- 君を忘れて -
 馬鹿みたいな話だけど、聞いてくれる。君はいつものようにニコニコ笑いながら僕に話しかけた。それなのに、僕は笑顔でそれに応えたんだ。だって僕は、馬鹿だったから。

 遠い夏の終わりの日のことを思い出す。もう、かなり昔の話だ。僕がまだ高校生をやっていた頃、僕には友ねえと呼んでいた近所のお姉さんがいた。
 僕は子供っぽい性格だったし、精神的にも弱かった。そのせいでいつもいじめられていた僕を、友ねえだけは守ってくれた。惨めだから親には話さないでと言う約束も、律儀に友ねえは守ってくれて。そんな友ねえが大好きで、僕は友ねえとおんなじ高校に入った。
 別に、守ってもらうために同じ高校に入ったわけじゃない。ただ、一緒にいたかったんだ。

 ある時から、友ねえは悲しそうに、寂しそうに笑うようになった。幼なじみである僕以外にはわからないであろう、ほんの些細な変化だった。
 でも僕は、何があったのかはあえて聞かなかった。話して良いことであれば、とっくに話してくれると思っていたのだ。今思えば、守る対象であった僕に、話してくれるわけなんかないのに。
 そんなある日の夕方、僕は友ねえの教室に呼び出された。なんの疑問も抱かずに友ねえの横に立って、夕日を眺めていると、友ねえはいつもの顔で笑っていて、なんだか寂しくなったのを覚えている。
「ね、ゆうくん。馬鹿みたいな話だけど、聞いてくれる」
 小さい頃から変わらずに僕を呼ぶ明るい声。その奥に、何かが隠されていることくらいは、気がついていたはずなのに。
「もし、私がいなくなったら。……私を忘れて、生きて」
 どうして、そんなことあるわけが。否定したかった。でも、否定できなかった。隣で息をしただけでも消えてしまうくらい弱い火のように、彼女は儚く見えた。
 僕が戸惑いながらも頷くのを見届けて、友ねえは昔のように笑った。そうして解散した翌日から、友ねえは学校に来なくなった。

 あれから、どのくらい経ったのだろうか。今ではもう、友ねえも白い箱のような部屋に囚われることなく、自由に空を羽ばたいていることだろう。だって僕はこの間、黒い服を着て友ねえに会いに行ったばかりなのだから。
 今思い返せば、あれは一種の初恋だったのだと思う。当時の僕にはわからないくらい、淡いそれに、きっと友ねえは気がついていた。だから、生きて、なんて、馬鹿みたいなことを言ったんだ。
 でもね、友ねえ。やっぱり僕、従順な弟分だから。友ねえのいうことは守るよ。仕方なく従うわけじゃない。これは友ねえを安心させたくて、僕が勝手にすることだから、気にしないで。

 燦々とさす日光の下。暑くなったアスファルトの上を、今日も僕は歩く。君を、忘れて。