毎日侑李の元へ通い、面会時間以外は宿題や家事をし、あっという間に長い夏休みは終わりを迎えた。


和臣は毎日電話をくれた。
きちんと‘1分間’の決まりを守って。






「なんでお前制服なの?」

土曜日の朝、今まで寝ていたらしいお兄ちゃんは、ふぁあと欠伸をしながらリビングの中に入ってきた。

私の学校は土曜日は休みだから、制服である私に疑問を持ったようで。



「今日文化祭だって、この前言ったでしょ?」

「そうだっけ?密葉のとこ、9月?早くね?」

「っていっても、明日から10月だよ」

「そうだけど」

「朝は食パン焼いてね。お昼ご飯は冷凍庫に適当に入ってるから、勝手に使って。あ、でも冷凍うどんは使わないでね。今日の夜使うつもりだから」


カバンを持ち、家を出ようと玄関の方へと向かう。


「晩飯って、お前、打ち上げとかねぇの?」


文化祭の打ち上げ·····。
あるといえばあるけど。

私はもう行かないって、みんなに言っているから。


文化祭が終われば、侑李の所に行くから。
ずっとそうだった。放課後は侑李の時間。
友達とまともに遊んだことの無い私は、打ち上げなんて行ったことも無く。


「行かないよ、侑李のとこ行くから。帰りはいつもの時間だよ」

「行けばいいじゃん、俺、今日侑李のとこ行くつもりだったし。打ち上げっていっても晩飯ぐらいだろ?その後面会来たらいいじゃねぇか」


お兄ちゃんが侑李のところに?
いや、でも、それは·····。


「行けよ、打ち上げとか、ちゃんとそういう思い出残しといた方がいい」


眠そうに喋る兄は、「金あるだろ?」と、もう私が打ち上げに行くことを決めつけているみたいで。



「ううん、ありがとう。でも、侑李が大事だから。侑李の所に行くよ」

「密葉」

「何時ぐらいに病院来るの?」


靴をはきながら、兄の方を向くと、兄は難しそうな顔をしていた。


「なんでお前が我慢するんだよ、そんなの、侑李は喜ばねぇぞ」


簡単に言ってくる兄に、怒りが芽生えた。
私が我慢してる?
侑李が喜ばない?
どうしてそんな事、何もしてないお兄ちゃんが言うの?


両親はお金を稼ぐため、滅多に帰ってこなくて。お兄ちゃんは遊んで、学校さえまともに行ってるか分からない。

侑李に寂しい思いをさせないために私は·····。
可愛いくてたまらないのに·····。



「どうしてお兄ちゃんがそういうこと言うのよっ」



私は大きな声をだし、もう兄の顔を見たくなかったから、すぐに家を飛び出した。




我慢する?
私が我慢してるのは、お兄ちゃんたちのせいでしょう·····?



こんな事、考えたくもないのに。

こんなことを考えてるなんて、自分に腹が立ってくる·····。


なんで私はこんなにも性格が悪いんだろう。

こんなことっ、考えたくものに!

どうしてあたしばっかりって!





嫌でも街を歩けば、視界に入ってくる、男女のカップルたち。
仲良さそうに歩く光景を見れば、羨ましいって思ってしまう。




どうして和臣が、こんな私に好きだと言ってくれるのか分からない·····。一目惚れだと言っていた和臣。

こんなにも私は、性格が悪いというのに。



そう思って気づく。
欲が出てきてると。

和臣と電話をして、和臣に会いたいとか、もっと電話したいとか、和臣と付き合いたいって·····、思ってしまうようになって·····。



このままじゃダメだ·····。



こうなる前の日常に戻さないと····。
和臣と出会う前の私に。




そう思って、文化祭も終盤を迎えたころ、お兄ちゃんから連絡が入った。




━━━━━━━━侑李に発作が起こったと。





すぐに担任の先生に早退すると告げ、私は急いで病院へと向かった。

発作が起こるのは、侑李とっては当たり前のこと。けど、発作にも種類がある。
すぐにおさまったり、発作がおこったと思えば、次の日は元気だったりだとか。



けど、兄自身が、私に連絡するってことは·····。



「お兄ちゃん!!」


兄は侑李の病室の近くの、電話をしてもいい待合で誰かと電話をしていた。



「ああ、分かった、密葉来たわ。また連絡する」

走って駆け寄った私は、兄に「侑李は!?」と掴みかかった。

電話を切り終えた兄は、「ちょっと落ち着け」と携帯をポケットの中にしまい込む。



「結構酷い発作がおこった。さっき処置うけて、今眠ってる·····けど」



けど?

けどなに?



「目、覚ますか分からない。今母さん達がこっちに向かってる」




目の前が真っ暗になった。





集中治療室に入った侑李の体には、沢山の管が付けられていた。管のせいで、ガラス越しの侑李の体が見えないほどだった。

感染病予防のために、集中治療室には入れず。



目を覚ますか分からないってなに?
今までそんな事、無かったでしょ?

昨日だって侑李は、笑顔で「バイバイ」って私を見送ってくれたのに。



「密葉·····」


兄が泣きじゃくる私の背中を撫でる。



「向こう行くぞ、ちょっと座って落ち着け」


兄に支えられ、待合のソファに2人で腰掛けた。




「大丈夫だ、あいつは目を覚ますから」


目を覚まさなかったら?
もう、侑李の笑顔は見れなくて。


あの可愛い笑顔を?
もう見れないっていうの?
嘘でしょ?
冗談でしょう?


どうして私は·····もっと侑李に·····。



もっと侑李に会いに来れば良かった。
もっと侑李と会話をすれば良かった·····。

今日だって、文化祭を休めば良かった。


もう、後悔しても遅いっていうのに。



こうなることは、予想出来ていた。
いつどうなるか分からない侑李·····。
予想できていたのに、想像以上キツくて。




天罰がくだったんだ。
私が、どうして私ばっかりって思ったから·····。


侑李が発作で苦しんでる中、私は文化祭で·····。


次に発作がおこれば危ないと、医者が駆けつけた両親に説明していた。

両親は泣いていた。
それを見て、どうして両親はもっとお見舞いに来なかったんだろうと、くだらないことを考えていた。


もっともっともっと·····、考えればキリがないっていうのに。




夜の九時。カバンの中から、マナーが鳴る。

いつも通りの時間。


私達家族がいる待合は、電話しても大丈夫なところだったから。



『俺だけど』


いつも通りのの、落ち着いた和臣の声。
その声を聞いて、涙が出そうになった。

目の奥が熱くなり、一瞬でも気を抜けば零れてしまいそうだった。


『昨日の話の続きだけど』

「··········」

『密葉?』

「··········」

『聞こえる?』

「··········」

『····みつ』

「··········もう、電話してこないで·····」



無理矢理電話を切り、それをぎゅっと握りしめた。手の中では、また電話をかけてきてるらしく、ブーブーと携帯が震える。



「今の誰だ?」


と、兄が震え続ける携帯を見つめる。
だけど私は何も言わなかった。
もう、口を開くのも嫌だった。


1分間の電話。


終止符を打ったのは、やっぱり私だった。






神様、私はもう何も望まないから。
もう羨ましいとか思わないから·····。


侑李を助けてください·····。

たった一人の、大切な弟だから。



真夜中、侑李の目が開いたという言葉が耳に入った時、私は泣き崩れた。
でもまだ油断が出来ない状況は続くと。
危険なのは変わりないと。






翌朝、まだまだ油断は禁物だが、意識は戻ってきているため、医者からは一命は取り留めたと言っていいでしょうと言われた。


泣き崩れる私を見て、母が「大和、いったん密葉を家に連れて行ってあげて」と言った。

私は残ると言ったけど、「少し休みなさい」
と無理矢理兄に連れられ帰らされた。



電話で順調に回復していると聞いても、私は泣くだけしか出来なかった。

どうして侑李ばっかりこんな目に合うの·····。



それから数日、私は学校を休み続け、ずっと侑李のそばにいた。
侑李が「お姉ちゃん」と声を出した時、本当に嬉しくて、侑李の前だっていうのに泣きそうになった。



あまり食欲がない侑李は、食べ物を喉に通さなかった。その代わり栄養は点滴で取っていた。

1ヶ月前よりも、小柄になった。


学校もいけない、食べ物も食べれない。
運動もできず、ずっと怖い想いをしながら、毎日我慢して生きている毎日。

侑李の方が辛いはずなのに。

私はなんてことを思ってしまったんだろう。


なんで私ばっかりって·····。


運動もできる、学校にも通ってる、侑李に出来ない事は私にはできる。


なのに、私は侑李に対してなんて事を·····。


毎日かかってくる電話には、出なかった。




「密葉、お前痩せたんじゃねえか?」

兄に言われ、私は「そんな事ない」と返事をした。


「学校は?行ってんのかよ」

「今日は行かないから」

「今日はじゃなくて、今日もだろ。侑李のとこ行くのか?」

「うん」

「もう大丈夫だって言われてるだろ」


そんなの、分からない。
いつどうなるか分からない。
病院の中で待機してなくちゃ·····。


いつでも侑李の所へ駆けつけられるように。


侑李があんなにも苦しんでるのに·····。
私ばかり楽しんでいられないから。



「密葉、せめて飯だけでも食え。あれからまともに食ってねぇだろ」


確かに、私は自分でも思うぐらい痩せた。
だけどそれは侑李も同じ。


「大丈夫だから」

「また倒れたらどーすんだよ」

「大丈夫」

「密葉」


侑李が食べられないなら、私も食べない。
点滴しか出来ないなら、私も栄養ドリンクしか飲まないことにした。

侑李だけ苦しむ必要は無いから。
侑李の苦しみは、分かっていたいから。



「いい加減にしろ、密葉、自分のやってること分かってんのか」


何故か怒っている顔をしている兄。
私からすれば、どうして兄がこうも平然としているのかが分からない·····。



あんなにも苦しんでいる侑李を見たはずなのに、どうして一緒に分かろうとしないのか。

どうしてお兄ちゃんは、こんな時にでも遊びに行けるの?
どうして両親は、もう仕事へ戻ったの?

本当に理解できない。お兄ちゃんたちは、侑李のことが大切じゃないの?
やっぱり私が1番侑李のことを思っているから·····。私が侑李の気持ちを分かってないといけなくて。







「お姉ちゃん、ぼく、朝お粥少しだけ食べること出来たんだよ」

面会時間まで、病院の中の待合で時間を潰し、面会時間になればすぐに侑李の病室に行った。


「そうなの、すごいね。頑張ったね」

私がそう言うと、侑李は笑った。


昼食も夕食も侑李はお粥しか喉を通さなかった。栄養が足りない部分は点滴で補うことしか出来なくて。

私の今日の夜ご飯は、侑李が食べた量のお粥と、栄養ドリンクだけ。
全く空腹感がない。
もうこの事に、胃がなれてきているのかもしれない。


「おい、密葉」

珍しくお兄ちゃんが朝からリビングにいる·····。
それも昨日よりも怒っている顔つきだから、私は少しだけ驚いた。


「お前、まだ朝飯食ってねぇだろ」

いったい何?
食べてないけど。
っていうか今起きたばっかりで·····。


「お兄ちゃんのは用意すればあるよ、パンかご飯どっちがいい?」

「別にどっちでもいい、一緒に食べるぞ」


一緒に食べる?
私は今、夜だけしか食べていなくて。
侑李が何を食べたのか聞いて、それを夜に家で食べているから。


「·····私はもう食べたから」


でもそれを言ったら、兄に面倒臭いことを言われるのには目に見えているから。




「嘘つけや」

「も、やめてよっ、朝からなんなのっ。放っておいてよ!」



意味が分からない兄に怒鳴り、私はまだ時間があったため自室へこもった。


なんで····

私が悪いの?


少しでも侑李の事を分かろうとしている私が悪いの?侑李があれだけ苦しんで我慢しているのに、私は呑気にご飯を食べていいの?

そんなの、ダメに決まってる·····。

侑李がどれだけ辛い思いをしてるか·····。
私も同じように辛い思いをしなきゃいけない·····。



兄に対してのイラついた感情を抑えながら、ベットへ腰掛けた。ふとスマホの方を見ると、チカチカと画面が光っていた。

どうやら電話が来ていたらしい。

私はハッとして、スマホを手に取った。

そこにあるのは着信履歴。

相手が侑李の病院じゃない事に胸をおろした後、私は画面を見つめた。





『電話をしないで』と言ったあの日から、もう1週間以上はたっている。それから和臣の着信は止まらなかった。

朝に来る時もあれば、お昼、夜の9時にも電話がかかってくる。

でも、私は出なかった。

出れば、オワリだと思ったから。


でも、和臣の事をだから、このまま電話に出なければ会いにくると思った。
強引で、ストーカーなのが、私の知っている和臣なのだから。




その日のお見舞いが終わり、病院から出ようとした時、傘をさしながらこっちを見ている和臣を見つけた。私はそこまで驚かなかった。というよりは、もっと早く来るかもって思ってたぐらいで。


どうしてこういう時だけ、雨が降るんだろう。
本当に嫌になる。
私は何も考えなように、自身の傘を開いた。



「密葉」


会えてすごく嬉しいのに、嬉しくてたまらないのに、私は顔を下に向けることしか出来なかった。


私を見つけた和臣は、傘をさしながら小走りで近寄ってきた。


「·····密葉」


心を落ち着かせなきゃ。ちきんと言わないと。もう会えないって。電話もできないって。もう和臣と関わることはできないって。


私はスっと息を吸い、和臣を見つめた。