俺は自分を守る為に、今も尚、そのぬるま湯から抜け出せないでいる。踏み出さなければならない一歩があることを知って、それでも目を逸らし続けている。


はっと我に返ったのは、彼女の言葉を聞いてからだ。




『何とかなるよ。生きてれば、いつだって話せるし。誤解があっても解けるし。本音を言いそびれたなら、また伝えられるし』




なんて事ないとでも言うように、彼女はあっけらかんと呟いた。何を悩むことがあるのかと、いっそ突き放すように、清々と。


"生きていれば"。なんて軽くて、重い言葉なんだろう。きっと普通に生きている人間には響かなくて、彼女だからこそ、重く語れる一言だ。



紫苑さんは、伝えることが出来なかったのだろうか。伝えそびれてしまったのだろうか。後悔、しているのだろうか。



だけど、どれだけ何かを思っても、どうすることも出来ない。どうにかしようと前を向いても、人の力では踏み出せない辛さ。




―――だけど俺は、どうだ。




どうにかしようと思えば、きっとどうとでもなる。修繕だって、修復だって出来る。どうにも出来ないと頭を抱えていたのは、一体誰だったろうか。


弟はいつだって、そこに居たのに。母はいつだって優しく笑って、待っていてくれたのに。それに見向きもせずに勝手に決めて諦めていたのは、俺だった。



この虚しさを、後悔を、俺なら何とか出来る。まだ遅くない。誰だって、話せる内は遅くないのだ。




「―――…あぁ」




紫苑さんをアパートに送り届けて、少し凝った肩を回して解す。さっきまで雲に隠れていた月は、いつの間にか現れて輝きを放っていた。