おう。
 陽気で元気で声が大きくて身振り手振りも大きい……とにかく陽気なお姉さんになるのだ。

「――みんなー。聞いてくれるかなー?」
 大袈裟に耳に手を当てて返事を聞く仕草をすると、五つほど現れた光の玉が一斉に点滅した。
「今度ね、馬車に乗るの。ひとりじゃないんだよ? だから、緊張して気持ち悪くなって吐いちゃうかも!」

 大変だと言わんばかりに、光の玉が忙しなく揺れながら点滅する。
 いつも思うが、精霊達は優しいし、ノリがいい。
 それだけこのハイテンションお姉さんが好みなのだろう。

「吐きたくないから、酔い止めが欲しいなあ! みんな、少し力を貸してくれるかなー?」
 両手を上げる幼児のように、光の玉が上下に揺れている。
 アニエスは畑から薬草を一本引っこ抜くと、手のひらに乗せて掲げる。

「酔い止め、吐き気止め、お願いー!」
 任せろとばかりに薬草の周りを光の玉が飛び回り、次の瞬間には緑の葉が紫色に変化していた。
 ちょっと凄い色ではあるが、精霊たちの様子からして効き目は期待できそうだ。

「ありがとう! これで馬車で吐かずに済みそう! みんな、大好き!」
 光の玉は激しく点滅すると、弾けるように一斉に消えた。
 光の残滓を見送ると、アニエスは紫色の薬草を持ったままその場に座り込んだ。


「……いつもながら、疲れますね」
 精霊達との円滑なコミュニケーションのためとはいえ、彼ら好みのハイテンションお姉さんを演じるのは体力的にも精神的にも疲労が凄い。

「精霊さん達は、ハイテンションお姉さんが好きなんですよね。……精霊の加護なら、キノコもそういうのが好きなのでしょうか……?」

 最近は感度が上がり過ぎて勝手に生えてくるキノコ達だが、もしかするとああいう呼びかけをしたら喜ぶのだろうか。
 よせばいいとは思うのだが、浮かんだ疑問が気になって仕方ない。

「ちょっとだけ。試してみるだけですから」
 誰に言うでもない言い訳を口にすると、アニエスは立ち上がって息を吸った。

「――キノコさーん! こんにっちはー!」

 精霊達に呼びかける時のように耳に手を当てて首を傾げると、ポンという破裂音が耳に届いた。
 視線を下げてみれば、薬草を引っこ抜いた場所にキノコが生えている。
 淡灰色の傘のキノコは、ハタケシメージだ。
 しかも、人の頭の大きさほどの株がこんもりと生えていた。

「出ました、ね」
 整然と並ぶ薬草に混じってキノコが生える様は、何とも言い難い違和感がある。

「……これは、呼んだから出て来たのでしょうか。それとも、タイミングが重なっただけなのでしょうか」
 よくはわからないが、とにかくキノコの感度はすこぶる良好だ。
 安易にキノコを呼ぶのは危険だろう。


「……姉さん、ついに畑にキノコを植えたの?」
「ひいっ!」
 突然の声に、思わず変な声が漏れる。

「そんなに驚かなくても。それよりも、キノコって畑で育つの?」
「脅かさないでくださいよ、ケヴィン。これは……ちょっとした、ご挨拶で……」
 いつの間にかそばに来ていたケヴィンは、土の上のキノコをツンツンとつつく。

「ご挨拶? キノコに? ……殿下じゃあるまいし。本当に姉さんは影響を受けやすいな」
「ち、違います!」
 それではまるでクロードのキノコの変態がうつったみたいではないか。
 アニエスはキノコを生やしはするが、キノコの変態ではない。
 まったく心外である。

「まあ、何でもいいけど。これ食用? せっかくなら夕食に使おうよ」
 ケヴィンがハタケシメージをむしろうとした途端、その隣に新たなキノコが生えた。
 ビロードのような質感の暗褐色の傘は、ススケヤマドリターケだ。

「……増えたよ」
「……増えましたね」
 暫くじっとキノコを見ていたケヴィンは、肩を竦めるとそのままキノコを一気にむしった。

「このタイミングで生えたんだから、食べてもいいってことだろう? 厨房に持っていくよ」
「は、はい」
「この調子だと、姉さんと殿下の新婚生活はキノコ尽くしだね」
 柄についた土を払い落としながら、ケヴィンがにやりと笑った。


「――そ、そんなこと」
 アニエスの言葉を遮るかのように、今度はケヴィンの腕に乳白色の小さなキノコが生えた。
 どうも最近オトメノカーサが生えることが多いのは、気のせいだろうか。

「また生えた。……まあ、殿下はキノコが生えれば喜ぶだろうし。円満な夫婦生活が送れそうで良かったよ」
「――ケヴィン!」

 アニエスの声から逃げるように、ケヴィンが早足で庭を出ていく。
 腕に生えたオトメノカーサが増えているような気もしたが、アニエスは首を振って視線を逸らした。



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【今日のキノコ】

ハタケシメジ(畑占地)
淡灰色~褐色の傘を持つ食用キノコ。
見た目は傘に模様のない、やる気のない椎茸。
歯ごたえシャキシャキ&深い風味で食用としていい感じらしい。食べたい。
「畑占地という名前だから、畑に生えてみたかった」と言って、薬草跡地に出現。
ひんやりとした土の感触と、少し小高い畝が気に入った様子。

ススケヤマドリタケ(煤山鳥茸)
ビロードのような質感の暗褐色の傘を持つ食用キノコ。
傘の直径が15cmを超えるものもあるが、炒めてよし焼いてよしなので、寧ろありがたい。
晩御飯のおかずに名乗りを上げた、勇敢なキノコ。
厨房で「今日こそ焼かれる気分」と訴えたが、やっぱり煮られた。

オトメノカサ(「女王が二本降臨しました」参照)
乳白色の傘を持つ、小さくて可愛らしいキノコ。
乙女な気配を感じると逃すことなく生えてくる、恋バナ大好きな野次馬キノコ。
「キノコ尽くしの新婚生活!」と喜び勇んで生えてきた。
夫婦円満というケヴィンの言葉に興奮を隠しきれず、増殖している。