リストカットと自殺未遂



私達は、もう狂っていた。
あんなに幸せだった日々を思い出せないほど、おかしくなっていた。

私は、初めてリストカットをした。
痛くはない。
ただ、流れる血をずっと眺めていた。
涙が溢れた。

私は生きているんだ。だから血が滴り落ちるんだ。
左腕はリストカットだらけで、包帯を巻いていた。
腕全部包帯を巻いていた。

リストカット、縫う時も、抜糸も、痛くは無かった。
ただ、私はここに存在している。
そんな気持ちだった。


でも、エスカレートしていく。
腕がダメなら、太ももに。首に。

リストカットをすると落ち着いた。
だから、辛くなるとリストカットする癖がついてしまったのだ。


私はもう、生きる意味が分からなくなっていた。
病院から貰った一月分の薬を一度に飲み、救急車で運ばれ集中治療室に入ることも、1度や2度じゃ無かった。

そんな姿を見ている娘たちは、辛かっただろう。苦しかっただろう。悔しかっただろう。

それでも、私はリストカットも自殺未遂も辞めることは無かった。

薬を隠された事もあった。
刃物を全部隠されたこともあった。

私は両手にヘアピンを持って、コンセントに突っ込んだ。
身体中に痛みと痺れが来た。
それでも、私は何度でもコンセントにヘアピンを突っ込んだ。
感電死出来ると思ったからだ。

しまいには、プラグの方がバチンといい、壊れてしまった。
コンセントでは死ねないことを知った。

そして、主人も自殺未遂を繰り返した。

私同様、薬を大量に飲み、救急車で運ばれた。
夫婦して、度々救急車にお世話になった。

私が自殺未遂をしないように、私の母親が泊まりに来てくれた。
毎日毎日泊まって、私を監視してた。
子供達にご飯を作り、洗濯物もしてくれた。
そんな母親に感謝はしてるものの、母親の目を盗んで、大量の薬を飲み、腕に大きな傷を付けた。


母親が気づき、私の名前を呼び続けてる時、上の子が帰ってきた。
うっすらとしか覚えていないが、
もう、切らないって言ったやん。
薬も飲まないって言ったやん。

泣きじゃくる娘を置いて私は病院に運ばれた。
私は、どうしていいのか分からなかった。

ただただ、みんなに心配をかけて、悲しい思いをさせてるだけだった。

もう、しないと約束するのに、繰り返してしまう。

でも、私には更なる不幸がやってくるとも分からずにいた…