裕子や隼人と別れ、1人、事務所に向かう里美。
 今日は日曜だが、やり残した仕事があるのだ。 休日出勤とまではいかないだろうが、少しやっておけば、明日の仕事が楽になる。
( 取り立てて、帰ってやる事もないし… ま、いっか )
 隼人に逢えた嬉しさもあり、里美は、満足していた。 多少の仕事くらい、何でもない。

 灯りの点き始めた繁華街を、1人で歩く、里美。
 しばらくすると、後ろから声を掛ける者がいた。
「 吉村様では、ありませんか? 」
 振り向くと、何と、洋志がいた。
「 …え? 洋志さん? え~? どうして、こんな所に? 」
 トクンと鳴る、里美の胸。
 白いシャツの袖をまくり、ベージュのチノパンを履いている。 両手には、買い物らしいビニールの袋……
 洋志は、持っていたビニール袋を里美に見せながら、言った。
「 食器を買いに、来ていまして… 」
 店で使う、食器を買出しに来たらしい。
 洋志は、歩道のすぐ横に建っていた店舗の方を見やりながら続けた。
「 ここ、結構、揃っているんですよ。 良く、買いに来るんです 」
 業務用食器の卸店らしい。 ウインドウ越しに見える店内には、棚に並べられた食器類が、所狭しと見える。
「 へえ~、そうなんですか 」
 店内を覗き込む里美に、洋志は言った。
「 ウチの名前で買うと、割引してくれますよ? 構いませんので、使って下さいね 」
「 ホントですか? わ~、じゃ、今度、使わせて下さい。 トースト皿を、この前、割っちゃったんです 」
 苦笑いしながら答える、里美。
 洋志は言った。
「 どこか、その辺で、お食事でもしませんか? 僕、昼も食べてないんです。 もう、腹ペコで… 」
 里美も、食事をしていない。 事務所で仕事をする傍ら、近くのファストフード店で、何か食べるつもりでいた。
「 あ、じゃあ… 美味しいパスタのお店が、ちょっと行った所にありますから、いかがです? 」
「 いいですね! ご案内、頂けますか? 」
「 喜んで! 」

 イタリアの片田舎を模した作りの、パスタ専門店。 店内、至る所に置いてあるアンティークの家具や農具が興味深い。
 レンガ作りの壁には、小さな窪みが作ってあり、十字架やマリアの陶器像が置いてある。民家にある、祭壇を模してあるようだ。 レジ横には、バスケットに入れられた自家製のチーズや、ハムが販売されていた。
「 へええ~… 知らなかったですね、こんなお店があったなんて 」
 店内を見渡す、洋志。
「 まだ、時間的に早いので空いてるわ。 こちらにしましょうか 」
 奥のテーブルに座った、里美。
 洋志も、手に持っていたビニール袋を奥のイスの上に置くと、里美の正面に座りながら言った。
「 さすが、クリエイトなお仕事をされる、吉村様ですね。 行きつけのお店も、洗練されてますね 」
「 また、ご冗談を… でも、カティ・サークも、その中に入っているんですから、まんざらではないですね 」
「 これは、恐れ入ります。 恐縮です 」
 おどけて、一礼をして見せる、洋志。
 里美と洋志は、笑い合った。

 和やかな雰囲気のまま、洋志と食事をした、里美。
 もし、この場を隼人が目撃したら、はたして嫉妬するのだろうか?
 保科の話しでは、洋志は、東京の大学へ行く前、隼人とも顔見知りであったとの事である。単純に、嫉妬心などは、起こらないであろう。 むしろ、再会を喜び、この後、二次会へと突入するのかもしれない。
( ちょっぴりは、嫉妬して欲しいな… )
 無責任に、そんな考えが、里美の脳裏を過ぎる。
 まだ、正式な交際の返事さえしていないのに、あまりに身勝手な想像……
 自分ながら少し、反省をする里美だった。

 皿を下げに来たウエイターが、コップに水を足す。
 里美は、注がれる水を見ながら、洋志に尋ねた。
「 お店の方は、継がれるのですか? 」
 洋志は答えた。
「 はい。 そのつもりで、帰って参りました。 母も亡くなりましたし… 」
 里美の記憶に甦る、風に揺れるパンジー……
 しばらく間を置いてから、里美は、言った。
「 洋志さんなら… 立派に、あのお店を継いでいけると思います。 頑張って下さいね 」
 洋志を見る、里美。
 洋志は、笑顔で答えながら言った。
「 有難うございます。 吉村様を始め、馴染みのお客様がいつ来られても、美味しくコーヒーが飲める店作りを目指します。 これからも、宜しくお願い致します 」
 改めて、一礼する、洋志。
( 紳士な、人…… )
 里美は、こういった紳士な男性に弱い。
 最近、見かけなくなったタイプだ。 寡黙で、刹那的……
 しかし、言葉使い・行動の端々からうかがえる、優しさ・いたわり……
 また里美の胸の中に、もやもやとした感情が沸き起こって来た。
( 隼人の前に、洋志さんと出逢えていたら…… )
 里美は、その妄想を振り払うかのように、口調を上げて言った。
「 あ、あのっ… 保科さんって、ベースを弾かれると聞いたんですけど… 洋志さんは、何か、やられるんですか? 」
 笑いながら答える、洋志。
「 僕は、ダメですねぇ~…! 音楽は、からきし分かりません。 母は、ピアノが弾けたんですけどね。 音大の、ピアノ科出身だったんですよ? 」
「 へええ~…! それは、凄いわ。 音大…! でも、保科さんも奥さんも音楽をやるのに、洋志さんは……? 」
「 僕は、絵の方に進みました。 でも、芸大で洋画を習っても、社会に出たって、何の役にも立ちませんね。 才能があれば、別なんでしょうけど、僕の場合、ただ単に好きだっただけですから 」
 芸大……
 里美も行きたかったが、進路指導の教諭から将来性を説かれ、諦めた経緯がある。
 洋志は続けた。
「 父も、音大出身です。 教員課程を修学し、教員免許を持っています。 一時、市内の私立高校で、音楽の教員をしていたそうです 」

 保科の、音楽授業…! 一体、どんな雰囲気の授業だったのだろう……

( あたしだった… きっと、恋しちゃうだろうな… 手紙なんか書いて、授業の最後に、そっと渡したりして……! )
 1人、顔を赤らめる、里美。
 洋志に気付かれないようにと、髪をかき上げ、平静を装いつつ、言った。
「 いいですね、音楽… あたしは、もっぱら、聴く方専門ですけど… 機会があれば、何かやってみたいです 」
 洋志は、笑っていた。

 会計を済ませ、店を出る。
 外はもう、すっかりと日が暮れていた。
 街路灯と、商店の明かりに照らされた歩道を、サラリーマンやOLたちが往来している。
「 今日は、お引止めして、申し訳ありませんでした。 楽しかったです 」
 笑顔で言う、洋志。
「 こちらこそ。 また、お店の方、寄らせて頂きますね 」
「 お待ちしております。 では 」
 雑踏の中へと消えて行く、洋志。
 里美は、人ごみに紛れ、見えなくなって行く洋志の背中を見つめつつ、ため息を尽いた。

「 …出逢い、か… 」

 ポツリと、独り言を言う、里美。
 いつ、誰と、どんな風に出逢うのか……
 それは、誰にも分からない。

 出逢った順番で、人生が一変する人もいる事だろう。
 そう、里美も、その1人かもしれない。
 洋志との会話中に、ふと思った事が想い起こされる。

 …もし、隼人よりも先に、洋志と出逢っていたなら…

 おそらく、未来は一変するだろう。
 どちらが良かったのか…… それは、『 時 』のみぞ知る、未来の扉であろう。
 扉を開けるのは、隼人か洋志か……
 里美は、唇を噛み、ネオンに彩られる都会の夜空を見上げた。

( 違う…! 開けるのは、あたしなのよ…! あたしの、未来なんだもの…! )

 未来は、等しく誰にもある。
 その未来が充実しているか、幸せであるかは、自身が判断する事だ。
 何に価値を見出すか、何を尊むか…… 全ては、己にあるのだ。

 感化される事はあっても、自己を見失ってはいけない。 誰と未来を歩むかは、自己の主張でもあるのだ。
 それが淘汰されてしまっては、何もかも、他人のせいにしてしまう事だろう。 『 あの人のせいで 』などと、ボヤきながら……
( 何か、あたし… 随分と、哲学的になって来たなぁ…… )
 頭をポリポリとかき、そう思った、里美。
 ふと、頭をかく仕草に、隼人を想い出す。
( 似て来たかな……? )
 クスッと笑う、里美。
 通りすがりの、中年男性の通行人が、笑っている里美を訝しげに見て行く。
 里美は、夜の繁華街の歩道を、事務所に向かって歩き出した。