「相談、してもいいですか...?」

これはほんの少しの興味だった。
満足させることが出来なかった人はいないと言われている加瀬さんが、どんな相談の乗り方をするのか気になったのだ。
だから大人気カウンセラー加瀬さんにそう言ってしまった。
私と加瀬さんの関係は、カウンセラーの先輩後輩と言うと分かりやすいだろう。
加瀬さんが仕事をする施設に、私が研修生として見学に来ている。
そこで小さな子からお年寄りにまで好かれている加瀬さんを見て、尊敬心が湧いた。
それに加え、嫉妬心も大きかった。
盗めるものは盗んでやろうと、相談に乗ってもらおうとしたんだ。
加瀬さんは快く了承してくれて、誰もいなくなったカウンセリングルームに2人で座った。

「私、大人になりたくないんです」

どうしてそれを言ったのかは覚えていない。
ついでに誰にも話していない胸の内を、相談してしまおうと思ったのかもしれない。
一石二鳥だとか、頭が回らなかったんだろう。
加瀬さんをそっと盗み見ると、じっと静かに私の次の言葉を待っていた。

「これは、私がカウンセラーになりたいと思った理由に値すると思います。」

加瀬さんから目を離し、自分の前で結んだ拳を見つめた。


私が小さい頃見てきた大人はみんな、惜しくも”幸せな人間”ではなかった。
誰もが息を吐くのも辛そうで、私のような子供がいる所で愚痴を言うくらい弱っていた。
仕事、人間関係、恋愛事情。
子供は楽しいのに、大人は辛い?
それを聞きたいけれど、誰も聞いてくれる様子じゃなかった。
だから幼いながら悟った。
大人は大変なんだな、と。
そんな人たちをどうにかしてあげたいと思うと共に、自分のような子供じゃ何も出来ないと思い知らされた。無力だった。
だから、大人になりたいと思う気持ちと子供でいたいと思う気持ちが矛盾を産んだ。
それは今でも葛藤し続けていて、この先なくなることはない。
どうしたら、これが少しでも軽くなってくれるのだろうか。


全て話すと、私はさらに俯いた。
こんな弱い人間が、カウンセラーになれるわけないと思われるだろうか?
無意識に手は固く握りしめていた。

「思い続けていいんじゃない?」

思っていたより呑気な声に、思わず顔を上げた。

「無理にやめることはないと思うよ。」

「...え?」

「この先、子供でいたくても時が勝手に大人にさせてしまうだろう。
だけど、子供の心を忘れなければいいんだ。たまにでいい。思い出せばいいんだ。
何事も、初心を忘れるべからずだよ。」

「でも……!」

そうじゃないの。でもうまく言葉にならない。
目を伏せがちにして、私は黙り込んだ。

「君は優しいね。小さいながらも、助けたいって思えるところが。
みんな子供は、大人に助けを求める側だろう?
まずは、そんな自分を褒めてあげよう。」

加瀬さんの優しい笑みに、思わず心臓が跳ねた。
そこまで言われて気がついてしまった。
私たちカウンセラーは、相談者を否定してはいけないこと。それは何度も言われていたじゃないか。

「加瀬さんは大人になって良かったと思っていますか?」

独り言のように呟いたけど、加瀬さんは「えー?」と苦笑しながら、口を開いてくれた。

「そうだねー...。子供にしかできないことがあるように、大人にしかできないことも
見える景色もたくさんあるからね。」

違う。違うんだ。
この人は何か特別なんじゃない。
この声と、表情と、優しさと。
全て包んでくれるような長所が、愛される秘訣なだけだ。
なのになんで私は、勝手に妬んで恨んでこんな...馬鹿みたいなことして。

「私...カウンセラー向いてないのかな......」

自分が情けなくて顔を手で覆った。
私は、加瀬さんのようなカウンセラーになれるだろうか?
外面だけで生きているのなら、誰にも寄り添えないだろうか?
誰にも届かない問いは、宙に舞ったかのように思えた。

「それは、誰にも分からないよ。」

加瀬さんが私の頭をそっと撫でた。

「君のことは、君だけが創れるからね」

目の前が滲んだ。
ぽつぽつと大粒の水滴が流れ落ちた。

「もしカウンセラー(この)道を選んでくれるなら、
僕は全力で手を貸すから。」
「っ…」
「だから、子供大人じゃなくて、一人の自分として見てあげて。」

あぁ、そうだ。私は、この人が好きなんだ。
加瀬さんが、とんでもなく好きなんだ。
だからこんな2人きりになる真似もするし、
羨ましいとも思えた。興味は、好意だ。
溢れ出たそれは、止まらなかった。
私は加瀬さんにはなれない。でも、なれなくていいんだ。
くだらない話にも真剣になってくれた彼の優しさを見習えばきっと、なりたい私になれる。
子供のような大人じゃなく、自分の満足出来る大人になろう。
すればきっと、今分からないものは、知り得ないものは!......そう遠くない未来、分かると思う。
そのためにカウンセラーに力を入れて。
人と向き合おう。

好きな人の、好きな人になるためにも。


「ありがとう、ございます...っ」

私の涙を拭いながら、加瀬さんが笑うから、また更に泣いてしまうんだ。