「電車で帰れますから、どうぞ、手を離してください」
「大人しくしていなさい」

そう言われても、社長に送ってもらうわけにはいかず、何度も手を振り払おうとした。でも男の人の力に敵うわけもなく、とうとう私は、社長に車に乗せられてしまった。
唖然としている私を無視して、社長は運転席に座る。

「シートベルト」
「は、はい」
「近くで見ても、顔色が悪い」

確かに今日はいつも以上に胃が痛い。水ばかりを飲んで、身体は冷えている。顔色が悪いのはそのせいだろう。

「……」
「寒くないか?」
「はい」

何て優しい声なんだろう。私を心配してくれているのが本当に分かる。だったら、あの夜、何があったのか、どうしてセックスをしたのか、抱いたのか、教えてくれてもいい。そうしたら、こんなに不安で落ち着かない毎日を送らずに済んだのに。
ああ、胃が痛い。不安で胃が痛いのだと思ったけど、優しくされても胃が痛いとなると、これはれっきとした病気かも。いや、胃薬を飲んでも傷みが治まらない時点で、病気だった。
これ以上社長に悟られてはいけない。必死で痛みと戦う。さっき飲んだクスリは効いてないみたいだ。
私を気遣ってゆっくりと安全運転で車を走らせる社長は、運転姿も素敵だ。なんて、能天気に思っているので、まだ大丈夫だ。ずっと見ていたい横顔だけど、見ることも出来ずに、前を見る。信号で止まる度に、私を気遣ってちらりと見てくれる社長に、ドキドキだ。
今ここで、あの夜のことを聞いてしまおうか。そうすれば、全て解決する。
いい加減、私の我慢も限界に来ている。

「あの……」
「ん? どうした? 何か欲しいか?」

恋人のように返事するのはどうしてなのか。そんな風に言ったらますます勘違いしてしまう。痛い、痛い、痛い。これはマズイ。痛みがどうしようもないほどになっている。胃の中に槍を持った小人がいて、壁を突いているよう。

「な、なんでもないです」

夜のことを聞くどころじゃない。痛すぎてどうにかなってしまいそうだ。額に脂汗が滲み、そっと手で拭う。早く着いて欲しい、今はどの辺りだろう。運よく私の自宅マンションは、会社からそんなに離れていない。家賃は高かったけど、職場に近い方がいいと思って選んだ物件だ。
見覚えのある街並みが見えてきた。もうすぐ家につくから頑張れ、私。
痛みとの闘いをしていると、マンションの前で車が止まった。

「本当にありがとうございました」
「ゆっくりしなさい。早く帰してやれば良かったな、悪かった」
「秘書ですから当たり前です。こちらこそお気遣いを頂き、ありがとうございます」

まだこうして優しい社長と話がしていたい。でも、既に倒れそうなほど痛い。私は痛みがこらえきれずに急いで車を降りる。早く社長を送り出さないと、どうにかなってしまいそうだ。

「見ているから入りなさい」
「はい、申し訳ありません」

いいえ、お見送りしますとは言えなかった。社長の言葉に甘えて、マンションに向かうけど、既にまっすぐに立っていられない。後ろで社長が見ているけど、前屈みでしか歩けない。限界だった。

「い、痛い……もうすぐ……」

マンションのエントランスまでたどり着いたとたん、胃の痛みは激痛に変わり、私はその場で倒れ込んでしまった。