(…なんてね。そんな幸せ、簡単に訪れるものでもなかったのに。)


別れた当時はあいつのことを考えるだけでイライラして堪らなかったのに、3年も経つと、それも空しいことだと思い始めている。どうせ人生ってそんな簡単に思い通りに進むものではない。もう自分に残っているのは、まだまだローンが残っているこのマンションと、30年も一緒に生活してきたこの体のみで、その他には、なにもー。


「ーまあ、男女の関係いろいろあるから、俺がなにか言う立場ではないけどさ」
クラブケースを持っていた成がふと言い出す。すると彼が玄関を開け、ケースを外へ出すと、又中へ戻ってきた。

「でも、このマンションに初めて来たときは、きっとわくわくしていただろ?これからここでいいこと沢山あるんだろうなーとか。そんな良いことばかり考えていたんだろ?」

「それは、まあ…」

「クソ野郎のことはさっさと忘れて、そのときのわくわくした気持ちだけ取り戻そうぜ。きっとまたいいことがこの家に訪れるから」


そう言って、成が持っていた雑巾を渡す。さっきクラブケースを自分の目が届かない場所へ持って行ってくれたのも、こんな言い方をしてくれるのも、きっと彼なりの優しさなんだと思う。その部分はありがたいのだが…。一つ引っかかることがあり、彩響が質問した。


「…で、なんであいつが『クソ野郎』だと思ったの?さっきまでは『男女の関係いろいろある』とか言ってたのに?」

「ううん?あ、まあ…どう見ても、あんたがクソ女には見えないからな。俺、それなりに人間見る目はあると思うし」

「はい?」

「あ、俺マスク取ってくるよ。ほこり結構溜まってるから」


成がそういってリビングに向かう。予想外の発言に、彩響はただぽかんとその後ろ姿を見守るだけだった。


(私…褒められたの??)

バイクに乗るときも、こんな風にウィンカーも出さずに、ぐっと入ってきたりするんだろうか。まったく油断のできないヤンキー家政夫さんだった。




下駄箱の中を整理して、外側も雑巾で綺麗に拭き取る。あっちこっち転がっていた靴たちは、広くなった玄関で自分らの居場所を見つけた。数枚用意した雑巾が全部真っ黒に染まる頃、やっと玄関の掃除が終わった。


「一回外に出て入ってきてみなよ」

「え、わざわざ?」

「せっかくだし、早く!」


成に急かされ、彩響は一旦マンションの廊下へ出た。玄関のドアノブを回し、中へ入ると、成が明るい声で迎えてくれた。


「お帰り、彩響!どう、この家の印象は?」


外から入ってくる日差しと一体になり、地面のタイルがキラキラと光る。適当に放置されていたものが一気になくなり、その分空間が広くなったように見えた。あっちこっち見渡す彩響に成が声をかける。


「どう?なんか入った瞬間気持ちよくならない?」