ライブのあった日より後、里美は、桂木と頻繁に会うようになった。
 別に、デートをしている訳ではない。 市内のカフェで、お茶を飲んで話しをしたり、買い物に行ったり……
 いつしか、桂木は、里美をファーストネーム( 『 さん 』付けではあるが )で呼ぶようになっており、里美もまた、『 隼人クン 』と答えるようになっていた。

 日曜日。
 市内の、大きな公園横にある、行き付けのカフェテラス……
 里美は、隼人を待っていた。
 空は、曇り空。 梅雨は、また中休みのようだ。 時折り、夏を思わせる太陽が顔をのぞかせる。
「 やあ、ごめんごめん! フジの車、ブッ壊れやがってさぁ…! 」
 少し、遅刻して来た、隼人。
 相変わらず、頭をかきながら、里美が待つテーブルにやって来た。
 『 フジ 』とは、隼人の相棒の、ドラマーの愛称である。 先だって、ライブをした時のドラマーで、名前は、藤代。 大学院生だ。
 里美が、笑いながら答える。
「 遂に、壊れちゃったの? あの車 」
「 オーバーヒートだよ。 ファンベルトが、切れちまっててさ。 まあ、築、18年だからね。 そろそろ、引導を渡してやってもイイだろう。 …あ、オレ、アメリカンね 」
 水を持って来たウエイトレスに告げる、隼人。
 里美が、デザインバッグの中から1枚のイラストボードを出し、テーブルに置きながら言った。
「 どう? 」
 ボードには、CDジャケットのデザインが貼ってある。 ピアノを弾く隼人の、コントラストを強調した写真がメインビジュアルだ。 タイトルには、『 ラプソディー・イン・レイン 』とある。
 それを見た隼人が言った。
「 おお~っ、スゲー! いっぱしの、プレイヤーみたいじゃ~ん! 」
 自主制作のCDを出す隼人の為に、里美がデザインしたのだ。
「 曲のタイトル… 出揃ったら、教えてね。 それと、クレジットに入れる、出演者の名前。 フジ君は、分かるけど… ベースの人って? 」
 隼人が、頭をかきながら答える。
「 う~ん… テツの名前って…… 哲也だっけ、哲夫だっけ? 斉田 哲夫… 違うな~、多分、哲也だ 」
「 多分って… テキトー書いたら、ダメよ? ちゃんと、確認してね 」
「 分かった、分かった 」
「 今すぐ、LINEしなさいってば。 放っておいたら、いつになるか、分かったもんじゃないわ 」
「 はい、はい 」
 スマホを出し、メールを打ちながら、隼人は里美に尋ねた。
「 あ、里美さん… 最近、淑恵さんに会った? 」
「 淑恵? 」
 コーヒーカップを持ちながら、里美は答える。
「 先週、カティー・サークに行った時に会ったけど? 何か? 」
 メールを打ちながら、隼人は続けた。
「 昨日、実家に帰った時に、僕も、保科さんのトコで会ったけど… 再婚するらしいよ? 」
「 再婚? へええ~ 」
 …先日、会った時、確かに淑恵は、何か里美に言いた気な雰囲気ではあった。 時々、思い詰めたような顔をしていたのだ。
( 淑恵… 悩んでいたのかな… )
 渡瀬のスポーツジムに行った時に見た、前夫を思い出す、里美。
「 再婚する相手のヒト… どんな人なのかしら 」
 呟くように言った里美に、メールを打ったスマホをテーブルに置きながら、隼人が答えた。
「 学生時代の同級生人らしいよ? オレも、よく知らないケド 」
「 ふ~ん…… 」
 ウエイトレスが、コーヒーを持って来た。 隼人は、そのまま、フレシュも入れずに、ひと口飲む。
 カップを置くと、続けた。
「 何でも… 前から、淑恵さんの事が好きだったみたいだよ? 」
「 淑恵が、結婚する前から? 」
「 多分ね 」
「 …… 」
 淑恵は、『 出来ちゃった結婚 』である。 本人が、そう言っていたのだから、間違いはないだろう。
 淑恵が、電撃的に結婚する事になった時…… おそらく、彼の心情には、計り知れない衝撃があった事だろう。 そして、再婚……
 結果的には、『 収まった 』感なのだろうか。 淑恵にしても、再婚相手にしても……
( 淑恵も、大変ね…… )
 淑恵の、人生の波乱に同情する、里美。
( 来週、ジムのパンフの納品よね。 時間があれば、会って話しをしてみようかな )
 コーヒーの苦味を、やけに感じる里美であった。

 カフェを出て、公園を隼人と散歩する。
 曇り空ではあるが、雨の心配は無さそうだ。
 薄日の差し込む、公園…… 新緑が、雨に洗われ、美しい。 全てが、息づき…
 来る夏に向かい、我先にと、一斉に緑を伸ばし始めているようだ。
 気温も上昇し、蒸し暑さを感じる。
 …だが、心地良い。
 雨に濡れた、新緑の息遣いが聞こえて来るような……
 そう、命溢れた、生命力を感じる雰囲気だ。
 新たな今が、始まるような… 里美は、そんな心境になった。

 しばらく、公園を散策する、里美と隼人。

「 もう、夏ね・・・ 」
 里美が、木々を見上げながら言った。
 数羽のハトが、里美たちの前のカラー歩道を先行するように歩いている。
 先ほどから、隼人は無言のままだ。
 里美は、気になり、声を掛ける。
「 どうしたの? 隼人クン。 黙り込んじゃって… 」
 里美に声を掛けられ、歩みを止める、隼人。
「 ? 」
 不思議に思った里美も、立ち止まる。
 隼人は、じっと足元を見つめていた。
 やがて、ゆっくり顔を上げると、里美に近寄る。
「 どうしたの…? 」
 そのまま隼人は、里美の両肩を掴んだ。
「 …! 」
 隼人は、自分の方に里美を引き寄せると、里美を抱き締め、言った。
「 オレ… 里美さんが、好きなんだ……! 」
「 …… 」
 ハトが、バタバタと飛び立つ。
 一瞬、里美は、蒸し暑い空気が動いたような気がした。
「 …隼人… クン…… 」
 何も答えず、ぎゅっと、里美を抱き締める隼人。
 しばらく、無言の2人……
 やがて、隼人が、小さく言った。
「 里美さんが… 保科さんに憧れているのは、分かってる…… だけど… だけど、オレだって…… 」
 やはり、隼人は感じていたらしい。 里美の、保科に対する片思いを……
「 …隼人クン……! 」
 隼人に抱き締められながら、しばらく無言の里美。
 自分の心臓の鼓動が、ハッキリと感じられる。 隼人の胸からも、トクトクと打つ振動が感じられた。

 タバコの匂いがする、シャツ……

 今まで、隼人の事は、意識した事が無かったと言えば、嘘になる。 だが相手は、2つ年下だ。 状況的に、年上の女性の方から告白するのもヘンだ……
 里美は、そう考えていた。

 ……そして、もう1つ。
 仕事を持つ社会人と、方や、その日暮らしのフリーター……
 しかも、経済的に先の保証が無い、音楽と言う世界を職業にしようとしている、隼人……
 年下へのこだわりより、こちらの方が重要である。

 里美は、無言でいた。
 隼人が、消え入りそうな声で言う。
「 オレ… 里美さんが、そうしろと言うなら…… 音楽、辞めるよ。 職を探して、サラリーマンになる 」
「 隼人クン……! 」
 隼人は、自分にあるハンデを自覚しているらしい。
 だが、結婚を求めているのではない。 交際をするだけなのであれば、経済力は必要無いだろう。
 しかし、隼人は、その交際の延長線を考え描いているらしかった。 だからこそ、そんな発言が出たのだろう。
 隼人は、一時の興味本位で、里美に告白したのではなかったのだ。
 真剣だったのだ……

 …心が苦しくなって来た、里美。

 隼人の言葉は、正直、嬉しい。
 今のままでいい。 何も考えず、自分を想ってくれる隼人を、素直に受け入れたい。
 だが、現実的には… 隼人には職を探してもらい、安定した生活を望む、里美の本心。 しかし、もう1人の里美が、その本心を責める。

 …可能性ある未来を、試す前から、自分が摘み取ってしまってどうする…?

 2つの方向性と、来るべき未来に揺れ動く、里美の心。
 現実的な、推測可能な未来を確保するか……
 先の見えない未来であっても、将来的希望を託すか……

 里美は、震える手で隼人の両肩を引き離し、言った。
「 …考えさせて、隼人クン… ごめんなさい。 あたしも、隼人クンは、好き。 だけど… 今は、答えられない。 ごめんなさい……! 」
 最後の方は、言葉にならなかった。
 隼人の腕を振り解き、走り出す里美。

 涙が、溢れて来る。
 里美は、手の甲で涙を振り払い、公園を走り抜けた。
( ごめん… 隼人クン…! あたし、ヤな女だ…! 隼人クンの夢に、触れてみたいのに… 可能性ある未来を、共に味わってみたいのに… 勇気が出ない……! 今は… 今は、安直な現実の方に、目が行ってしまう……! )

 あえて、危険な冒険をする必要は無いだろう。 現実的な未来を重視した方が、後の幸せは確実なものとなる。 ただ、それを… 平凡と見るか、平和と見るか、である。

 初めて受けた告白に、戸惑ってしまった里美。
 自身の踏ん切りが出来ていない時点であっただけに、その場を、逃げ出してしまうしか無かったのだ……

 自身への嫌悪感に苛まれつつ、後味の悪い別れ方をした事を後悔する里美であった。