「杏奈ちゃん今日おにぎり着てなくて残念〜」

『!? へや、へへ、部屋にいんのか? はあ?』

「今日杏奈ちゃんとご飯食べてー買い物してー飲んでーめちゃ充実してたよ」

『ちょっと待て、なんでお前ら! 杏奈? おい!』

 樹くんは大変楽しそうに笑った。もしやこれがしたかっただけか? と呆れたとき、突然彼は真顔になり声を低くした。

 別人のような顔つきと声でいう。

「巧。お前今すぐ帰ってこなきゃ人生終わりだと思え。杏奈ちゃん泣いてるぞ」

『……え』

 それだけ言い捨てると、樹くんは電話を切った。そしてスマホをポケットにしまう。

「さ、これで帰ってくるでしょ」

「い、樹くん」

「帰ってこなかったら本気で俺の家おいで。それは冗談じゃないから」

 彼が立ち上がったのを見て、帰るんだ、と理解する。私も追うように慌てて腰を上げた。

 全部私のためにやってくれた。今日一日使って、私たちのために。巧と仲悪いしいつも悪ふざけしてるのに、なんで?

「さーちゃんと戸締りしなよ」

「ね、ねえ樹くん、本当にありがとう……」

「いや、俺は楽しんでただけだしー」

 スタスタと玄関に向かっていく背中を追いかけながら、私は尋ねた。

「巧のこと嫌ってるのに、なんでこんなにしてくれたの……?」

「勘違いしないでほしいなあ、俺は巧のためになんて動いたこと一切ないよ。でも杏奈ちゃんは好きだからそのままにしておけなかっただけ」

「でも……」

 玄関で靴を履く樹くんは、最後にくるりとこちらを見る。そしてあの子犬みたいな顔でにっこりと笑った。

「俺の理想は二人が円満に離婚して、スッキリした杏奈ちゃんが俺の家に来る! これが最高の終わり!」

「ええ……」

「とゆうわけで、待ってるよー、電話してね」

 ひらひらと手を振りながら、彼は明るい笑顔のまま玄関から出て行ってしまった。ドアが閉まる最後の最後まで私に笑顔で手を振った。

「…………樹くんの本心って、どこにあるんだろう……」

 
 誰もいなくなった玄関で私はポツリと呟いた。

 私のため、って言ってくれたけど、正直それもピンとこない。確かにやたら懐かれてるような気はしてたけど、それも巧に見せつけるためのように思ってたんだけど。

 どうしてあんなに優しくしてくれたんだろう。

 私はぎゅっと両手を握った。

 どんな理由にせよ、樹くんのおかげでようやく自分の気持ちを口に出せそうな気がする。
 
 結末はどうであれ、私は伝えたいことはきちんと伝えなくてはならない。