後悔したくない事があった。
譲れない思いもあった、やりそびれた事はあったけどあの日々に偽りも未練もない。

キーンコーンカーンコーン。
煩わしくなるチャイムで私の一日が始まる。
騒がしかった教室が静まり返り、担任の結崎大和先生がいつもの如く変わらない顔でHRを進めていた。

「___って事なので。人によっては更に気を引き締めて取り組むように。以上です、解散。」
そう言って笑顔一つ見せずに教室を出ていく結崎先生の背中を黙って見つめて、本日一回目のため息をついた。
スラッとした身体なのに程よく筋肉が着いていて、後ろ姿からもスタイルの良さが伺える。
“私たち生徒の前”では一切笑わずにいつも真顔でいるので1部の女子からは“神様”やら“仏”と変なあだ名をつけられていた。

「確かに、笑わないけど顔は美形なんだよなぁ。」

「わぁ、まーた恋煩いですか?」

「ぎゃああ!ってなんだ、七海かぁ。」

「そーですよ。結崎先生じゃなくて残念?」
先生に完璧意識がいってて目の前で頬杖をつき乙女だのなんだのと笑う親友の柊七海に気付かなかった。
そして、そんなに七海とは今年で6年目の付き合いになる。
6年も一緒にいたら好きな人の一人や二人すぐ分かるようで、意識して5日でバレた。
親友というか、そもそも七海の観察力が高過ぎる気がするのは気の所為にしたい。

「別に残念じゃないけど。てか、大和先生の名前すぐ出さないでよ!」
聞くだけで心臓が跳ねて、口にすると暖かいのに胸がドキドキし過ぎて痛い。
高三になって中学生みたいな恋愛をしてる時点でお察しだが、恋愛経験は両手に収まる程度。
そんなこじらせ気味の私を子供だの恋煩いだのとイジるのが、最近の七海のマイブームらしい
「はいはい。でも由美にしては珍しいじゃん。年上相手に恋心ーって。年下しか興味無いって豪語してたのに。」

「いろいろ事情があるの!」

「ふーん。今度こそ教えてよね。面倒臭い恋愛話。」
茶化すように笑いながら授業の用意しなきゃと席に帰る七海に呆れた視線で見送る。
年上は昔から苦手だった。
何考えているか分からないし、論理的でいて現実的。
一緒に居たら疲れるイメージを勝手に抱いていて憧れはするけど、恋愛感情を抱くことは全くもってなかった。
結崎大和先生に会うまでは。
正確には、結崎先生とのとある出来事がなければ。
授業の始まりを伝えるチャイムが鳴っているのに、私の意識は先生との出会いの回想に向かっていた。

「お待たせ致しました。こちら、チーズインハンバーグとセットのライスでございます。ごゆっくり。」
高二の頃、欲しい物は自分で沢山買おうと決めて始めたバイト先にその人が来た。
見たことある顔だなって思いよく見ると、数学教科担の結崎先生で動揺して鉄板を落とす所だったのを覚えてる。
元同級生の人だろうか、4名で入店したらしくその中で楽しそうに話をしていた。
いつもと変わらないスーツ姿なのに初めて見る笑顔は、すごく子供ぽい。
その時には、ギャップに惹かれてたんだと思う。

ピンポン。と鳴るコールの元へ返事をして向かう途中で丁度個室から出た結崎先生と目が合った。うわ、正直気まずい。
どうしたものかと立ち止まるが、再度コールが鳴るのを合図にペコリと頭を下げ先生の元を通り過ぎようとした。

「由美さん。バイト頑張ってね。」
優しい声が聞こえ弾かれるように後ろを振り向けば、先生が見たことも無い柔らかい笑みで見つめていた。
初めて見る笑顔、初めて聞く優しい声、初めてされた名前呼び。
純粋無垢な女子高生が簡単に恋に落ちるには十分過ぎる。
案の定、今の今まで先生一筋。
あれ以降偶に食べに来るけどあの日見たあの優しい先生は、あれ以降見た事が無かった。