何もこんな天気の日に、貴族学院の卒業パーティを開かなくてもいいのではないか、と、多くの貴族の子女たちは思ったに違いない。
 すでに日も落ちてはいるものの、夜空のあちこちで雲の隙間から、稲光が光っている。
 激しい音は聞こえないものの、いつ、嵐になってもおかしくない、そんな天候の中、延期もせずに実施されるのは、偏に卒業式の主役でもある王太子の我儘からだ。
 肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす王太子。

「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」

 ドンガラガッシャーン!

「ひぃぃっ!?」

 ロウセン王国王太子、オーガスタス・グリフィン・ロウセル(十八歳)は、肝心のセリフを言い切る前に、大きな雷の音に驚いて、悲鳴をあげる始末。
 そんな王太子を冷ややかに見ているのは、まさに名前を呼ばれたリザベーテ、ロウセン王国の今代の聖女、その人であった。
 十四歳にしては、大人びた顔つきの彼女。四つ違いの王太子と並び立っても遜色はなかったに違いない。スラリとしたスレンダーな身体に、美しく銀色に輝く長い髪、深いマリンブルーの切れ長の目には、なんの感情も浮かんでいない。

「オーガスタス様、大丈夫です」

 そう言って励ましているのは、隣国から留学してきていた王女、マリアンヌ・デ・ロア。王太子の実母でもある王妃と親戚でもある。
 クルクルと波打つピンクブロンドの髪に、エメラルドグリーンの大きな瞳を涙で潤ませながら、ぼってりとした唇で、隣に立つ王太子に囁き、励ましている。
 何を根拠に「大丈夫」と言っているのか、周囲で見ている学生たちの王太子に向ける視線は、リザベーテ同様、冷ややかだ。

 なぜなら、元々、聖女リザベーテは遠く離れた小国の伯爵家の婚約者になる予定であったのを、たまたま外交のお供についていっていた王太子に見染められて、強引にこの国に連れてこられてしまったのだ。
 それは国中で有名な話であり、元々は、王太子自らが吹聴していたのだ。
 その上、留学してきている王女、マリアンヌも、なかなかにいい性格をしているので、ロウセン王国の者たちからも、あまり評判はよろしくない。
 貴族たちが少なからず蔑んでいた平民出身の『聖女』よりも、厭われるのだ。推して知るべし、である。

「そ、そうだな。マリアンヌ、お前がいれば大丈夫だ」

 何が『大丈夫』なのか、意味不明な王太子の自信に周囲の者たちは首を傾げる。
 そもそも、どの口がそんなことを言うのか、と、誰しもが思っていたのだ。
 それくらい……急な天候の変化に、会場にいた生徒たちは不安に感じている。

「ええ、そうですわ……ですから、早く、あの女を」
 芝居がかったマリアンヌ王女の言葉に、単純に主役になり切ったように酔いしれる王太子。

「ああ、わかっているよ! さぁ! リザベーテ、お前を国外追放に……!?」

 ドンガラガッシャーン!

「ひぃっ!」
「きゃぁっ!」
「何、何がっ」

 稲光がビカビカとひかりまくって、ついには王城の尖塔の一つに落ちたようだ。破壊された音で、会場にいた者たちが叫び声をあげる。
 そんな様子を気にするでもなく、リザベーテの言葉は冷ややかだ。

「貴方に言われなくても、出て行きますわ」

 彼女は、シャンデリアが美しく輝く天井の方を睨みつける。

「これで、やっと自由の身……女神ミーネ、よろしいですね!」

 声を張り上げてそう言葉を続ける。
 ……すると。

『仕方がありません。私が貴女に無理を言ったのです……貴方のお好きになさい……』

 悲しそうな女性の声が、会場内に響く。その場にいた者、全てがその声を聞いた。
 女神ミーネ、それは、この国の建国神話に描かれる女神の一人。
 まさか女神の声? と周囲の人間たちに動揺が走る。

「ええ、そうさせていただきます……王太子殿下、婚約破棄は、しっかり承りましたので」

 にっこりと満面の笑みで答えたリザベーテが、王太子たちに背中を向けた途端。

 ドンガラガッシャーン

「きゃぁぁぁぁっ!」

 近くに雷が落ちたのか、会場の大きな窓が数枚割れ、ガラスが飛び散る。勢いよく風が吹き込んで来て、会場内の灯りがいっせいに消えた。

「無理なものは、無理だったのよ」

 ぽそりと呟いたリザベーテは、まるで能面のように無表情になっていた。
 そして、一度も振り返らずに、会場を後にした。