馬車が使えない以上、ロゼリエッタとアイリが衛兵の手から逃げる手段はない。

 アイリたちのことを考えれば彼女たちの安全と引き換えに、余計な抵抗などせずおとなしく捕まった方がいいのかもしれなかった。


 だけど、本当に、約束を守ってくれるのだろうか?

「誰か……。助けて、クロード様!」

 無意識にクロードの名を呼んで助けを求める。

 クロードが来てくれるはずなんてないのに。

 でも"誰か"じゃない。叶うのならクロードに助けて欲しかったのだ。


 その時、鈍い音が響いた。

 わずかに赤く濡れた、拳大ほどの石が落ちている。一体何があったのか。衛兵は左のこめかみ付近を抑え、怒りに血走った目で周囲を見回した。

 ふとした弾みで目が合うのが恐ろしくて、ロゼリエッタは思わず身を縮こませて顔を伏せる。

「貴様ぁ……っ!」

 それが自分に向けられたものではなくとも、どす黒い憎悪のこもった衛兵の声に身がすくんだ。身体を打ちつけた衝撃が癒えたらしいアイリが体勢を直し、ロゼリエッタの両耳を塞ぐように抱き込む。


 おそらくは衛兵が被っていたと思われる黒い仮面が落ちて来た。鼻を覆う為のせり上がった中心部を支えとして揺れながら、向こう側へ転がって行く。それから聞いたことのない重い音が頭上から何度も聞こえた。

 他に、誰かいる?

 衛兵の仲間が援軍に来たのかもしれない。そう思うとたちまち恐怖が込み上げた。


 どさり、と一際大きな音がして衛兵が地面に倒れる。意を決して視線を向ければ、両頬がひどく腫れ上がっているのが見えた。

「きゃ……!」

 自分に向けられたものではない。でも、明確な暴力の跡を目の当たりにして悲鳴が口をついた。

 腫れ上がった奥に見える目は閉ざされている。

 まさか、とロゼリエッタの背筋を冷たいものがすべり落ちた。


 新たにやって来た人物はロゼリエッタには構わずに衛兵を縛り上げ、猿轡(さるぐつわ)を噛ませる。拘束したということは、意識を失っているだけで生きているということだ。その事実に思わずほっとした。